ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

義母に心配をかけたあの日

2024-01-19 22:58:35 | 思うこと

今日は、義母の誕生日です。

90歳になりました。

 

久しぶりに電話したのですが(たまにしかかけなくてごめんなさい)義母は自分の誕生日のこと忘れてました

まあ、毎年、そうなんですけどね

 

嫌だ~90になってしまって~と、ちょっとガックリしていましたが、

「いやいや、90代になれるなんて、なかなかないこと。病気しているわけでもなく、普通に食べれて体も動かせているんだから、凄いことだよ~」と言ったら、

「そうか、確かにね」と、私に合わせてくれたのかもしれませんが、納得?してくれました

 

すっかり耳が遠くなっていて、身体を動かすのもどんどんスローになっていて、自身の体の衰えに嘆く日々のようですが、

まだ頭はしっかりしているので、大丈夫!(多分、私より?)まだまだ長生きしてほしいです。

 

義母のことは、何度も紹介していますが、元気な頃は毎年1回、我が家に遊びに来てくれました。

東京に義母の妹の叔母がいるので、そちらと合わせて1か月くらいは滞在していました。

まずは、叔母のところで、1週間くらい。喧嘩したりして、予定より早く引き上げることも多々あり(笑)、その後、我が家でゆっくりしていました。

おばあちゃん大好きなけん太は、いつも義母と一緒の布団で寝て、義母に遊んでもらっていました。

認知症の私の母は義母に話相手になってもらっていて、よく散歩も一緒に行ってました。

本当に本当にありがたい存在でした。

 

私の母は認知症で、母に母らしいことを求めることはできず、けん太が生まれた時も、すでにお産使いなどは無理でした。

義母がどれほど頼りになり、大きな存在だったか・・・

我が家になくてはならない存在になっていて、札幌に帰ってしまう時、いつも、寂しくなってしまった私です

 

そんな義母でしたから、けん太が不登校になり、暴言・暴力も出ていて、私たち夫婦が何もできなくなってしまった時、我が家に駆けつけてくれました。

これまでのけん太との良好な関係性により、なんとかけん太と話ができるのではないかと思ってくれたようでした。

 

でも、ダメでした。

その当時のケン太は、何かをさせよう・・・という動きにとても敏感で、そんな動きを感じたら、全てに反発していた時でした。

けん太は、義母が来たことで、身の置き所がなくなってしまったのか、平静を保てなくなり、顔色が変わり興奮状態に。

私が義母に気をつかうような態度をとったのをきっかけに、ケン太は腹を立て、私に蹴りを入れてきた。

自分が来たことで、余計に悪い状況になってしまったと察した義母は「ごめんなさいね」と、一緒に来ていた叔母と帰っていきました。

 

「話をしよう」というのは、けん太の何かを変えよう・・とする行為。

それを感じとっての反発。

 

すでに、けん太は私たち夫婦に刃を向き「話をしよう」というのは難しい状況だったので、義母が来てくれてもどうなのか・・・という思いはありました。

でも、それが予想以上に悪い結果となり、義母に対してもそうなってしまうんだなと、その現実の重さを突きつけられた思いでした。


我が家に一泊もすることなく、札幌に帰った義母。

毎日、近くの神社にお参りし、けん太が学校に戻れますように・・・とお願いしてくれたそうです。

 

その話を聞いた時には、ありがたくて、泣けました

 

その後、義母の思いが通じたのか、学校に戻ることができたケン太。

その後もまた崩れたり、いろいろありましたけどね

 

でも、今、なんとかやっています。

義母が自分の心配だけしていればいい生活ができていると思うので。

それだけでいいです。


けん太、おばあちゃんにもう心配かけないでね。


 

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