ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

やっと観れました・・・鬼滅

2021-02-23 23:23:31 | 私(みぃみ)
昨日、ふと思い立って、映画を観てきました。





封切り直後、映画館の6部屋が全部、鬼滅の刃という時もありましたが、今は1日、2本になっています。

盛り上がっている時期に行きたかったのですが、
ケン太に、「観るなら、アニメ観てからの方がいいよ。映画はその続きだから」と。

それでアニメをまず観ることにしたのです。
これが結構、長くてですね。26話あるのですよ。
時間がかかりました。

観終わった後、やはりこれは、予習しておくべきだなと思いましたよ。
予習しなくても、映画の中のストーリーは理解できるかもしれませんが、
やはり、登場人物の繋がりや、それぞれの背景、わかっているのといないとでは全然、違うでしょうね。

ただ、私、アニメを観ていても、アニメを100%理解しているわけではないので、
映画もどこまで理解していたのか・・・なんですが。
アニメ、ところどころ寝ちゃってたし

帰ってきて、ケン太に「観てきた」と言って、映画の話でしばし盛り上がっていたのですが、
そこで私の理解度の低さに気付くという。

「私、半分くらいしか理解していなかったかも」と言うと
「いや、半分以下だよ」と厳しいお言葉が

ケン太に教えてもらって、どうにか8割くらいは理解できたと思います(笑)
難しい話というわけではなく、私の理解度の問題です。はい。

話が長くて内容もたっぷりあったので、
「全集中!水の呼吸!」とか、型も1の型とか、2の型とか、いろいろあって、それ、何処で出てきたんだっけ?
とか、誰が言ってたことだっけ?とか、わからなくなっているんです

でもまあ、それは置いておいて・・・(笑)

自分がいない間に一家が鬼に襲われ、惨殺される。
唯一、助かった禰津子が、鬼にされてしまったことを知った炭次郎が、禰津子を、人間に戻すべく、
信念を持って、鬼と戦い続ける。

どんな試練にも立ち向かう。
決して諦めない。
根底にあるのは家族愛。

ここが見所とは思いますが、

アニメでも、鬼が退治されて息絶える時に、その鬼が人間であった時代の、孤児だったり、劣悪な家庭環境、不条理の中で生きてきた、それぞれの回想シーンが出てくるのです。
人間を襲う憎き鬼であっても、憎めなくなる、その鬼を偲ぶ気持ちにもなる。
鬼を退治する、鬼滅隊もまた同じ。それぞれの背景があり、紙一重。
ひとつひとつの命の尊さを感じることができるのも、この作品の素晴らしさなのかなと。

映画は特に、涙腺が緩むシーンが多かったような。
私的には、炭次郎の一家が襲われる前の回想シーンには、ウルっときてしまいましたね。
館内からもすすり泣きの声が聞こえてきていました。

でも、炭次郎みたいなガッツや根性は何処にもない我が家なので、
ほんと真逆なので
すでに、そんなところが少しでもあったのなら・・・と思えないほど遠い。

だからどこか、冷めたところから観ている感覚もありました。
「素晴らしい!」と思いつつ、近づけないみたいな?

我が家にはないな、でも、我が家は我が家でしかないな・・・と現実を受け止めているところです。

もしかしたら、不登校の子を持つ親御さんはそこは共通しているかもしれません。

不登校の子に、「諦めるな!」「突き進め!」なんてことを求められないのでね。
無理なく、本人のペースで・・・と、そう考える方向と思うので。

ケン太、今はいいですけど、もし、不登校真っ只中であったなら、
逆に怖くて観せられなかったかもしれません。

「で、何が言いたいわけ?」「俺にそうしろと?」とか言われそうなので

そんなことも思ってしまった映画でした。

それだけ、いい昨品なんだということだと思います


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイナンバーの受け取り。やっとです(^^;

2021-02-21 23:25:53 | 家庭生活
今日は暖かかったですね。
セーターで外に出ると、暑いくらいでした。

枯れ木と化していた庭の紫陽花も、新芽が顔をのぞかせています。
生きていたんだとわかります(笑)
アナベルはまだなので、少し遅めなのかな?

植物に目がいくというのは少しでも心の余裕があるということ。
そんな今に感謝しながら、庭の変化も楽しんでいこうと思います。


ケン太のまとまった休みもいよいよ明日で終わりです。

まとまった休みなら、これは行かせたい!と思っていたことがありました。
マイナンバーカードの受け取りです。

ケン太は5年前にマイナンバーカードを作ったのです。

高校を卒業して、学生証がなくなり、身分を証明するものは健康保険証だけになりました。
まだ、バイトを始めていない時に、まずは、バイト料振り込みのために銀行口座を作っておかねばと銀行に行ったのですが、顔写真付きの証明書ではないので、カードを即日発行してもらえませんでした。

何処にも所属していないと、こういうことにもなるんだなと実感しました。

その不便さをケン太は感じて、それならば、マイナンバーカードを作ろうとなりました。

不便さを感じなければ、面倒くさがりなケン太が、マイナンバーカードを作ろうとはしなかったと思うので、よかったのかもしれません。


あれから5年ですよ。

更新手続きがあるとは案内がくるまで知らなかったのですが、署名用電子証明書及び、利用者証明書の有効期限は発行日から5回目の誕生日までなので、更新手続きが必要となるようです。
顔写真は10年に一回、撮り直しでいいのですが、20歳未満は容姿の変動があるため、5年目で撮り直しが必要とのこと。

ケン太は更新手続きは済ませていたのです。
自撮りした画像を必要事項を入力してスマホで送り、あとは、マイナンバーカードを市役所に受け取りに行くだけ。
その最後の「行くだけ」を放置して、もうすぐ半年ですよ






私もケン太と一緒にマイナンバーカードを作ったので、誕生日前に更新手続きの案内が届いたのですが、マイナンバーカードを作り直す必要はないので、近くの市役所出張所で、タブレット端末の更新の手続き画面に入力するだけで終わっていたのです。

1月生まれの私は終わっているのに、10月生まれのケン太は・・・



リビングの、何故か、ケン太の私物で溢れてしまう、サイドボードに
その案内がずっと乗ったままだったのです。

「忘れてないよね?」に「あ、行く、行く」と返ってきたこともありますが、やっぱり放置

邪魔なので、何処かに仕舞いこんでやろうとも思いましたが、忘れちゃうと困るので
そのうち私も気にならなくなっていて、忘れかけていましたが、

ケン太がまとまった休みを取ると聞いて、まず、そのことが頭に浮かびました


ケン太は「行く」と言いましたよ
すっかり忘れていましたがまあ、そうだろうとは思っていました。

行こうと思えば、ケン太がお休みの月曜日に行けるのですが、
いつも、夕方まで寝ているので、貴重な平日のお休みに声をかけても「いや、いい」になりそうなんです。

まとまった休みなら、何処かで時間作れるでしょ。
さすがにこの機会を逃すわけにはいかないので、取りに行きなさい!って話です。


火曜日に「明日ならお母さんも行けるよ」と言うと(ケン太は車を運転しないと宣言
「じゃあ、明日行く」となったのです。

「明日って何日?」
「え~と・・・何日だっけ?水曜日だよ」と言うと。

「水曜日?ということは、次の日、木曜日?俺、出勤じゃない。もう、4連休終わっちゃったの?はえ~」

この会話って、もしかして、水曜日に市役所行く約束をしなかったら、出勤日に気が付かなかったってことですかね?
怖い。怖い



当日朝、7時頃にやってきて(徹夜明け)
「市役所、何時から開いてんの?朝いちで行くわ。帰ってきてから寝る」と。

9時には開いているだろうと(実際は8時半でした)その少し前に出ると約束したのですが、
出発は10時半になりました。(ケン太の支度が遅い

そして、無事、マイナンバーカードを受け取ることができました。



ケン太が市役所を訪れるのは、マイナンバーカード申請の時の約5年半前以来です。

5年前と同じく、駐車場で降りて、案内板で庁舎の位置を確認して、通路を歩いて、庁舎に入って行き・・・
ふと、あの頃のことが蘇りました。

銀行で口座を作った時もそうでしたが、どこか緊張した面持ちで不安気で、ひとりじゃ無理って感じが漂っていて、
私の後を付いてきて、用紙を記入する時も、わからず呼ばれ、一緒に見てあげて・・・

今回は、車を降りるところから違っていて、自分で進んで行き、案内板で「ここだな」と自分で確認し、
窓口にさささと向かって行きました。
私は運転手として必要だから、付いて行きましたが、ひとりでももちろん大丈夫でしょう。

もちろん、訪庁は2度目ということもあると思いますが、
それだけではない、社会生活を積み上げてきた5年間の成長というものを改めて感じることができました。


帰ったら寝ると言ってましたが、その後、ユニクロで買い物をして、
お昼も食べることに。
眠くても親がお金を出してくれるお昼は絶対に食べるケン太(笑)





眠くて、あまり油っこいものは食べれないというので、これになりました


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かつて、先生に忠告されたこと・・・そしてその後・・・

2021-02-20 23:29:57 | 思うこと
3日間、バイトの記事を書きましたが、
高校の時の最後の三者面談を思い出しました。

その時、先生に言われたことを。

高校2年生の後期から、ケン太は週5クラスから、月2程度のコースに変わったのですが、
その時に担任も変わりました。
月2のスクーリングは、学校以外に出向くことも多く、その担任とはほとんど接触はなかったものの、
連絡事項や進路相談などはその先生が窓口になります。

高3になり、三者面談をしたいと担任から連絡があり、ケン太と学校に向かいました。
時期的に進路を決めなければなりません。

ケン太は一貫して「フリーター」
そのため、先生は、三者面談に持ち込んだようでした。

耳に痛いことを言われるだろうと予測していたケン太は、
何を言われても、うまくかわしてやろう・・・と、思っていたようでした

「〇〇ちゃん(先生です)何を言ってくるか楽しみだわ」と。

そんな余裕も、見事に打ち砕かれたわけですが。


再度、確認しても、揺るがないケン太に、

「どうしてもフリーターになりたいのか?」に
「はい」

「フリーターになりたいのなら、バイトするべきじゃないか?」(ごもっともであります)
「・・・」
「どうしてバイトしない?」

先生の声に勢いが増し、表情も険しくなってきました。

その後・・・

高卒、大卒の職種の違い。
会社に就職した場合の平均初任給とフリーターの収入の格差。
将来、独り暮らしをした場合の最低生活費、
年金や健康保険料の支払いなど、具体的な金額で示し、

厳しい生活を強いられるのは間違いないというお話。

そして、一番、キツイのは金銭面ではなく精神面だと。

最初のうちはいいが、22歳を超えると、同級生が皆、働き始め、収入の格差が突きつけられる。
これまでは相手も学生で自由に会うことができても、そのような付き合いができなくなってくる。
何年もフリータをやっていると、年下の雇い主も多くなり、年下にこき使われるようになる。
せいぜいフリーターも32歳くらいまで。その後、正社員になろうとしても厳しい現実が待っている。

それらの話の後、再度、ケン太に意思を確認すると

「フリーターがいいです」と言いました。

先生は

「先生が何を言っても君は変わらないと思う。先生も変えようと思っているわけではない。
ただ、同じ男で、人生の少しだけ先輩として自分の経験や周りの友達の経験からの話だけはしておきたいと思った。
フリーターになるのならそれでいい。だけど、自分でそう選択するのだから、自分の人生は自分で責任を持つこと。
決して親の責任にはしないように」


頑ななケン太に「先生も変えようと思っているわけではない」と仰っていましたが、
先生の表情からはそんな気持ちは微塵も読み取れませんでした。
そう言って先生ご自身の気持ちを静めようとしていただけのように感じました。

最後、ご挨拶して失礼する時も、諦めと落胆の表情をにじませていて、
納得していないのは、はっきりとわかりました。

先生は、フリーターという不安定な道ではなく、進学または就職、
どちらかの道を選ばせたかったのだと思います。

先生のお立場としては当然かもしれません。

ここで心変わりをさせてやる!という意気込みで面談に望まれたのはわかりました。

結局は全面否定のままなので・・・

かえってケン太を頑なにしてしまったようにも思います。
ケン太はそういうタイプです。

厳しい話のあとに、少しでもいいからフォローがあれば嬉しかったです。

あまりにも夢も希望もない話を突きつけられたまま終わってしまったのは残念でした。


ケン太は今、23歳です。
フリーターです。

先生が危惧されていた年齢に達しました。
確かに給料は少ないです。

でも、大卒と収入の格差を感じて、精神面がやられることはありません。
大学を卒業して社会人になった友達とも繋がっていて、楽しく過ごしています。

32歳の時にどうなっているでしょうか。
今、改めて読み返すと、先生が言われていたのは、「地」の時代のように思われます。
今は、風の時代に入りました。
正社員になることに意義を感じる人も当時より減ってきているように思います。

ひとつだけ・・・
22歳にならなくても、32歳にならなくても、わかっていたことはありました。

ケン太は決して、どんな選択をしたとしても、親に責任を問うことはないということ。


先生は翌年、解雇されてしまいました。
生徒との交際が発覚したとかで?

ケン太の高校の在籍期間は2年にも満たなかったと思います。

そのことは友達からケン太の耳にも入ってきていました。
あの時の先生の言葉が力を失ってしまったのではないでしょうか。
残念です。



ケン太が高校を卒業して、その先生の話題になったことがあります。

「見た目もなんか、かわいいじゃない。嫌いっていう奴が多かったけど、俺は、結構、好きだったよ」って

(ちなみに男性です)

私はどうも、あの三者面談以来、あまりいい印象を持っていなかったのです。
あれ以来、変わらずフリーター希望で、結局、バイトもしていなかったケン太なので、
先生に挨拶に行かなければならないと思うと、気が重くて、卒業式も出なかった私です。

でも、当の本人は「結構、好きだったよ」って。

そういえば、ケン太の口から、先生の悪口などは聞いたことはないし、三者面談のことも、何も言っていませんでした。
いい印象を持たなかったのは私だけだったのか・・・

中学時代も、剣道部の顧問といろいろあり、結局、不登校になってしまったケン太ですが、
「先生の教え方は上手だ」と褒めていたしね。

ケン太は冷静ですね。
相手に否定されたから・・・いい感情を持てないとはならないようです。

ケン太のそんなところは凄いなと思います。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦手が苦手でなくなる瞬間➂

2021-02-19 23:23:09 | アルバイト
まさか、3日間に渡るとは思いませんでしたが、どうもいろんなことを書きたくなってしまいます。
今日で終わりますので、よろしくお願いします。

ファミレスのバイトを辞めて、今の仕事に就くまで、約7か月。

T君やM君、高校時代の友達とも繋がっていて、たまに会っていたので、引きこもりではなかったのですが、
やはり何処にも所属していない不安定さはあったように思います。

面接に行き、すぐ決まり、その2日後くらいから、週5勤務の生活が決まりました。
当時は、スーツ着用と決まっていたので、急に社会人らしくなりました。

成人式には見れなかったスーツ姿。
見ることができたのは、ちょっと嬉しかったです。

パソコンショップの店員なので、思い切り「接客」
ファミレスのバイトで「キッチンよりホール」
そう思えたことで「接客」への抵抗が薄れていたと思います。

毎日、休みで昼夜逆転していたケン太が、いきなり週5の昼間勤務。
ちょっと心配したものの、特に問題なく通っていました。
ギリギリ生活は相変わらずで、遅刻することもありましたけどね。

働く原動力になっているのは、ゲーセンなどが近くにあることも大きかったと思います。

働き始めの頃、毎日、昼休みにゲーセン通いをしていたようです。
お昼はおにぎりか、総菜パン。とにかく立って食べられるもの。
お昼休みになるとすぐゲーセンに向かい、ゲームの合間につまみ食いでお昼を済ませていました。

往復の電車で座れず、仕事でも立ちっぱなし、唯一、座れるだろうお昼はゲーセンに行き、
結局、そこでも立っている。朝、家を出てから帰ってくるまで、ずっと立っているという生活を続けていました。

往復の電車も仕事も立ちっぱなしで、それが辛いと辞めていった人もいるようですが、
ケン太は平気のようでした。若さでしょうかね。

あとは路面店なので、入り口は常に全面、開けっ放し。真夏は暑い。冬は寒い。
私は多分、無理です


安定して働いているものの、給料も安いし、長く務めるところでもない。
何処かのタイミングで転職はするだろうとは言っていました。

数か月で、早くも行き詰まりました。
それは、パソコンを組み立てたことはあるけど、情報の知識がなかったこと。
同僚に「普通科でも採用するんだ」と言われ、情報を勉強してきていない自分は無理だと思ったこと。

しかし、当時の店長に、「売り方を覚えてくれれば大丈夫だから」と言われたそうな。
実は店長さんもそんなに詳しくなかったそうです。
それで思いとどまったそうです。

ケン太の売り方は「売ろうとしない」方式だそうな。
決めるのはあなた方式。自分で決めた方がいいから。
勧めたものを買って、後で満足いかなかったら、「あの店員が勧めた」になる。
早急に必要な人は買う。そうではない人は、いろいろ見て買えばいい。
それが買う楽しみだから。

そして、一番、高いものは勧めない。
営業利益優先と思われなくないから。
説明をしているうちに、結果、一番高い物が売れる場合もある。

あとはこんなことも・・・

話の長いお客さん、お金を使わなさそうなお客さんとは距離をおき、
話しかけられないようにする
気前よく買ってくれそうなお客さんには声をかける。
(お孫ちゃんに連れられてきた、おじいちゃん、おばあちゃんは絶対に買うそうです)
見積もりをマメに出す・・・等。

そして、約1年後、店内で、成績トップになる。
しばし、トップや上位が続きました。
今はわかりません

嫌なお客さんも当たりまえに毎日のように来るそうです。
態度が横柄な人、シカトする人、キモオタ・・・なんだってありとのこと。
もう、慣れてしまっているので、なんてことないようです。

ゲーミングパソコンを扱っているため、お客さんはオタクが多い。
そして、オタクはオタクを呼ぶ?
元気がよく感じのよい店員もいるそうですが、
オタクは同じオタクの匂いがする?ケン太の方に声をかけるそうです。
オタクに助けられています


実は、以前、ホロスコープで占ってもらった時
ケン太は「接客は天職」と言われたのです。
うっそ~!!と思いましたよ。

天職まではいかないと思うけど、意外と合っているのかもなとは思っています。

「接客は無理」と言っていたケン太ですよ。
やってみないとわからないものですね




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦手が苦手でなくなる瞬間➁

2021-02-18 23:56:33 | アルバイト
昨日の続きです。

初めてのバイトに行ったケン太は、約10万円のバイト料を手にしました。
そのお金で、ケン太はパソコンの組み立て直しをしました。
増設したり、性能のよいパーツと交換したり。

自分が働いて手に入れたお金で、自分の物を買う。
そんな喜びもこの時に知ったと思います。


その後、不安定なまま高校をどうにか卒業
在学中のケン太の卒業後の進路希望は「フリーター」
ただ、卒業時点で、どこでバイトをするのも決まっていませんでした。

ただ、このままではお金がない。
ケン太なりに仕事を探していました。

そして、まもなく、徒歩圏内にある、ファミレスに、採用が決まりました。
「接客」に苦手意識があったケン太は、「ホールではなく絶対にキッチン!」と言ってました。

採用になったものの、人出不足で、教育係の店長さんも忙しく、なかなか仕事を教えてもらえない。
本来であれば、週3くらい入れる話でしたが、週2くらいで、時間も短縮。
ほとんど働けないまま、1カ月が経過してしまいました。
お店の方でもGWの戦力として期待していたと思いますが、教育が追い付かず、ケン太にシフトは入りませんでした。

鍋の使い方を教えてもらい、実際に料理も作り、楽しいと言っていたケン太ですが、
油料理が多いお店で、油や調味料の匂いが厨房に充満していること。
予洗なしで、食器を洗浄機に入れることも気になるようで、だんだんと耐え難くなってきたようです。

そして、なにより、週、3か4は働きたいと思っていたケン太にとって、思うように働けないことが大きかったと思います。
そこのファミレスは、バイトは数を揃え、それぞれに、そんなにシフトを入れていないのです。
繁忙日に数を増やしたり、突然辞めた人がいても、カバーしやすい体制になっているようでした。

ケン太はある日「店長に辞めると言う」と言いました。
それはやむを得ないと思いました。

そして、その日に店長に話をし、辞めることの了承を取り付けてきました。
忙しい中、時間を割いて教えてきただけにとても残念がっていたそうです。
それを思うと申し訳ないのですが

貸与されていた制服のズボンは洗って後で返しにきてくれればいいからと。
後日、その制服を返却しに行きました。

私は、そのまま行かなくなり辞めた扱いになるのではなく、
(今の職場でもそういう人はいるそうです)
自分で決断し、申し出て、制服も返しに行き、
キチンと辞められたことは、よかったと思いました。

辞めることがどうのではなく、問われるとしたら辞め方だと思うので。


ケン太はファミレスのバイトを辞めた時に、こう言いました。

「今後、ファミレスでバイトすることがあるとしたら、絶対にホール!」

「接客は嫌だ」と言っていたケン太がこうなるのですね



また、次回に続きます。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする