忘れな草の花籠

確かハンドメイドブログだったはず・・・

明日

2008-08-15 20:02:50 | BOOK
井上光晴氏の「明日」を読みました。
この本の副題は
「―一九四五年八月八日・長崎―」となっているので
「明日」が何を示すかはよくわかると思います。

「原爆投下の前日八月八日、長崎の街には
いま現在そこに住む人々と、おなじ人間の暮らしがあった。
結婚式を挙げた新郎新婦、刑務所に収監された夫に
接見する妻、難産の末に子供を産む妊婦・・・など。
愛し傷つき勇気を奮い起こし、悲喜こもごも生きる人々を
突然に襲う運命の《明日》。人間の存在を問い、
各時代の《今日》を鮮烈に描く長編。」(@裏表紙)

この話は全部で10章あります。
そして1章ごとにその日、八月八日の話が描かれています。
読みながら背筋がぞっとしました。
ふつうの人々がふつうにあたりまえに暮らしている風景。
ただふつうではないのが戦時下だということ。
時折聞こえてくる警報。
疎開して空になった家や土地に
別の人たちがまた疎開して、
建物を建ててあたりまえのようにそこで生活する・・・。
今ではとても考えられない風景です。
私もその場にいるような気持ちで、
空襲におびえながら読み進めていきました。

そしてこの話が作り話ではなく、
実際にあったできごとをもとにして
描かれたというのが
本当に胸につまされます。

特に最後の章。
一度流産を経験した女性が
苦しみながらも無事に男の子を産みました。
ちっちゃな愛らしい姿に幸せを感じる、
八月九日の朝の長崎。

「八月九日、四時十七分。私の子供がここにいる。
ここに、私の横に、形あるものとしているということが
信じられない。髪の毛、二つの耳、
小さな目鼻とよく動く口を持ったこの子。
私の子供は今日から生きる。
産着の袖口から覗く握り拳がそう告げている。
 ゆるやかな大気の動き。夜は終り、新しい夏の一日が
いま幕を上げようとして、雀たちの囀りを促す。」
最後はこう〆られてありました。
この親子の行く末が本当に気になります。
願わくばどうかどうか親子で健在で・・・。

あとがきにはこう描かれてありました。
「 赤子を産むために、ツル子の疎開した油木地区は
元々郊外の村落で、爆撃に対してもっとも安全な避難場所であったのだ。
そこに『原爆の爆風と熱線は、
谷間を通路として、この地をまともに襲った』(《長崎原爆戦災史第二巻》)のである。」

今私たちがこうしてあたりまえに
平和で暮らしていけるのも
多くの先人の犠牲があったから。
もう一度平和のありがたさ・尊さをかみしめ、
戦没者の方々の追悼を表したいと思います。
今日は終戦の日。
平和な世の中を願ってやみません。
コメント
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