高山清洲・世界平和 人類みんな兄弟

世界平和に導く為の語録

この世界は人命をなんだと思っているのか!!

2025-01-27 00:05:00 | 国賊

この世界は人命をなんだと思っているのか!!

人の命は地球よりも重い?

揺れる「人権の尊重」「命の意味」

「人の命の重さ」というテーマで、考えさせられる内容でしたので、ここに紹介いたします。

みなさんは、どのように感じられたでしょうか。

 

本当に「人の命は地球よりも重い」のか?

人の命は地球より重い

多くの人が、耳にした言葉だと思います。

これは1977年、日本赤軍が日航機をハイジャックした際に、当時の福田赳夫(たけお)首相が語った言葉として知られています。

「人の命はこの地球よりも重いのだ、だからどれだけのお金を積んでも、命には変えられない」

そう言われれば、特別に理由を示されずとも、同意する人が多いのではないでしょうか。

にもかかわらず、その重いはずの命が、中東では内戦により、シリアだけでも40万以上も失われたといわれています。

日本でも減ったとはいえ、毎年、約2万4千人もの人が自ら命を断っています。これでは到底、人の命は地球よりも重いとはいえないのではないでしょうか

また新聞を開いたり、テレビをつけたりすると、親が子供に対する虐待で逮捕された、学校でのいじめを苦に子供が自殺した。

大人についても、上司のパワハラで長時間労働を強要されて自殺したなどのニュースが踊っています

「虐待の疑いがある」と警察が児童相談所に通告した件数は右肩上がりになっていることも、それを裏付けています。

あまりにも多いため、一つ一つについてだんだん驚かなくなっている自分の感覚にハッとさせられることがあります。

これはどういうことなのでしょうか。

人権をどうして尊重しなければならないのか、その理由がわからない

国の基本である憲法では、「基本的人権の尊重」をうたっています。

ですが、なぜ基本的人権を尊重しなければならないのか、納得できる理由を探してみると、実はその理由がわからない、と気づくのです

人権は、欧米の天賦人権思想(あらゆる人間には神から授かった生得の権利がある、という考え)に端を発しているといわれています。

しかし神から与えられたということで問題が何ら解決されないことは、無差別に銃が乱射されることもある欧米の状況を見れば明らかです。

日本でも、1年前に障害者施設に侵入して多数の障害者を殺害した犯人が、「障害者は家族や周囲を不幸にしているから、その不幸を減らすためにやった」とその動機を語ったといわれていますが、それは人の命の重さを真っ向から否定する考え方です。

パラリンピックなどで、障害者が困難を乗り越えて記録に挑む姿が多くの人の感動を呼んでいますが、その根底にある、努力が尊いという考え方は、努力するのが困難となった重度の認知症の人の命の重さを意味づけてはくれません

命の意味の解明が求められている

そこで憲法学者や哲学者も、人権の意味を色々と基礎づけようとしていますが、成功しているとはいえない状況です。

ある法学者は、人間を評して、「人間は、何人もの人と働き、二人で愛し、一人で死ぬ」と言っています。

人間は、多くの人と働く社会の構成員としての面と、愛する家族の構成員としての面と、最後死んでいくときは一人一人という極めて個人的な側面とがあります。

たとえ、社会や家族の構成員として一定の満足を得たとしても、最後はそれらと別れて一人で死んでいかねばならない孤独な存在こそ、人間の真の姿なのです

高齢化社会が進行し、多死社会となったといわれます。

そんなときだからこそ、やがて歳をとって身体が不自由になり、最後は必ず一人一人死んでいかなければならない人間の命の意味、その重さの解明が求められています。

 

一人の生命は全地球よりも重い

「一人の生命は全地球よりも重い」という言葉は、人間の命の重みや尊厳を強調した表現として広く知られています。

地球だけに生命が誕生した理由 - YouTube
このフレーズは、特に中村正直によるサミュエル・スマイルズの著作『自助論』の翻訳過程で使用されたものであり、以降の日本の法律や政治の場でもその重要性が取り上げられてきました。

歴史的背景

「一人の生命は全地球よりも重い」という概念は、明治時代の思想伝承の一環として浸透し、日本国憲法の解釈や重要な事件に影響を与えてきました。
 
1948年には最高裁判所がこの言葉を引用しつつ、死刑制度の合憲性について言及しました。
 
この判決においては、日本国憲法第36条に基づき「残虐な刑罰」は禁じられているものの、一人の命の重要性も同様に考慮されました。
 
合憲であるとされる一方で、未来の展望には疑問が残る意見もありました。
 
特に、死刑制度に関しては社会がどう判断するかが問われています。

政治と倫理

1977年に発生したダッカ日航機ハイジャック事件では、当時の総理大臣福田赳夫が「一人の生命は全地球よりも重い」という考えをもとに、犯人の要求に応じる決断を下しました。
 
人質の命を救うため、国内の過激派メンバーの釈放と多額の身代金が支払われることになりました。
 
このような状況から、人命を最優先に据える価値観がどのように政治的な判断に影響を与えるのかが明らかになります。

社会的価値観

最近の事例として、女性が土俵から降りるべきかという議論があります。
 
この中でも「一人の生命は全地球よりも重い」という立場からは、命と伝統的なしきたりとの対立が浮き彫りになります。
 
この論争は、人命を最優先する価値観が強調される一方で、倫理的な問題をも孕んでいます。
 
これにより、人命の尊重が社会で如何に受け入れられ、または拒否されるかに対する批判の声が注目されています。

現代の影響

さらに、コロナウイルス感染症の流行時には、橘川俊忠氏がこの価値観の影響について発言しています。
 
彼は、命の重視とそれに基づいた倫理観が、政府の経済対策や規制解除の決定に大きな影響を与えたと指摘しました。
 
このように「一人の生命は全地球よりも重い」という考え方は、現代社会においても引き続き重要な倫理的指針として機能しているのです。

結論

この言葉は、個々の命に対する尊重が私たちの社会の礎であることを示すものです。その考え方は、司法、政治、倫理において深く根付いており、ますます複雑な状況に対して私たちはどう向き合うべきかを問いかけ続けています。
 

日本人皆殺しは、着実に進行しています!!

 
 
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