風見鶏という異名で知られる中曽根康弘元首相死す!!
日本国内に54基原発を建設して、核ビジネスを始めた男!!
今月の29日が、中曽根康弘元首相100歳の誕生日であったが!!
風見鶏という異名で知られる中曽根康弘元首相は、死んでいたという!!
なぜ中曽根が風見鶏と言われるか?
(引用開始)
中曽根は「政界の風見鶏」と呼ばれた。
政界入りしたときから首相になることを目標としてきた彼は、権力の表舞台に立つためなら手段を選ばなかった。
まさに「変身・適応の人」である。
1947年改進党に入党した彼は、1955年の自民党結成後河野一郎(河野洋平前外相の父)派に属していた。
しかし河野の死後派閥を引き継いだ中曽根は、河野と対立していた佐藤栄作に取り入って初入閣を果たした。
その後「三角大福」(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫)の4人が自民党内で権力闘争を繰り広げた1970年代、中曽根は彼らの中で上手く立ち振る舞った。
時には田中・大平と、時には三木と、時には三木・福田と手を結ぶ相手を変え、中曽根は常に政治の表舞台にたった。
そして1982年最終的には田中の力で首相になった。
内閣発足当初は田中の意向に沿った内閣を組閣して「田中曽根内閣」と批判されたが、田中が病で倒れると田中を見限って独自の内閣を組閣した。
そして次世代のリーダー「安竹宮」(安部晋太郎、竹下登、宮沢喜一)を翻弄して1987年前首相の指名という形で竹下内閣を発足させた。
その後田中派を引き継いだ竹下派(経世会現在の橋本派 平成研究会)が数と金の力で自民党を支配するようになっても、経世会の実力者金丸信や竹下にひけを取ることなく、自らの影響力を保ちつづけた。
(引用終わり)
政治家にとって最大の目標は、首相になることであり、そのためには悪魔にでも魂を平然と売る!!
その典型的な男が中曽根康弘であった!!
中曽根の凄い所は1953年に訪米して、いち早くキッシンジャーの子分に政治家としての権力を手にした!!
自らアメリカの「踊り子」の道を選んだのである!!
最も、歴代の総理大臣はアメリカの「踊り子」にしかできない!!
古今東西、権力者の大半が「ホモ」という隠された事実があることをご存知ですかな?
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