もっちゃんのボケ防止日記

新型コロナウイルスに感染しないよう三密を避けて鳥撮りに嵌っています。

水の張られた田んぼ見て歩く

2016年05月10日 14時52分51秒 | 日記
 朝方は小雨がぱらついていたが、昼間は少し晴れ間も見えた。そのためか、少々蒸し暑い。

 今日は用事があって朝から車で出かけた。たまには車も動かさないとバッテリーがダメになる。しかし、年々運転に自信がなくなっている。特に車幅の感覚が鈍くなり、対向車とすれ違う時に一瞬緊張する。

 運転免許を取得してから48年経つが、事故は一度も経験したことがない。また、警察に捕まったこともない。たまたま運がよかっただけだと思っているが、ゴールド免許は続けたいものだと思っている。

 用事を済ませたあと、健康福祉村に寄って見た。ウィークデーにも拘わらず、駐車場はほとんど埋まっていた。テニスコートにもランニングロードにも大勢の人がいた。

 池には水鳥の姿はなく、カワウが1羽だけいた。あれだけいた鳩の姿もない。林の中を歩いても、鳥の声が全くしない。冬鳥は皆去ってしまったようだ。



 公園の周りにある田んぼを見て歩いた。田んぼには水が張られ、トラクターが動いている所もあった。既に田植えが終わっている田んぼにシラサギがいた。

 畑のジャガイモには花が咲いていた。田んぼの脇に咲いているアヤメがきれいだ。



 他にも何か来ているかと探してみたが、シラサギとムクドリばかりだった。

 また、雨が降り出しそうになったので家に戻ることにした。散歩しただけだが、家に帰ると万歩計は7,300歩になっていた。

赤の女王仮説?

2016年05月09日 16時21分50秒 | 日記
 今日は朝から曇り空。午後には小雨もぱらついてきた。出かける気にならず、1日家で過ごす。テレビもあまり見ないので、こんなぐうたらな生活をしていたら呆けてしまうかも?

 今朝の新聞に「不思議の国のアリス」の話が載っていた。

 「ありったけの力で走り続けなくちゃならないのよ。その場にとどまっているためにはー。」

 この話を受けて、アメリカの研究者が提唱したのが「赤の女王仮説」だそうだ。

 例として、「キツネが獲物を捕らえる能力を高めたら、ウサギやネズミは速く逃げたり上手に隠れたりする力を磨かないと滅びかねない。その逆もまた真なり。キツネと競ってウサギなどを狙うオオカミにしても、絶滅のおそれに直面する。」とある。進化生物の世界では重要な考え方に通じるそうだ。

 新聞のテレビ欄を見ていて、ふと考えた。今晩も「YOUは何しに日本へ」がある。始まった頃はよく見た番組だが、最近はあまり見ない。他の番組でもそうだが、同じパターンでやっていると見ている方には必ず飽きが来る。そこで、テレビ局は次から次へと新しい番組を作ることになる。

 正に「赤の女王仮説」の通りだ。視聴率に追い立てられて走り続けるテレビ局が哀れに感じる。テレビ局だけではない。ラーメン屋でも回転寿司でも…、皆同じことが言える。

 人生も同じかもしれない。その場にとどまっているためには走り続けるしかないのだ。ぼうっと時間が過ぎるのを待っていたら、自分が自分でなくなってしまうかもしれない。

 そんなことを考えると、明日は何かしようと思う。

 

31枚もの広告チラシに思う

2016年05月07日 08時29分28秒 | 日記
 昨日は弟の定期検診のために病院へ付き添い。ゴールデンウィーク中のためか、休日ではないのに都内の道路は渋滞してなかった。病院も、人の姿がいつもより少なかった。
 月1回の定期検診だが、行くと1日がかりとなる。病院の数も医者の数も増えたにも拘わらず、待ち時間の長さは相変わらずだ。朝家を出て、帰ってきたのが午後。結局何もしないで1日が終わった。

 今日は土曜日。毎度のことながら、新聞に入ってくる広告の多さにうんざりする。数えてみたら、何と31枚も入っている。衣料品に電気製品、マンションにお墓、スーパーのチラシと様々だ。
 どの広告を見ても、カラー印刷だ。これにかかる費用は相当なものだろう。紙の原料となる木材を考えるとぞっとする。

 広告はさらっと見て、あとはリサイクルに回すだけだ。何と無駄なことか。何とかならないものかと思うのは私だけだろうか。

 インターネットが普及した今、自分が必要とする情報はいつでも手に入れることができる。31枚の広告には、私にとって必要な情報はほとんどない。それなのに、一方的に送って来ることに腹が立つ。ダイレクトメールも同じだ。

 広告を作っている業者は困るかもしれないが、無駄なことは止めて欲しいものだと広告を眺めながら思う。

 今日と明日は所属している組織の会合がある。そのため、ウォーキングもサイクリングもなしだ。せっかくの良い天気が惜しい気がする。

41㎞走っても アマサギに出会えず

2016年05月05日 14時55分49秒 | 日記
 今日は、こどもの日だ。祝日法によれば「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことが趣旨で、端午の節句である5月5日をこどもの日として1948年に制定されているそうだ。(私が産まれる二年前のことだ)
 端午の節句と言えば、我が家では菖蒲湯に入る。子どもが小さい頃は勿論のこと、今でもその習慣は続いている。日本の伝統文化は引き継いでいくべきものだと思う。

 昨日の強風には参ったが、今日は朝から快晴で風もない穏やかな日和だ。見沼田んぼにアマサギが来ていると聞いたので、出会いを求めて出かけることにした。
 コサギやチュウサギ、ダイサギとは何度も出会ったが、アマサギと出会ったことはない。図鑑を見ると頭部から胸にかけて亜麻色のきれいな鷺だ。



 まずは芝川第1調節池に行く。冬枯れしていた葦原も緑になり、清々しい。鴨はいなくなったが、釣りをしている人がいる。中には、池の中に入っている人もいる。



 みちくさ道路を走っても、野鳥に出会うことはなかった。アマサギは田んぼにいるのではないかと思い、田んぼを捜すことにした。
 昔から見沼田んぼと呼ばれているが、いくら走り回っても田んぼがない。ほとんどが畑だ。それも野菜畑ではなく、植木や花苗の畑ばかりだ。耕された畑を探したが、アマサギの姿はない。
 やっと、水の張られた田んぼを見つけたがアマサギの姿はない。畦にセグロセキレイがいた。アオスジアゲハが飛んできたので追いかけてみた。花のある所に止まったので、急いでシャッターを切る。しかし、一枚撮れたと思ったら、直ぐに飛んで行ってしまった。野鳥もなかなか撮影できないが、蝶も難しいものだ。



 アマサギを探して走り回ったら疲れてしまった。そこで、見沼自然公園に行き昼食とする。ここの池にも鴨の姿はなく、カイツブリが1羽いただけだ。



 おにぎりを食べていると、シオカラトンボが飛んできた。池の端にはカメがいた。よく見ると、ミドリガメだ。家で飼っていたものを放したのだろう。あちこちでカメを見ることが多いが、ミドリガメが異常に増えている気がする。生態系が壊されていることは間違いない。
 この前、ムギワラトンボを見つけたが、あれはメスでオスがシオカラトンボだ。池の畔でクラリネットの練習をしている人がいる。

 食後もアマサギを探して歩いたが、とうとう出会うことはなかった。残念。

 家に帰ると、今日は41㎞も走っていた。でも、またアマサギとの出会いを求めて出かけようと思う。
 

久しぶりにバイク(50cc)に乗る

2016年05月04日 13時01分33秒 | 日記
 昨晩は春の嵐が吹き荒れた。朝方には雨は止んだが風は収まらない。日が差して気温がどんどん上昇している。今日は「みどりの日」。朝刊を見ると一面緑色の特集紙面になっている。伊勢神宮の内宮南側に広がる神路山を流れる五十鈴川上流部の大きな写真が載っている。こんな所をのんびりと歩いてみたくなる。

 出かけようと思ったが、あまりの風の強さのために自転車は諦めた。そこで、久しぶりにバイクを持ち出した。バッテリーの充電を兼ねて、見沼田圃まで走ることにした。

 走り出すと強風でバイクが倒されそうになる。車とぶつかっては危険なので、裏道を走ることにする。

 見沼田圃の中をぐるぐる走り回っていたら、コンクリ造りの用水があった。バイクを止めて覗いてみるとたくさんの鯉が集まっている。バシャバシャと水音を立てて雄が雌を追いかけ回している。



 しかし、コンクリの水底で卵はどうなるのだろうか。泥もなければ水草もない。必死に産卵の動きをする鯉を見ていたら、哀れな気がしてきた。人間の都合で作り替えられてしまった用水、昔の用水であれば産卵も楽だっただろうにと思う。
 用水にはコサギもいた。小魚がいるようで、じっとそのチャンスを狙っている。



 みどりの日とは、自然に親しむと共にその恩恵に感謝し、豊かな心を育むことを趣旨としているという。田圃の畦道がアスファルトになり、用水がコンクリ造りで鯉が産卵もできない状態を見たら、みどりの日が色褪せてきてしまった。