こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は埼玉県鳩山町と同県嵐山町の境にある峠
笛吹峠(ふえふきとうげ)を掲載してみたいと思います
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/6d/1b0000037984a08bc864b0f141056eff.jpg)
鳩山町より笛吹峠へ車を走らせていると、峠手前に案内表示
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/4f/42cc5d2391de89a60218d68d02d73cf4.jpg)
鳩山町側から見る笛吹峠(ふえふきとうげ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/75/956ffd1fe405fc09dc08c50c52c9bd90.jpg)
笛吹峠(ふえふきとうげ)標高80m
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/4a/58d7d011eeb418be3a0064ed8086b68d.jpg)
笛吹峠看板隣に設置されている史跡案内板
笛吹峠は、嵐山町と鳩山村の境にある峠である
峠を起点として、坂東10番の岩殿観音から同9番の慈光寺観音へ続く
東西の道は、巡礼街道と呼ばれ、この峠を南北に貫く道が旧鎌倉街道で、
かつて、数多くの武士団等が往き来した所であった
正平7年(1352年)閏2月、新田義貞の三男、
義宗等が宗良親王を奉じて武蔵野の小手指が原で
足利尊氏と戦ったが、最終的に結末がついたのが
この峠の地であった
新田義宗等は越後に落ちて行き、
足利尊氏はこれ以後関東を完全に制圧していった
「笛吹峠」の名称については、この敗退の陣営で、
折からの月明りに宗良親王が笛を吹かれたことから
命名されたという伝承がある
なお、この付近は、遠く奈良時代に窯業の中心として栄え、
武蔵国分寺瓦の大部分がこの付近で焼かれ、
その古窯跡が虫草山をはじめ須江・大橋・泉井などの山間部に
多く見られる>笛吹峠から、はるか北方に上州の山々、
西方に秩父連山、南方に広い関東平野が遠望され、
風光明媚な歴史の地である
と記されています 現在は風光明媚な環境ではないと思われます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/e9/d92b9c27eb5db12437b063e283059086.jpg)
「史蹟 笛吹峠」石碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/85/125fa9f17cfec262bcde2624fe8af665.jpg)
鳩山町側から見る笛吹峠(ふえふきとうげ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/75/5a457b830fd130dbd090aa35b128a9a7.jpg)
笛吹峠の大きな標識板と説明板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/51/6c0fab7721e343773e8533915abae5a9.jpg)
嵐山町側から見る笛吹峠>町境が「林道将軍沢線」の終点
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/68/92a89e38c303ad9317efd826e216b45f.jpg)
なだらかな勾配の笛吹峠
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/af/eaf4eee70687f035e13768dfada964dc.jpg)
鳩山町側は「笛吹通り」と名付けられています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/06/ba7cbb7f8f03c172c0ba769d2cf45be0.jpg)
笛吹峠より鳩山町側を眺める
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は埼玉県鳩山町と同県嵐山町の境にある峠
笛吹峠(ふえふきとうげ)を掲載してみたいと思います
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/6d/1b0000037984a08bc864b0f141056eff.jpg)
鳩山町より笛吹峠へ車を走らせていると、峠手前に案内表示
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/4f/42cc5d2391de89a60218d68d02d73cf4.jpg)
鳩山町側から見る笛吹峠(ふえふきとうげ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/75/956ffd1fe405fc09dc08c50c52c9bd90.jpg)
笛吹峠(ふえふきとうげ)標高80m
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/4a/58d7d011eeb418be3a0064ed8086b68d.jpg)
笛吹峠看板隣に設置されている史跡案内板
笛吹峠は、嵐山町と鳩山村の境にある峠である
峠を起点として、坂東10番の岩殿観音から同9番の慈光寺観音へ続く
東西の道は、巡礼街道と呼ばれ、この峠を南北に貫く道が旧鎌倉街道で、
かつて、数多くの武士団等が往き来した所であった
正平7年(1352年)閏2月、新田義貞の三男、
義宗等が宗良親王を奉じて武蔵野の小手指が原で
足利尊氏と戦ったが、最終的に結末がついたのが
この峠の地であった
新田義宗等は越後に落ちて行き、
足利尊氏はこれ以後関東を完全に制圧していった
「笛吹峠」の名称については、この敗退の陣営で、
折からの月明りに宗良親王が笛を吹かれたことから
命名されたという伝承がある
なお、この付近は、遠く奈良時代に窯業の中心として栄え、
武蔵国分寺瓦の大部分がこの付近で焼かれ、
その古窯跡が虫草山をはじめ須江・大橋・泉井などの山間部に
多く見られる>笛吹峠から、はるか北方に上州の山々、
西方に秩父連山、南方に広い関東平野が遠望され、
風光明媚な歴史の地である
と記されています 現在は風光明媚な環境ではないと思われます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/e9/d92b9c27eb5db12437b063e283059086.jpg)
「史蹟 笛吹峠」石碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/85/125fa9f17cfec262bcde2624fe8af665.jpg)
鳩山町側から見る笛吹峠(ふえふきとうげ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/75/5a457b830fd130dbd090aa35b128a9a7.jpg)
笛吹峠の大きな標識板と説明板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/51/6c0fab7721e343773e8533915abae5a9.jpg)
嵐山町側から見る笛吹峠>町境が「林道将軍沢線」の終点
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/68/92a89e38c303ad9317efd826e216b45f.jpg)
なだらかな勾配の笛吹峠
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/af/eaf4eee70687f035e13768dfada964dc.jpg)
鳩山町側は「笛吹通り」と名付けられています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/06/ba7cbb7f8f03c172c0ba769d2cf45be0.jpg)
笛吹峠より鳩山町側を眺める
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます