気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

古代、中世の息吹を感じる峠1話

2024-02-21 13:19:05 | 登山に通った峠道
こんにちは!
blogカテゴリー登山に通った峠道も98話となり、
訪れた峠道を少し振り返ってみたいと思います
印象に残った絶景が広がる峠、歴史を感じる峠、最も美しかった峠等
掲載してみたいと思います
2024年も関東甲信越を中心とした歴史散歩を楽しめる峠、
絶景を楽しめる峠等巡っていきたいと思っております
今回の振り返り記事は古代、中世の息吹を感じる峠1話を
お届けしたいと思います

雁坂峠(かりさかとうげ)景観
雁坂峠(かりさかとうげ)は、埼玉県秩父市と山梨県山梨市の境にある峠
標高2,082m
奥秩父の山域の主脈の一つであり針ノ木峠、三伏峠と並び、
「日本三大峠」に数えられる



雁坂峠付近より望む富士山

雁坂峠頂上より眺める富士山

雁坂峠付近の景観

峠の頂上には笹薮の草原が大きく広がり、南側に広い展望が開けている
日本三大峠(飛騨山脈越えの針ノ木峠2,541m、赤石山脈越えの三伏峠2,580m、
奥秩父主脈越えの雁坂峠)のひとつ
武田信玄の軍事用路「甲斐九筋」の一つ
『日本書紀景行記』に「日本武尊が通った」と記載されている



雁坂峠の歴史は古く、
日本書記には日本武尊が蝦夷の地平定のため利用した道と
記されているため日本最古の峠道といわれています
また武田信玄の軍用道路、江戸時代から大正にかけては
秩父大滝村の繭を塩山まで運ぶシルクロードとして使われました
そんな歴史ある峠です

雁坂峠(かりさかとうげ)

古代、中世の息吹を感じる雁坂峠景観

静かに佇む雁坂峠(かりさかとうげ)

妻坂峠に建つ小さなお地蔵さま
延享4年(1747年) 275年前供養のため建てられた石仏

武甲山登山口(生川)から妻坂峠へ





妻坂峠の景観

妻坂峠は
埼玉県西部の名栗地区と秩父横瀬町との境に位置し、
奥武蔵大持山と武川岳の鞍部となっている
妻坂峠(つまさかとうげ)   標高839m
その昔、妻坂峠は秩父から江戸、鎌倉へと通じる主要道路であった
鎌倉時代に秩父の荘官、畠山重忠が鎌倉に遠征するとき、
妻を峠まで見送らせ>名残を惜しんだのが峠の名前の由来であるとか
室町末期の1572(元亀3年)、小田原の北条氏を攻撃した
上杉謙信が、飯能から麓の名栗川を越えて出陣し、
妻坂峠を通って大持山に陣を取ったという記録がある



静かに佇む妻坂峠に建つ小さなお地蔵さま

高麗峠(埼玉県日高市) 標高170m
「高麗」は名前が示すとおり、
1300年以上前に高麗人が渡来したという
長い歴史的関係を有する場所であり、
また石器時代の住居跡があるという長い歴史のある場所でもある

日高市巾着田(曼珠沙華群生の)より高麗峠へ

高麗川を渡り高麗峠へ



静かに佇む高麗峠(こまとうげ)
かつて、古代朝鮮半島には「高句麗」という国が栄えていました
しかし、唐(現在の中国)や隣国の新羅との戦いに敗れて
668年に滅亡してしまいます
そこから逃げ延びた人たちを716年に受け入れ、
現在の日高市を中心につくられたのが「高麗郡」という
ある種の行政区でした

高麗峠周辺には武蔵丘ゴルフコース、
宮沢湖ムーミンバレーパーク等があり、
人の声が聞こえてくるほどです

遊歩道沿いにある古き石仏

秩父山地の東麓、高麗川の谷口にある巾着田付近景観


最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう









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