こんにちは!
blogカテゴリー登山に通った峠道も98話となり、
訪れた峠道を少し振り返ってみたいと思います
印象に残った絶景が広がる峠、歴史を感じる峠、最も美しかった峠等
掲載してみたいと思います
2024年も関東甲信越を中心とした歴史散歩を楽しめる峠、
絶景を楽しめる峠等巡っていきたいと思っております
今回の振り返り記事は古代、中世の息吹を感じる峠1話を
お届けしたいと思います
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/fc/8655f602d5bf764581f4332928fd6769.jpg)
雁坂峠(かりさかとうげ)景観
雁坂峠(かりさかとうげ)は、埼玉県秩父市と山梨県山梨市の境にある峠
標高2,082m
奥秩父の山域の主脈の一つであり針ノ木峠、三伏峠と並び、
「日本三大峠」に数えられる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/e2/08b4739fce4104723edbd68620d19087.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/be/e3910d6252927b13b37db6e14665421e.jpg)
雁坂峠付近より望む富士山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/36/0ff578c8ef0436e878a1dbcae3070368.jpg)
雁坂峠頂上より眺める富士山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/2b/9bd1e45d70e60db4b4d6f4f7c7aee713.jpg)
雁坂峠付近の景観
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/8c/6e2b363877b5860dc6fdbbf8503931b9.jpg)
峠の頂上には笹薮の草原が大きく広がり、南側に広い展望が開けている
日本三大峠(飛騨山脈越えの針ノ木峠2,541m、赤石山脈越えの三伏峠2,580m、
奥秩父主脈越えの雁坂峠)のひとつ
武田信玄の軍事用路「甲斐九筋」の一つ
『日本書紀景行記』に「日本武尊が通った」と記載されている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/0c/78672d4ae13541bd22b00313d153d472.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/f5/d7f6f5c24c7369e0d2497d2cb553e2b1.jpg)
雁坂峠の歴史は古く、
日本書記には日本武尊が蝦夷の地平定のため利用した道と
記されているため日本最古の峠道といわれています
また武田信玄の軍用道路、江戸時代から大正にかけては
秩父大滝村の繭を塩山まで運ぶシルクロードとして使われました
そんな歴史ある峠です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/22/8e6a0b417d8d036d51db06bfc7514c04.jpg)
雁坂峠(かりさかとうげ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/c0/0cf96553148d616310e7f9748aac6e2a.jpg)
古代、中世の息吹を感じる雁坂峠景観
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/da/04dbf0a2e837b5944feca27ae4897952.jpg)
静かに佇む雁坂峠(かりさかとうげ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/f9/9cc55753d0bde15da8d23a81e8db9db4.jpg)
妻坂峠に建つ小さなお地蔵さま
延享4年(1747年) 275年前供養のため建てられた石仏
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/87/138664b3d613a881ff577447693b29af.jpg)
武甲山登山口(生川)から妻坂峠へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/4a/b59cdc3c79347b0319d1591f08fb87be.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/44/b11d14984aef90571d42d786a8a209e0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/db/0f00fbe822c1a5da3665d70ee00b1e8e.jpg)
妻坂峠の景観
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/bc/d6b1af660f3e1e459d1e3d306a7039d1.jpg)
妻坂峠は
埼玉県西部の名栗地区と秩父横瀬町との境に位置し、
奥武蔵大持山と武川岳の鞍部となっている
妻坂峠(つまさかとうげ) 標高839m
その昔、妻坂峠は秩父から江戸、鎌倉へと通じる主要道路であった
鎌倉時代に秩父の荘官、畠山重忠が鎌倉に遠征するとき、
妻を峠まで見送らせ>名残を惜しんだのが峠の名前の由来であるとか
室町末期の1572(元亀3年)、小田原の北条氏を攻撃した
上杉謙信が、飯能から麓の名栗川を越えて出陣し、
妻坂峠を通って大持山に陣を取ったという記録がある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/63/413bad763d2056c63a79d06a076ebb90.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/68/7e4a4c079a3cdca58d615d6e6489e112.jpg)
静かに佇む妻坂峠に建つ小さなお地蔵さま
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/27/2ba32364c8eeb01df740a40a4dfb1953.jpg)
高麗峠(埼玉県日高市) 標高170m
「高麗」は名前が示すとおり、
1300年以上前に高麗人が渡来したという
長い歴史的関係を有する場所であり、
また石器時代の住居跡があるという長い歴史のある場所でもある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/32/ab6d01f9e3bb0f84ea475cd54e5ec182.jpg)
日高市巾着田(曼珠沙華群生の)より高麗峠へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/4d/8af774e1f77fe3b8f839df186c86beba.jpg)
高麗川を渡り高麗峠へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/91/6b95c48971b96b795a5327eb5520f8bd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/f4/939456df06968a0db609968fd65b4533.jpg)
静かに佇む高麗峠(こまとうげ)
かつて、古代朝鮮半島には「高句麗」という国が栄えていました
しかし、唐(現在の中国)や隣国の新羅との戦いに敗れて
668年に滅亡してしまいます
そこから逃げ延びた人たちを716年に受け入れ、
現在の日高市を中心につくられたのが「高麗郡」という
ある種の行政区でした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/d7/50893f6ec88b0adb5efa0f74032d3fc7.jpg)
高麗峠周辺には武蔵丘ゴルフコース、
宮沢湖ムーミンバレーパーク等があり、
人の声が聞こえてくるほどです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/c9/8b18ef4c7e1c1365122cf7dbadc435be.jpg)
遊歩道沿いにある古き石仏
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/dd/1ee80fa6d600c9768b8d4bf43db3dd7a.jpg)
秩父山地の東麓、高麗川の谷口にある巾着田付近景観
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
blogカテゴリー登山に通った峠道も98話となり、
訪れた峠道を少し振り返ってみたいと思います
印象に残った絶景が広がる峠、歴史を感じる峠、最も美しかった峠等
掲載してみたいと思います
2024年も関東甲信越を中心とした歴史散歩を楽しめる峠、
絶景を楽しめる峠等巡っていきたいと思っております
今回の振り返り記事は古代、中世の息吹を感じる峠1話を
お届けしたいと思います
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/fc/8655f602d5bf764581f4332928fd6769.jpg)
雁坂峠(かりさかとうげ)景観
雁坂峠(かりさかとうげ)は、埼玉県秩父市と山梨県山梨市の境にある峠
標高2,082m
奥秩父の山域の主脈の一つであり針ノ木峠、三伏峠と並び、
「日本三大峠」に数えられる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/e2/08b4739fce4104723edbd68620d19087.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/be/e3910d6252927b13b37db6e14665421e.jpg)
雁坂峠付近より望む富士山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/36/0ff578c8ef0436e878a1dbcae3070368.jpg)
雁坂峠頂上より眺める富士山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/2b/9bd1e45d70e60db4b4d6f4f7c7aee713.jpg)
雁坂峠付近の景観
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/8c/6e2b363877b5860dc6fdbbf8503931b9.jpg)
峠の頂上には笹薮の草原が大きく広がり、南側に広い展望が開けている
日本三大峠(飛騨山脈越えの針ノ木峠2,541m、赤石山脈越えの三伏峠2,580m、
奥秩父主脈越えの雁坂峠)のひとつ
武田信玄の軍事用路「甲斐九筋」の一つ
『日本書紀景行記』に「日本武尊が通った」と記載されている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/0c/78672d4ae13541bd22b00313d153d472.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/f5/d7f6f5c24c7369e0d2497d2cb553e2b1.jpg)
雁坂峠の歴史は古く、
日本書記には日本武尊が蝦夷の地平定のため利用した道と
記されているため日本最古の峠道といわれています
また武田信玄の軍用道路、江戸時代から大正にかけては
秩父大滝村の繭を塩山まで運ぶシルクロードとして使われました
そんな歴史ある峠です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/22/8e6a0b417d8d036d51db06bfc7514c04.jpg)
雁坂峠(かりさかとうげ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/c0/0cf96553148d616310e7f9748aac6e2a.jpg)
古代、中世の息吹を感じる雁坂峠景観
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/da/04dbf0a2e837b5944feca27ae4897952.jpg)
静かに佇む雁坂峠(かりさかとうげ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/f9/9cc55753d0bde15da8d23a81e8db9db4.jpg)
妻坂峠に建つ小さなお地蔵さま
延享4年(1747年) 275年前供養のため建てられた石仏
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/87/138664b3d613a881ff577447693b29af.jpg)
武甲山登山口(生川)から妻坂峠へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/4a/b59cdc3c79347b0319d1591f08fb87be.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/44/b11d14984aef90571d42d786a8a209e0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/db/0f00fbe822c1a5da3665d70ee00b1e8e.jpg)
妻坂峠の景観
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/bc/d6b1af660f3e1e459d1e3d306a7039d1.jpg)
妻坂峠は
埼玉県西部の名栗地区と秩父横瀬町との境に位置し、
奥武蔵大持山と武川岳の鞍部となっている
妻坂峠(つまさかとうげ) 標高839m
その昔、妻坂峠は秩父から江戸、鎌倉へと通じる主要道路であった
鎌倉時代に秩父の荘官、畠山重忠が鎌倉に遠征するとき、
妻を峠まで見送らせ>名残を惜しんだのが峠の名前の由来であるとか
室町末期の1572(元亀3年)、小田原の北条氏を攻撃した
上杉謙信が、飯能から麓の名栗川を越えて出陣し、
妻坂峠を通って大持山に陣を取ったという記録がある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/63/413bad763d2056c63a79d06a076ebb90.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/68/7e4a4c079a3cdca58d615d6e6489e112.jpg)
静かに佇む妻坂峠に建つ小さなお地蔵さま
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/27/2ba32364c8eeb01df740a40a4dfb1953.jpg)
高麗峠(埼玉県日高市) 標高170m
「高麗」は名前が示すとおり、
1300年以上前に高麗人が渡来したという
長い歴史的関係を有する場所であり、
また石器時代の住居跡があるという長い歴史のある場所でもある
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/32/ab6d01f9e3bb0f84ea475cd54e5ec182.jpg)
日高市巾着田(曼珠沙華群生の)より高麗峠へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/4d/8af774e1f77fe3b8f839df186c86beba.jpg)
高麗川を渡り高麗峠へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/91/6b95c48971b96b795a5327eb5520f8bd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/f4/939456df06968a0db609968fd65b4533.jpg)
静かに佇む高麗峠(こまとうげ)
かつて、古代朝鮮半島には「高句麗」という国が栄えていました
しかし、唐(現在の中国)や隣国の新羅との戦いに敗れて
668年に滅亡してしまいます
そこから逃げ延びた人たちを716年に受け入れ、
現在の日高市を中心につくられたのが「高麗郡」という
ある種の行政区でした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/d7/50893f6ec88b0adb5efa0f74032d3fc7.jpg)
高麗峠周辺には武蔵丘ゴルフコース、
宮沢湖ムーミンバレーパーク等があり、
人の声が聞こえてくるほどです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/c9/8b18ef4c7e1c1365122cf7dbadc435be.jpg)
遊歩道沿いにある古き石仏
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/dd/1ee80fa6d600c9768b8d4bf43db3dd7a.jpg)
秩父山地の東麓、高麗川の谷口にある巾着田付近景観
最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます