★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイで3.11を想う

2021-03-12 18:01:43 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイで3.11を想う(私的メモリアル)

昨日は10年目の3.11だった。

実は3.11があった年、自分はベトナムに正式に移住したのである。

それまでも2つの会社を合わせ、ベトナムには9年近く通ってはいたが

ヘッドハンティングされて移ったITメーカ(CAD/CAM)に結局は7年在籍し

退職した。理由は「私をヘッドハンティングした社長は栄転し」

後任社長と意見が合わず「円満退職」とはいかなかった。

実はその前の会社(そのころは世界一の自動車用プレス金型メーカと言われていた)

をやめた理由も「親族会社であるこの会社の内紛に巻き込まれ」派閥に所属していなかった

私は「そのころ花形の3D設計部署を立ち上げ、ようやくT,N社に並んだところだったが」

ここでも「私を登用していた役員が内紛で左遷され、後任は前に役員のやったことは全て

排除したため」結局ここまで築いた「素晴らしいシステム」はお蔵入りとなってしまった。

(国の補助金を3億円もつぎ込んだPJCだったが)

それを契機に「使っていたCADメーカの社長から声がかかり」結局部下を4名連れて

転職した。4名はこのPJCの主要メンバーだったため、退職後は「このPJCで構築した

T,N社にも負けていなかったシステムは「誰もサーバや、DBの立ち上げさえもできなくなり」

3億円の血税をつぎ込んだこのシステムは「スクラップになってしまった」すまんことである。

この年の11月11日にハノイに現在の会社を立ち上げ、今に至るのである。

想えば、社会人になってからの人生は「会社の慣習に従わなかった故に」、結局自分で

会社を行わざるを得なかったような気がする。

3,11いずれにしろ私にとっても思い出深い「メモリアル」である。

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