ベトナムハノイで3.11を想う(私的メモリアル)
昨日は10年目の3.11だった。
実は3.11があった年、自分はベトナムに正式に移住したのである。
それまでも2つの会社を合わせ、ベトナムには9年近く通ってはいたが
ヘッドハンティングされて移ったITメーカ(CAD/CAM)に結局は7年在籍し
退職した。理由は「私をヘッドハンティングした社長は栄転し」
後任社長と意見が合わず「円満退職」とはいかなかった。
実はその前の会社(そのころは世界一の自動車用プレス金型メーカと言われていた)
をやめた理由も「親族会社であるこの会社の内紛に巻き込まれ」派閥に所属していなかった
私は「そのころ花形の3D設計部署を立ち上げ、ようやくT,N社に並んだところだったが」
ここでも「私を登用していた役員が内紛で左遷され、後任は前に役員のやったことは全て
排除したため」結局ここまで築いた「素晴らしいシステム」はお蔵入りとなってしまった。
(国の補助金を3億円もつぎ込んだPJCだったが)
それを契機に「使っていたCADメーカの社長から声がかかり」結局部下を4名連れて
転職した。4名はこのPJCの主要メンバーだったため、退職後は「このPJCで構築した
T,N社にも負けていなかったシステムは「誰もサーバや、DBの立ち上げさえもできなくなり」
3億円の血税をつぎ込んだこのシステムは「スクラップになってしまった」すまんことである。
この年の11月11日にハノイに現在の会社を立ち上げ、今に至るのである。
想えば、社会人になってからの人生は「会社の慣習に従わなかった故に」、結局自分で
会社を行わざるを得なかったような気がする。
3,11いずれにしろ私にとっても思い出深い「メモリアル」である。