★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「健康診断の重要性」

2021-12-08 17:55:07 | ベトナム・ハノイ

 健康診断、日本では珍しくない事だが、今回はベトナムでの「健康診断の重要性」を述べたい。

さかのぼること5年前、社員の一人が深刻な顔で「話が有ると」

 故郷(ハノイから200km)のお父さんが「病気になり、お金を貸してほしい」との事だった。

会社でも初めてのケースだったが「人道的見地で会社として融資」した。

 その後お父さんは「ハノイの病院に転院し、手術を受けたが、おなかを開いてみると

手の施しようがなくそのまま閉じてしまったそうである。末期の胃がんだった」

ハノイに来てから、そして落ち着くまで「そのころ社宅として使っていた1室を提供しハノイでの居場所として

提供もし、様子も見に行った」しかし残念な結果だった。原因は、ベトナムでは「集団検診」などなく、病気になって発見するときには

既に「悪くなってからしか発見できない事情」があった。このお父さんんも田舎で体調悪かったのに

薬や設備の無い町医者で我慢に我慢を重ね、いよいよ耐えられなくなりハノイの病院に来たが「手遅れだったのである」

 そしてその2年後、その社員をまた悲劇が襲う。今度はお母さんの体調が悪くなり「ハノイの病院に来ることになった」

父の死後その社員は「父の借金返しをまじめに行っていたが、今度は母親のことで同じ融資を受けなければならなくなった」

そして今回も「手術をしたが、やはり発見が遅かったためその後故郷でなくなってしまった。末期の乳がんであった」

 原因は同じであった。「健康診断」を行ったことさえなかった。

「本当に悲しく大変な出来事が繰り返された」

その後も社員の中で「同じような悲劇が複数回あり、会社としてもその都度融資を行った」

会社も楽ではなかった時期には「大変だったこともある」

(ベトナムでは日本で言う健康保険は有っても実用的でなく、その範囲で治療をしてもらちが明かないような

状況なのである)

 こんな状況があったため、会社では「自分の親御さんの健康状況を把握し、少しおかしい場合には

ハノイへきて健康診断を受けるようお達しを出した」

 そして社員自身もベトナム労働法で決められている年1回の「健康診断」は必ず行っている。

(お金の問題から結構大手の会社でも健康診断を行っていない会社もあるが、何度も悲劇を見てきた

弊社では、必ず受けさせる)

 そういう自分も健康診断(人間ドック)で3年ほど前に病気が発見され、とりあえず命拾いをした経験者なのだ。

大手メーカに居るときは「会社の健康診断があったが、ベトナムで起業してからは、5年間全く健康診断を受けていなかった」

そして6年目、会社も少し安定し「人間ドック」を受けられる余裕ができて、「何とはなしに人間ドックを予約」し、父が肺がんで

亡くなっているせいもあり「肺ドック」をオプションで付けたことで「初期の肺がんが発見でき、手術を受けて現在2年と5か月が

経ったのである」(自覚症状など全くなかった)身をもって「健康診断の重要性を分かっているがゆえに、社員の家族や社員自身は健康診断を怠らず

病気になっても早期発見、早期治療ができる社風を作りたいと思う」

 自分は日々「爆弾を抱えて生きているようなものだ」若い社員たちにはこんな思いはさせたくないし、

そして「ちょうど自分と近い社員の親御さんにもこれ以上の悲劇を起こしたくない」

確かに「健康診断」はベトナムではないがしろになっている、だからこそ少なくとも社員とその家族には

是非健康診断を受けられる環境を提供したい。

 社員のコロナワクチンの最新接種状況の報告を見ながら、そんなことを考えた。

 

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ベトナムハノイの「自分のこれからと終活」

2021-12-08 10:30:02 | ベトナム・ハノイ

 昨夜、寝る前にYOUTUBEを見ていたら「セネカ」という哲学者の「人生の短さについて」という

今の自分と言うよりも、それなりの年齢になった人たちが誰しもが考えている内容について語っていた。

16分程度の内容なので見てみたが、「少々考えさせられる内容だった」

*我々の手にしている時間は決して短くは無い。

★我々は人生を浪費している・・・時間の浪費が原因・・・人生はいつ終わってしまうかもしれない

⇒それなのに50になったら、60になったらとやりたいことを先延ばししている。

色々あったが、自分の理解としては

★毎日を人生最後の日のように「生きよ」⇒やりたいことを先延ばしするな⇒将来なんて来るかどうかわからない

⇒だからやりたいことを「今」やれ

 だと理解した。あと30年前に「こういう内容を知っていたかった」と思ったが

もしかすると、知っても「同じ人生だったかもしれない」と思った。

これまで周りから「考えるより先に感覚で動く人(考えなし)」と言われ続けた自分である。

 但し、これからの生き方にあたって、今、少し悩んでいた方向性が見えたような気がした。(気がしただけだ)

 

今やりたいことを行う(仕事でも遊びでもプライベートでも)

*自分の責任(立場)をわきまえる。自分は「金を残すは下、組織を残すは中、人を残すは上」という

故 野村監督の言葉を座右の銘とする。

*今の自分の境遇(がんの再発、会社経営者の責任、家族の責任、個人としての自分 等々)を考えた時、「やるべきことをやっておく」

事は大切だが「やりたいことをやっておくこと」もより重要だと考える。(これが自分流の終活と思う)

*そして「今日が人生最後の日であるように生きたい」と思う。

 

 こんなことを考えたのは「人生初めてである」やはり「大病を患ってからはいろんなことを考えるようになった」

ブログに書く内容ではない。しかし「良い事、悪い事をすぐ忘れてしまう自分にとっては、形として残し、

たまには思い出すべき。」と考えてあえて記す。

 コロナ禍、日越間の行き来ができない、などなど、最近会社で時間を持て余し気味の自分にとって「喝」を入れる

事としても重要な事だったのかもしれない。

 1晩開けて、寝ぼけた頭で考えた内容が予想以上に残っていて、会社に来てそんなことを考えた。

*さしあたってやったのは「寒い朝、日本茶を入れて、好きなソイ(おこわ)を食べた」事である。

自分らしいと思った。

 

 

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ベトナムハノイの「4歳友人の近況」

2021-12-08 09:31:38 | ベトナム・ハノイ

 毎度コロナの話題だ、自分の住むアパートでF0感染者が多数発見された。

4歳友人母上から「不要不急の外出は避けるように連絡があった」

現在でも出退勤と「プール通い」以外はうろうろしないが、それでもエレベータは使う。

感染者は32階と33階で発生したらしい。今までよりもエレベータ使用時は

消毒を頻繁にするようになった。しかし現在のハノイはそれでも「規制の強化はしない選択を取っている」

 そんなわけで、アパートでもハノイ街中でも「危険であることは間違いない」

可哀そうに「4歳友人はどこも出れずにかれこれ半年ほどおこもり生活が続いている」

通っているかの名門「モンッテンソーリ幼稚園」も今年はもう閉園するそうである。

親御さんも大変である。食事や家での世話の負担が大きくのしかかるのである。

 通常はおばあさんあたりが田舎から出てきて面倒を見るのがベトナムのスタンダードだが

彼女のおばあさんは「体が弱く、田舎からなかなか出てこれない」そういうわけで、おじいちゃんが

一時的に同居し「4歳友人、加えて家族の面倒を見ている」母上もその妹さんも家事から解放され

重宝しているようである。ちょうど母上の仕事場オフィスでコロナ感染が起きたため「在宅業務」

になっているので都合がよい。

 しかし「4歳友人にしたら、ストレスはMAXに達している」先日お誘いがあり、この「4歳友人」と母上、妹さんで

恒例の週末買い物に出かけた。(重量物を大量に買いこむため、荷役として自分が活躍するのだ)

この時の「4歳友人の状態が尋常ではなかった」

*会うなり、手を引っ張って「店内中を小走りで走り回った」疲れると今度は「抱っこをせがみ、自分を

自由自在にコントロールし店内を巡回した」久しぶりだが、自分を忘れてはいなかったようで安心した。

(もちろん指示はベトナム語、右左、直進、Uターンなど

4歳にして完璧にベトナム語を操っている。時々彼女の言うことも理解できない事があると、怒られる)

・・・母上は「久しぶりに会ったので喜んでいるよ、と笑っていたが」

自分にしたら「重労働である」、汗かき体質の上、マスク着用なので「ジムで1000m泳ぐのよりも疲れた」

母上も「自宅に隔離状態なので、はじけた」と言って「喜んでいた」

私も「良い運動と、それなりの満足感であった」(自分も知らないうちにコロナで毎日変わらない生活になり、

自然とストレスがたまっていたようである。普段ない状況に触れるのは「楽しいものである」)

 買い物を終えレジに並んだ頃は「4歳友人も疲れ果て、妹さん抱かれて寝入ってしまっていた」

彼女もさすがに疲れたのだろう。 少しでも「ストレス解消になったならば、友人として幸せである」

昨日「妹さんの誕生日の時の写真が送られてきた」

 「4歳友人はかの家庭で主導権を握っている」 母上の誕生日であろうが、妹さんの誕生日であろうが

最初にケーキに手を付けるのは「彼女」である。

そして彼女はこうして「自分の好きなようにおもちゃや食べ物を並べるのが小さい時から好きなのである」

彼女の通学する「モンテッソーリ幼稚園」はかの「ビルゲイツ、ジェフベゾス、マークザッカーバーグ、

ラリーペイジ、バラク・オバマ、藤井壮太 等々そうそうたるメンバーを

輩出している幼稚園」である。いつの日か「4歳友人の彼女が、どのように成長するのか楽しみである」

 送られてきたこの写真を見ながらそんなことを考えた。

「4歳友人」はいつも自分の周りにこのように「好きなものを配置して楽しんでいる。

もちろん最初に食べ物に手を付けるのも彼女である。正面にあるのが私が送った「花である」

そして右においてあるスイカは、買い物に行った際「彼女に指示で買わされたスイカだ」

彼女は「スイカジュースが大好きである」

早く以前のようにまた、一緒に遊べる日々が来てほしいものである。

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