2月7日(水)からカレンダー上は「テト休み」に入るベトナム。
昨日「初めて昼間(昼食を兼ねた)の忘年会を行った」
「コロナ禍~円安~日本の自動車産業の低迷」以来「在宅方策」をとった我が会社は
それなりに遠方からの通勤者もいるため「今回は昼間の忘年会になった」
年中ヒマな自分にとっては「特段問題はない」 社員がバイクでアパートに迎えに来てくれて
会場に向かった。もうハノイは「テト前の華やかな状態だった」道端の「テトの花(桃の枝、小さなミカンの木、等々」
「テト用品の屋台」がたくさん並び、いつもの年末の風景だ。
そして宴会会場に着き、宴会が始まった。「すでに人数は25名足らずになった社員」で忘年会に出席するのは
聞くところによれば18名との事。全員出席したが、なぜか「椅子も料理も足らないようだ」
改めて見ると、「会社は女性が70%」しかも「この不況下残ったのは古株の優秀な社員たちだった」そして彼女らは
既に結婚し、多くがお子さんを授かっている。この子供たちで一番上は10歳になったという。そして気づけば
彼女らに多くは「子供を同行し、会社の忘年会は、さながら幼稚園と化していた」ベトナムの忘年会や社員旅行は
「気づくと、子供や旦那さんや奥さん、そして
時々は親戚や友達まで飛び入り参加していることが少なくない」 昨日の忘年会は「社員の子供たちがたくさん参加し」
気づけば「人数分の席や料理では全く足りず、テーブルを追加し、料理も追加したらしい」
まあ、楽しければそれでよい。ひとしきり飲み、食べ「改めて現在の会社状況を見れば」
*会社の主力である「女性陣の主力」はほとんどが「子持ち」になり、こうした「忘年会にもお子さんを同行する会社になった」
会場を走り回る子供たちを見ながら「会社がそれなりの間存続できたことが感慨深かった」
12年前、52歳で単身ハノイに来て、会社を作り、現在に至るが? ・・・自分が今、こんな状況に居ることが
「何か夢のようである」 心地よい感覚で「食べ飲み」楽しい忘年会だった。
ここまで来るのに「いろんなことがあった」が、未だ会社が存続できていることに「社員に感謝した一日であった」
さてテトまで「あと数日」・・・年末のあわただしさが続く。
忘年会途中社員のお子さんたちが入交り、年代は違うが「仲良く遊んでいた」
わが社の「優秀な女性技術者たち」である。まぎれもなく「すでに日本の同種の技術者を凌駕する技術を
習得している」いずれは「ベトナムのモータリゼーションに貢献する人材たちだと信じている」
頼もしい「女性の立派な技術者たち」である。
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