★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「プール事情」

2021-11-10 15:37:13 | ベトナム・ハノイ

 ようやく「待ちに待った」「プールが使えるようになった」

4歳友人の母上から先週の半ば「ジムが再開され、週末からプールも使用可能になりますよ」

と朗報が入った。

 思えば4か月「水から遠ざかった生活をしていた」

自分は、「趣味は水泳」とはっきり言えるほどの「水泳好き」なのだ。

小学校3年ごろから水泳に目覚め、夏休みにはずっと「午前中はプール通い」午後は「川に行き泳ぐ」

休みの日には「市民プールで泳ぎ」 おかげで「群馬県の利根沼田地区では専門の平泳ぎではランクトップ」

群馬県の平泳ぎランキングにも上位にリストアップされるようになった。

さすがにこの地域「冬は泳げないが、地元中学、高校は水泳の強豪校、OB,OGの力が強く、冬にも四万温泉まで連れていかれ、小学生、中学生

高校生合同で温水プールで合宿まで行っていたのである。そんな環境で育ち、この下地が作られた。

 社会人になってから、何か「水泳関連資格」をとろうと、「日本赤十字協会の水泳救助員資格に挑戦し取得した」

(この資格があると公営のプール入場はフリーである、しかし責任重いのであえてその特権は一度も使ったことは無い)

日本では1年じゅう週3回水泳に通い、ほぼ45分で2000mを泳いでいた。

ベトナムに居を移してからも、夏は会社近くの一般プールで、混雑の中、1000~2000m

を泳ぎ、「来ると長距離を泳ぎすぐに帰るおじさん」として地元で有名に。

よく「小学生の親から、うちの子に水泳を教えてくれ」と言われ、1,2度教えたこともある。

さすがにベトナムでも9月末で屋外プールは閉まるので「民間の温水プールにバイクで通った」

 そして会社も安定し、プールが併設されているアパートに入居できるようになり2か所目が今の住居である。

小学生からの人生で、「4か月も水に入らなかったのは、初めての経験だった」

本当に長かった・・・

 うれしくて、うれしくて日曜日から3日連続で「会社から帰り、腰もつかずにプールに行った」

(日曜日の午後なのにプールには誰もいなかった、監視員は昼寝中、4か月ぶりに、感触をしっかりと確認しながら

ゆっくりとセーブしながら1500mを泳いだ。本当に気持ちよかった)

 さすがに「泳ぎは忘れない」そして「今までその代替えで行ってきたランニングよりも長距離を

泳いでも、ストレスを感じないのだ」やはり前世は「魚かアザラシ」だったのかもしれないと、真剣に考えた。

 ここのところ一度減少した「コロナ患者数がハノイでは増加している」

何とか再開された「プールをこのまま閉鎖されずに続けてほしいものである」

 肺がんの手術後、初めて泳いだ時には「25mがやっとで、少なからずショックを受けた」2000m簡単に泳げたの自分が・・・

なんとも情けなかった。

あれから2年半、肺が1/4無いので、もちろんあの頃のようには戻れないが、まあ仕方がない。

休みながらなら2000m以上泳げるまでに復帰できた、まあまあだろう。

 もう以前のように、時間内にできるだけ早く長く4種類の泳法で泳ぐ、ということは無理かもしれないが、

後は「体力を落とさないように、筋力を落とさないように」好きな水泳を楽しみたい。

 誰もいないベトナムのプールでそんなことを「思った」

・・・(初泳ぎから帰ると、思わぬプレゼントが、かの4歳友人宅は、このプールが眼下に見下ろせる位置にある、プールから

「今日は一人だけですよ」とラインを送っておいたら、家のベランダから「自分の泳ぎを動画と写真で撮り」送ってくれていた。

長い水泳人生で「自分の泳ぎを上から見たのは最初だった」うれしかった。しかしこの画像を見ると、やっぱり私の前世は

魚ではなく「アザラシだろうな」と思えるシルエットだった。泳ぎはきれいだったが)

 

 

 

 

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