ベトナムハノイの朝食事情
たまに購入する「ぜいたくな朝食」であるが最近メニューが変わった
私の大好きな「クロワッサンサンド」がメニューから消えてしまった。
がっかりである。
仕方なく「写真にある、ハムアンドチーズのホットサンド」にする
これはこれでおいしいが。やはり「クロワッサンがいい」
このSETが65000VND(≒320円) ベトナム人にとっては高額である。
従ってあまり売れないんだと思う。どうかこの朝食メニューは無くさないでほしい。
ベトナムハノイの朝食事情
たまに購入する「ぜいたくな朝食」であるが最近メニューが変わった
私の大好きな「クロワッサンサンド」がメニューから消えてしまった。
がっかりである。
仕方なく「写真にある、ハムアンドチーズのホットサンド」にする
これはこれでおいしいが。やはり「クロワッサンがいい」
このSETが65000VND(≒320円) ベトナム人にとっては高額である。
従ってあまり売れないんだと思う。どうかこの朝食メニューは無くさないでほしい。
ベトナムハノイで初めての入院
ハノイに住んで11年目、そりゃたまには「体調も崩す」
大体、4-5年に一度「会社を休まなければならないような病気」をしている。
今回は「日本のダメ医療のしりぬぐい」から始まった。
もう5年以上前から「背中に粉瘤」ができていた昨年日本で「パンチ療法」なる方法
で手術をした。「そこの医師曰く、再発率は5%以下だから心配しないで!と」
その後、帰国が叶い、2か月目、なんと早々と「再発した」
それを再手術すべく「ベトナム最高峰(資質や値段、サービス面での)」VINMECに行った。
手術日が決まり、手術当日。医師曰く「あなたは肺がん手術してるので、今回の手術でも
組織検査はしたほうがいいと?」 まさかここで言われるとは???
手術をして「組織検査結果もネガティブ」安心したのもつかの間、「今度は咳と痰が止まらない」
再度「VINMEC]へ、「日本ではやったことの無い呼吸器検査実施」その結果「肺が弱ってると」
(しかし私に言わせると、この検査方法がすこぶるファジー、ちょっとした具合で結果が大きく変わる)
まあ謙虚に「受け止め」1か月後の再診を予約し帰宅。しかしその夜、暑くもないのに「汗をかいて
嫌な感じで夜目を覚ます。嫌な予感で無理やり寝るが、明け方同じく目が覚める。」
もしやと思い「体温測定」38.6℃。。。
翌日から「市販の解熱剤(バファリン)」飲んで熱を下げ仕事に行く生活。
Hからは「医者に行くべき」との指示、しかし「薬を飲むと熱下がり、そのうちに上がらなくなる」というパターンで
今まで来たので、今回もそれを狙ったが? どうにも熱が下がらない。
Hから「叱責」され、ようやく医者に出かける。
(Hのアドバイスはいつも的を得ている。感謝である)
まずは「コロナと、インフルエンザ検査」幸いネガティブ。
しかし「担当医師の顔から冗談っぽさが消え」
*あなたの炎症反応は「正常上限値を20倍以上超えてる」
*肺のCTを取ったが「確実に気管と肺が【肺炎】を起こしている。」との事。
★「即、入院してください」との事。さすがに焦り、 入院を承諾したが
何の準備もしていない。ベトナムで当然一人暮らし。「GRAB」で通院した私は
まさか入院なんて予想もせず「何の準備もしていない」。仕方がない
「絶対にのみ忘れるなという薬を明日の朝の分までもらって、強引に帰宅」
翌日「無事に入院になりました」
ここの病院、さすが「インターナショナルクリニック」と言うだけあって、設備も値段も
インターナショナルでした。
*病室は全室個室、洗面、トイレ、シャワー完備、食事も「ベトナム、日本、韓国、欧米」の複数メニュー
から選択可能。
*しかし、看護レベルはやはり日本のほうが数段上でした。
*夜は何時まででも起きていられ、見回りもなし。(あれじゃあ、何かあってもナースコール押せなかったら
アウトかな?)
*注射の技術や、その他の段取りがやはり日本のほうが上。(点滴のための置き針に手間取っていたいのなんの)
しかしながら「医師の説明や、対応は日本よりも好感が持てる内容だった」
(よく聞てくれて、よく説明してくれる)
そして3日間で退院しました。(肺がん手術も2泊3日だったので同じ日数)
しかし未だ「すべてはクリアになっていない」
この肺炎?そしてそれは「肺がんとの因果関係があるのかどうか?」
肺炎になった肺は「画像が汚くて、判断できないと」3週間後の再検査を
予約した。この検査でようやく今回一連の「症状」の元凶がわかるかもしれない。
ただ「癌でない事を祈るのみ」
ベトナムハノイで3.11を想う(私的メモリアル)
昨日は10年目の3.11だった。
実は3.11があった年、自分はベトナムに正式に移住したのである。
それまでも2つの会社を合わせ、ベトナムには9年近く通ってはいたが
ヘッドハンティングされて移ったITメーカ(CAD/CAM)に結局は7年在籍し
退職した。理由は「私をヘッドハンティングした社長は栄転し」
後任社長と意見が合わず「円満退職」とはいかなかった。
実はその前の会社(そのころは世界一の自動車用プレス金型メーカと言われていた)
をやめた理由も「親族会社であるこの会社の内紛に巻き込まれ」派閥に所属していなかった
私は「そのころ花形の3D設計部署を立ち上げ、ようやくT,N社に並んだところだったが」
ここでも「私を登用していた役員が内紛で左遷され、後任は前に役員のやったことは全て
排除したため」結局ここまで築いた「素晴らしいシステム」はお蔵入りとなってしまった。
(国の補助金を3億円もつぎ込んだPJCだったが)
それを契機に「使っていたCADメーカの社長から声がかかり」結局部下を4名連れて
転職した。4名はこのPJCの主要メンバーだったため、退職後は「このPJCで構築した
T,N社にも負けていなかったシステムは「誰もサーバや、DBの立ち上げさえもできなくなり」
3億円の血税をつぎ込んだこのシステムは「スクラップになってしまった」すまんことである。
この年の11月11日にハノイに現在の会社を立ち上げ、今に至るのである。
想えば、社会人になってからの人生は「会社の慣習に従わなかった故に」、結局自分で
会社を行わざるを得なかったような気がする。
3,11いずれにしろ私にとっても思い出深い「メモリアル」である。
ベトナムハノイで「ベトナム映画」を見る。【青いパパイヤの香り】
言わずと知れた有名ベトナム映画である。監督は「Tran An Hung」。詳細情報は他に譲る。
1950年代、ホーチミンを舞台にした「ベトナム映画不朽の名作」である。
他の映画と同じ、「派手さはないがよく細かいところまで作られた映画である」
ベトナム戦争中という設定だ。ベトナム戦争が終わってすでに45年以上たっていることを
知っているだろうか?終戦後生まれの人ももう45歳以上なのである。
文字通り「うちの会社の社員は【戦争を知らない子供たち】」である。
プロパガンダ風の映画が多い中で、ベトナムの文化を色濃くあらわした
秀作である。
この映画を見て「パパイアサラダに使われる大根の細切りのようなものがどのように
造られるのか初めて分かった」おいしそうな今でも変わらぬベトナム料理も見ることができる。
映画に出てくる「夏に涼を求めて外に蚊帳をつって寝るのも事実である」
無駄な情報だが?
ベトナムハノイの「袖触れ合うも他生の縁」
だいぶ前だが、ベトナムハノイのノイバイ空港に「お客様」をピックアップ
に行った時のこと。(この日は飛行機が大幅に遅れ午後早い時間に行くはずが,夜の到着になってしまった。
少し早めに到着し、出口で待っていると。「いかにもバックパッカー」といういでたちの若い女性が
近づいてきた。「あのー日本人の方ですか?」「実はあそこのATMでお金をおろそうとしたんですが
できなくて、市内(ここから30kmくらいある)に行けないんですが?お金を貸してもらえませんか?」との事
成り行きを聞くと「このATMの話も嘘じゃなさそうだし」貸してあげる(実際はあげるようなもの)ことにした。
大学生で女性1人で世界を回っているらしい。ベトナムは初めてで、夜遅くにおそらくタイからの入国だろう。
色々聞いたら、「おいおい、この時間じゃもう、公共交通機関じゃぎりぎりの時間、そして未だ夕飯も食べてない
泊まるところは”ドミトリー”を予約してあるが、そのお金も前払い。ということで、明日までの「旅費と、ドミトリーの宿泊費
そして食事できる程度のお金を渡しました」それでは気おつけて、ということで別れ際「あのーお金を返すのに、LINEアドレスを
教えてください」ということなので交換した。それで別れてからはもう全然忘れていたのだが?
どのくらいたったのだろう? 突然のLINE。読んでても思い出さず?間違いかな?と思い読み進むにつて
やっと思い出した。「あの日の困っていた大学生」からのラインだった。
大学の卒業年度になり、企業面接を受けているが「たくさんの疑問や不安があると」そして「自分はラッキーな出会いがあるとも?」
素直に現実を見つめてるようでした。色々聞かれ「自分の思ったことを返し、なんとなく人生相談のように
なっている」ベトナムハノイに住んでいると、このような経験も時々する。
ベトナムハノイを嫌いにならないでほしいと「困ってる人にできることをやっただけだが?」
不思議なものである。
日本の言葉で言えば「袖触れ合うも他生の縁」ということだろうか?
個人的な見解だが、「日本の若者は外にもっと出るべきである。内側から見る日本と外から見る日本は大きく違う
それを体感してほしい。旅行でも何でもいい。一度外から日本を見ることをお勧めする」(日本の良いところ
ダメなところが日本に居てはわからない事が、少しかもしれないが見えてくると思う)