南のまち、と森の端

南九州の一隅からちょっとした日常の出来事や思いを綴ります。

丁勘切と日向狂句

2017-09-28 20:21:46 | 芸術文化

薩摩狂句、肥後狂句は有名ですが、宮崎にもかつて日向狂句があったのをご存知でしょうか。
大淀川左岸近くの宮崎市鶴島を通りかかった際、小戸神社に寄ってみました。じつに10数年ぶり。この神社の一角に建立されている丁勘切(ちょかんきり)さんの句碑を訪れてみようと思ったからでした。どこに建っていたかな、ときょろきょろ探したところ、ありました。大鳥居わきの方にひっそりと建っていました。
碑の面は薄いコケかカビかで文字が判然とはしませんが、ここには

前の世じゃ志(し)こたま貯めた男なり

の作品が刻まれていて、下の方には骸骨の絵が彫られています。
丁勘切さんは大正時代から昭和の初めにかけて活躍した人で、本名・目野清吉(1887年~1936年)。写真館を開くかたわら、宮崎の地ことばを取り入れた日向狂句を生み出し、新聞投稿の選者をしながら同好者を増やし「へちま会」を結成、その会員は300人に達したとも言われています。号の丁勘切とは宮崎の方言でトカゲのこと。
その丁勘切さんも49歳で亡くなり、へちま会も次第に先細りとなっていき、ユーモアに富み、自由な雰囲気の中でときには世相を風刺しブームになった日向狂句も、いつの間にか今は昔になってしまいました。
現在、盛んな宮崎番傘川柳会の源流のところに丁勘切さん、日向狂句の存在があった、という方もいます。しかし宮崎県立図書館で調べても資料が少なく、このまま埋もれてしまうのは何としても惜しい。宮崎の地言葉を生かした貴重な狂句があったことなどをきっちり記録し、研究しておく必要があると思うのですが…。また、丁勘切さんは宮崎の粋人、風流人として知られていました。庶民史という視点からも貴重なものになるはずです。

ちょかんぎりャ惚れ薬にはなるめかの
米ん値が下落(さがる)心配(しんぺ)で禁酒(やめ)られん
不景気も買方(けかた)が遠慮しやるかり                             
どうしたつか国会議員(だいぎしん)そんげ澤山(ぎょうさん)や
俺んこた人が知っちょる日向ぼこ
     (「日向狂句」第1集 新装版、より抜粋)

小戸神社に建つ丁勘切の句碑

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