『コスプレ』を愉しむ:
と言っても、流石に、この歳になって、ライフ・スタイルを突然、変えてまでも、ゲームのキャラクターになりきって、自らが、手作り衣装を着用して、コスチューム・プレーを愉しむのではない。たまたま、小諸の青雲館 に宿泊していた若い女性の四人組のお客さんが、所謂、『コスプレ』を150年の旧い書院の間で、撮影をするのを、観る機会を得ただけの話である。それにしても、メディアなどで、海外でも、お宅と称するアニメ・コスプレのことは、知識としては、知っていても、その人達と直接接して、会話をすることは、ほとんどなかったのが、実態であろう。それにしても、身勝手な憶測とか、偏見とか云うものは、無意味で、実際に、間近に接して、話を伺ってみると、なかなか、興味深いものである。彼らの情報発信は、今や、ツイッターが主体らしく、逆に、コスプレの愛好者達が、ツイッターを支えているそうである。『刀剣乱舞』というゲーム・チャラクターであるそうで、そもそも、こちらは、ゲーム自体をやったこともなければ、題材を云われても、知るよしもない。早速、パソコンで、検索して、予備調査と知識を得ることにした。話によると、小諸市では、懐古園での屋外撮影を許可しているそうで、当日も、3時間を掛けて、懐古園で、撮影したそうである。何でも、撮影場所によっては、施設の事前許可とかが必要だそうで、その手続きも、結構、大変な予備作業が必要だそうである。又、刀とか、槍とか、衣装・小道具、撮影のための反射板とか、結構、大掛かりな荷物を、移動・搬送しなければならないそうである。それにしても、想像以上に、この撮影というものは、面白いモノである。コスチューム、小道具、撮影の背景場所の選定、屋内・屋外、陽の差し方、光源の設定、歴史の勉強とか、只、単に、『オタク』というカタカナ言葉で、片付けられない『何ものか』がありそうである。これは、一体、何なのであろうか?その瞬間、瞬間のキャラクターによる、決め台詞ではないが、きめポーズをすることにより、その人物になりきるのであろうか?芝居では、非日常性の役柄に、なりきるのであるが、これは、『言葉と行動』によるもので、これが、演技というものに、昇華されるというのであれば、コスプレとは、ある種の衣装・小道具による、非日常性への空間移動とでも云うべきものなのであろうか?言葉を発することもなく、静かに、その情景の中に、まるで、タイムスリップでもするかの如きものなのであろうか?その時、人間は、その演者は、どんな気持ちになるのであろうか?なりすましなのか?バーチャルな非現実的な非日常の時間と空間に、身を置くのであろうか?その時の気持ちとは?もはや、こうなると、観る側から、コスプレを演じる側へと、立場を移さないと、判らないのであろうか?撮影された何枚かの写真を眺めていると、写真撮影というものも、同時に、考えさせられてしまう。これは、一瞬の瞬間的な『記憶』なのか、それとも、非日常的な一寸シュールな『心の軌跡』なのか、そう考えると、旅をすることで、そういう場所探し機会と場所を提供するサービスがあっても宜しいのではないかとも、思われる。次は、四季折々、その時に応じて、屋外でも撮影出来る場所を、紹介してあげたいとも、自然と感じてしまう。早速、ツイッターに、投稿してみた。青雲館 、ツイッター@SeiunkanKomoro にて、写真はご覧下さい。