小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

小諸の里山に埋葬する:

2013年06月13日 | 動物・ペット
小諸の里山に埋葬する:
子供の頃、荘内の公園で、子供達と一緒に、自由に追っかけごっこをしたり、お菓子をベンチに腰掛けて一緒に、食べたり、里山の森の中をリードをつけずに自由に、木の棒をくわえたまま、帰ってこなくなったり、藪の中に突進して、ハァハァと息を切らして、突然、あらぬ方角から出てきて、又、走ってきて、足許に、ベタッと地面に這いつくばって、長い舌をだらりと出して、もう走れないとばかりに、ゴロリと寝転がったりもしたものである。冬には、スキー場で、私が、雪に脚をとられて、ブーツが抜けなくなると、心配して、クンクンと駈け寄り足許の雪を掘り出そうとしたり、直江津の海で、初めて体験する打ち寄せる波の音にビックリして、尻込みしたり、喉が渇いたといっては、湖の水をペロペロ舐めたり、随分、色々な所へ、家族共々、車で、一緒に行ったものである。車に乗ると、自分の座席に、といっても、段ボール製の空き箱であるが、チョコンと飛び乗り、きちんとお座りして、碓井峠のS字カーブも、しっかりと、脚を踏ん張って、左右のバランスを保っていたものでした。外で、飼っていた為か、お向かいさんの勝手口の門番も自分の仕事だとばかりに、宅急便が来る度に、吠えて知らせていたものでした。そのお陰で、ご褒美まで貰ったことがありました。自宅での11日のお通夜は、子供達が帰宅してから、皆んなで、涙を流しながら、お別れでした。後で、女房殿から聞いた話ですが、長女は、「家族が段々と減ってゆき、増やせなくてご免なさい。」と涙ながらに、ポツリと呟いたそうです。長男は、雌犬だったのに、まるで、弟を亡くしたかのようだと、涙を流しながら、身体をさすってやりながら、頬ずりしていました。エメラルド・グリーンの瞳で、しっかりと、いつまでもアイ・コンタクトをして、視線を決してそらすことがなかった瞳は、今や、閉じられて、眠りから覚めようとはしません。翌12日朝、女房殿と一緒に、小諸の里山の玄関脇に佇立している松の樹の横で、且つ、八重桜の樹の近くに、穴を一緒に掘って、消石灰の粉を散布して、安置しましたが、未だ、それ程、死後硬直しておらず、まるで、暖かい毛皮の剥製のように、寝ているようでした。抱きかかえて穴に、入れるときには、涙が溢れ出てきて、作業は、二人で、一時中止と相成りました。暫くして、気を取り直して、再び、東京から持ってきた自宅の土をかけて、埋め戻し、最後に、腐葉土を盛り土として、掻き集めました。そして、長男が、子供の時に作った素焼き製のハウスの作品が、大事にとってあったので、これを目印に、上に、置いて、無事、埋葬が終了しました。後は、東京で、鑑札の返却と狂犬病予防接種記録証明書をもって、死亡届けを提出する段取りだけです。何とも、寂しい限りです。玄関に、置かれていた箱もなくなり、急に広々とした玄関が、やたら、もの悲しく感じられました。親の最期も、海外出張やらで、看取れなかったのに、皮肉にも、我が愛犬から、介護を勉強させて貰い、更に、息を引き取る最期の瞬間に、立ち会わせて貰った機会を得られたことは、何と感謝したら良いのであろうか?最期まで、一生懸命に、生きようとしていった姿を、私は、決して、一生忘れることはないであろう。埋葬して、こんな事を、まさか、我が愛犬から教えて貰うとは、よもや思わなかったものです。もう、再び、動物と一緒に、暮らすことは、恐らく、ないであろう。今は、そんな感慨です。



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