小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

その3:金剛杖のこと

2015年07月13日 | 旅行
四国お遍路の旅、阿波決め打ち脚ならし篇:その3:金剛杖のこと :

徳島港の階段を何とか、一番最後の乗客として、地上に降り立てば、既に、自家用車達は、とうの昔に、埠頭を後にしていた。誰一人居ない切符売り場前で、手荷物を荷台に、据え付けて、安全ヘルメットを被り、透明ゴーグルを装着して、いよいよ準備、完了である。(雨の日のゴーグルは、すぐに、曇ってしまい、視界不良になりやすい。)当面、一番の霊山寺までのナビを再確認である。しかしながら、事前に購入して置いたこの防水ケースのスマホのホルダーというものが、実に、いい加減なモノであることが、既に、この時点で、分かっていたのは、誠に、皮肉なことである。まず、防水が完全ではないということ、又、更には、ホルダーに装着しても、走行中に、突然、何度も、落下してしまうのである。その防止策として、成る程、落下防止の紐がついているわけである。ましてや、雨の中、表示は、曇ってしまい、全く、画面が見えなくなってしまう。この後、結局、ジップロック袋に入れて、都度、見る方式に、変更する。考えてみれば、2000円の投資が空しく、消え去るのみである。ユーザー・レビューにも、出ていたが、大して気にも止めていなかったが、否定的なレビューは、尊重すべきであろう。
まずは、徳島県庁を目指して、走り出すが、既に、雨は、容赦なく、無常に降ってくる。当面、藍住町、板東を目指して、ひたすら、大きな道に沿って、29号線から、192号線へそして、徳島大を右折してⅠ号線を北上、一路、板東目指して、自転車を漕ぐことにした。徳島の道は、自転車には、結構優しいモノである。車道とは別に、自転車専用道路ではないが、実質的に、自転車しか通っていないのである。もっとも、夏草が道半分を蔽っているから、狭まっていることには変わりはない。そんな夏草を払いながら、進んでゆく。道路の整備・管理とは、大変な事であるとつくづく感じる。それにしても、藍住町付近までくると、流石に、疲労感が増してくる。何せ、高校生の自転車にも抜かれるくらいのスピードだから、推して知るべしである。東京でのデータの分析の結果、坂をどのくらい、距離に反映させるかが、ポイントであると考え始める。徳島港から、計算上では、18km程度であるものの、実質的には、2時間以上要した。とりわけ、河というのが、もっとも、それは、言い換えれば、橋なのである。地図上では、フラットな表示であるから、河を渡るのだと、頭では分かっていても、手前から見ると、何と、これが、まずは、長い上り坂である。ギヤーを一番軽くしても、荷物と自分の体重のせいなのだろうか、一挙に登坂することは出来ない。途中で、休み休み、結局、100m自転車を押しながら、休み、又、これを繰り返し、繰り返し、反復して、二つの大きな長い橋を越えることになる。雨が降り続いていると、今度は、登りから、下りに差し掛かると、ブレーキの効きが悪くなり、思い切って、スピードを挙げて下るという訳にはゆかないことが、改めて、実感することになる。高速道路の高架下は、雨よけと小休止には、最適な場所である。途中、道を間違えて、地元の住民に、道を尋ねて、1-2キロのロスは、あったであろうか?昔の人は、地図はどうしていたのであろうか?喘ぎ喘ぎ乍ら、自転車を漕いでいると、目の前を悠然として、白鷺がⅠ羽、右から左前方へ、静かに、緑の穂に蔽われた一面の田んぼの上を飛び去って行った。思わず、一句、浮かんだ。「白鷺の 翼うらやむ 青田かな」こういう心境でした。未だ、目的にも辿り着いていないのに、既に、出発から、2時間ばかり、漕ぎ続けているのに、一番の霊山寺の標識は、見えてこない。しかしながら、程なく、12号線との合流地点で、霊山寺への表示板が眼に入ってくる。遂に、写真で見たことのある一番札所、霊山寺である。作法に従って、山門で、一礼、手水場で、手口を濯ぎ、本堂へ、もっとも、ポシェットに入れてあった線香・蝋燭の箱は、ポンチョの内部の汗と雨のために、湿気ている。おまけに、ライターは、具合悪くて、なかなか、蝋燭や線香に、火が付かない。それでも、何とか、無事に、般若心経を唱えるも、経典はこれ又、湿気ている。こんな雨の日に、しかも、遅い時間だから、参拝者も少ない。大半は、車での巡礼者で、ましてや、自転車や歩き遍路は、ほとんどいない。写真等は、撮る暇もないし、とにかく、宿に着きたい一心である。納経所へ立ちより、山門を出るときに、再び、有り難う御座いますと一礼して、退去する。次の2番である極楽寺の宿坊までは、もう、目と鼻の先である。結局、西へ、自転車で、10分程である。同様に、作法を実行するも、本堂の手前の階段が急峻である。巡礼品の売り場に入ろうとすると、ヤモリが、一緒に、土産店の中に、入ってきた。不殺生を尤もとする以上、踏むことなく、やり過ごして、「金剛杖」を購入することにした。何せ、境内の中でも、歩く場所が、結構、広くて、石の急な階段もあったりで、足許不如意の私には、普段から、念の為に、ノルディック・ポールを杖替わりに、ついているので、今回は、階段で、転けないように、金剛杖をつくことにしたのである。般若心経が、4面に細かく墨字で、書かれた杖を購入することにした。杖は、「同行二人」の意味で、常に、お大師様が、一緒に、傍に連れ添っているという意味があるが、この時点では、そんな意味合いが再認識されようとは、全く想像だにしていなかった。この後、それは、山中で、思い知らせようとは、、、、、、。今回は、残念乍ら、「菅笠」は、安全ヘルメットを被っているので、荷物が多くなるので、購入は見送った経緯がある。従って、死に装束を意味する白い半袖ベスト・タイプと輪袈裟と100円ショップで購入した透明のポンチョを参拝時に、着用することにした。雨に濡れると云うこと、顔を濡らすと云うことの恐れは、既に、この時点では、消滅していた。何と言うこともない訳である。車は、余りに、便利すぎるのかも知れない。雨に濡れないし、群れないし、車内エアコンで、汗で、びしょびしょになることもない。有難い話である。そういうことも、この経験から、学んだ訳である。又、アクセルを踏み込むだけで、急峻な坂道も、苦もなく、登ってしまう。実に大した文明の利器である。
びしょびしょになりながらも、最終的に、2番極楽寺の宿坊へ、五時前には、到着した。宿泊客は、私一人だけであった。金剛杖を洗って、チェック・インである。翌朝は、五時半起床の勤行体験である。不殺生の割には、宿坊内は、蚊取り線香とべープマット完備であった。デング熱も怖いから、ここは、文明の利器に守って貰うこととするか?食事の前には、合掌して、「一滴の水にも天地の恵みが籠もっております。一粒の米にも、萬人の力が加わっております」と合唱して、「戴きます」として、食事を摂取することになる。野菜と刺身のカルパッチョ中心の精進料理は、実に一日2食の身には、実に、贅沢な満腹感をもたらすことになった。「ご馳走様でした、合掌」、久しぶりの一人旅での巡礼は、なかなか、その苦労の割には、様々な日常生活で気が付かないことを、改めて、気づかせて貰えることになる。まだ、旅は、始まったばかりである。余裕がなかったので、一番から二番途中にある、第一次大戦時のドイツ人捕虜収容所跡の記念公園やその当時初めて歌われた第九の里、賀川豊彦記念館に立ち寄れなかったのが、至極残念であった。又、次回にするか?


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