辺見庸、『1★9★3★7』(イクミナ)を読む:
歳をとるにつれて、段々、目が弱ってきはじめて、最近では、白内障を遅らせる眼薬を点眼するのを、ついうっかり忘れようものなら、鳥目ではないが、視界全体が、何やら、うっすらと、霧が掛かったように、ぼんやりとなってしまい、ページの文字が、ぼやけてしまい、老眼鏡を掛けても、いまいち、うまく読むことが出来ない。しかも、それ以上に、本の文字を追いながら、作者の意図をくみ取ろうとする集中力が、間違いなく、落ちていることに、残念乍ら、気づかざるをえない。そんなこんなで、本来、年末から正月休みかけて、何冊かの本を読破する予定で、購入したものの、結局、2月の終わり頃まで、眼をしょぼしょぼさせながら、やっと、読破し終えたところである。
本の内容に関しては、編集・飜訳の友人である専門家に、任せるとして、詳細は、別途、一連のブログで、下記の如く、参照して貰えれば、助かります。本稿では、主として、読む際の心構えを中心に、論じてみたいと思う。http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2015-11-21
三菱重工連続爆破事件の大道寺が、上梓した句集、『棺、一基』のなかで、確か、辺見は、その情景を、まるで、何処か、茫洋とした霧のような靄に蔽われた中で、棺が、一基、おかれているような感じであると評していたが、この『1★9★3★7』の読後感というものは、更に、謂いようのない、何とも、後味の悪い、まるで、何か、悪いものを見た時のような、或いは、悪いものを食してしまった後味の悪さのようなものを、感じざるをえない。謂わば、『良薬は口に苦し!』といったモノなのかも知れない。初めから、心地良さなるものを期待して、読み始めると、緒から、落胆することは間違いないであろう。極めて、居心地の悪さを感じながら、読み進まなければならない、謂わば、映画で謂えば、Rの数が、大変大きな数字であろうか?
そもそも、『記憶の墓場を暴く』という言葉事体が、もはや、一定の覚悟を読む側に要求するかの如くであろうか、考えてみれば、1937年という年は、私が、生まれた約10年ほど前の出来事で有り、それから、8年後には、戦争が終わり、私の生まれた1948年の2年後には、朝鮮戦争が、勃発している。戦争前の10数年前、或いは、天皇による戦後30年談話、或いは、戦後50年、戦後70年という区切りは、本当に、そんな区切りは、可能なのであろうか?それにしても、加害者と被害者を繋ぐ、歴史認識、様々な文化人・政治学者により分析された日本ファシズムのメカニズム、とりわけ、心理的精神的な超国家主義の分析や、多くの小説家や評論家による戦中・戦後の著作や、コメントを、引用しながら、論評するその鋭さは、まるで、さながら、無制限一本勝負の異種格闘技戦デス・マッチの様相である。本書の中に、登場する数多くの評論対象者の著作は、少なくとも、私にとっては、複数の著作は、既に、読みおわったか、或いは、何らかの形で、影響をこれまで受けていたことは間違いあるまい。それらを悉くと謂っては何であるが、根底から、木っ端微塵に打ち砕かれるというのは、読む側の読者にとっては、とても、耐えられないことではなかろうか。作家では、永井荷風、大岡昇平、野間宏、武田泰淳、火野葦平、堀田善衛、金子光晴、石川達三、富士正晴、阿川弘之、そして、名だたる文化人・評論家・学者達までも、小林秀雄、丸山真男、梯秀明、埴生雄高、林房雄、家永三郎、半藤一利、相馬御風、串田孫一そして、吉本隆明ですら、その呵責のない墓を暴こうとする強い意思には、抗することは出来ない。映画の小津安二郎にしても、その映画の描写には、鋭く、切り込んで、その静けさのありふれた日常の場面描写の心の奥深くに潜むものを暴いてしまう。『海ゆかば』の歌詞やメロディーと早稲田の校歌の底流に潜む共通性や、勇ましい行進曲の旋律などの考察も、何か、改めて、気づかされて愕然とするのは、どうしたものであろうか?超国家主義の二重抑圧構造やら、無責任体系の分析も、或いは、今日的な歴史認識の問題も、『現在が過去に追い抜かれ、未来に過去がやってくる』という強迫観念に強い感情も、決して、ズルズルと、そう、なることとなったり、或いは、そう、『なってしまった、』更には、『なっていた』と気が付く時には、全く、茹で蛙状態で、取り返しがつかない、確かに、時間的な経過となっているのである。嘗て、若い時に、両親の世代に対して、『何故、あんな無謀な戦争を止められなかったのか?あんたは何をしたのか?』と詰問したそのこと自体が、そっくりそのまま、今度は、自らに、鋭く、将来、対峙する可能性はないのだろうか?一体、時間とは、『今』とは、何か?そして、記憶とは何か、忘れてしまうとは、どういう意味なのか?忘れないと言うことは、忘れてよいことと、忘れてしまってはいけないこととは、何なのか?私達の脳細胞は、生まれたその瞬間から、脳科学者によれば、忘れるように、出来ているというではないか?それでは、歴史は、いつまでたっても、過ちを繰り返すであろう。考えてみれば、この8年後には、戦争が終わり、その戦後3年ほど後に、自分は、生まれて、再び、その2年後には、朝鮮半島で、戦争が勃発して、その10年後、第一次安保闘争があり、ベトナム戦争を挟んで、第二次安保闘争があり、天皇による戦後30年談話、更には、戦後50年談話、70年談話へと繋がっているが、確かに、『記憶の墓を暴く』という作業は、自らの手で、行った試しは、なかったのかも知れない。加害者と被害者とが、依然として、その歴史認識において、交わらないように、今日、まるで、虐めの加害者が、いつまでたっても、加害者意識を、その関係性の中で、認識しないように、同じ繰り返しが、裁ち切れないでいる。あんなに、進歩的文化人や戦後民主主義の虚妄を暴かれても、或いは、あれ程、鋭く問われた自己否定も、一体、今日、何だったのであろうかと、思われてしまう。阿川弘之への『化石しろ、醜い骸骨!』と言う罵声も、一定の距離感を敢えて保つことを偶然の出会い頭でのふとした衝突なのか、それとも、仕組まれた老人への宣戦布告だったのだろうか?阿川ではなくて、三島由紀夫だったら、どうだったのだろうか?或いは、吉本隆明だったら、更には、司馬遼太郎だったら、どうだったのであろうか?と、私の頭の中では、妄想が、まるで、無制限一本勝負の何でもありの幻のデス・マッチか、或いは、全員参加でバトル・ロワイヤルを、熱望してしまいそうである。もう、眼の前にある、ただ、茫洋とした視界不良は、実は、初期白内障ではなくて、そんな進行を遅らせる小手先だけの眼薬による治療だけでは、視界が、晴れることはなくて、自らの手で、自らの記憶と過去の時間を、自らの墓を掘り起こすかのように、暴かない限り、そうやら、視界不良のままなのかも知れない。読み終わると、まるで、自分の頭を、ぶっとい棍棒のようなもので、ガツンと殴られたかの如き感覚に襲われる。