小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

家電芸人のステマ疑惑に考える:

2013年07月14日 | 社会戯評
家電芸人のステマ疑惑に考える:
何でも、凍ったフルーツで作る「ヨナナス」というアメリカ生まれの家電が関心を集めているという。アイスのようなクリーミーな味わいが特徴とかで、日本でも、ドールが、販売を開始したと、お笑い芸人達が、アメトーク等で、宣伝(?)笑う広告塔(?)として、喧伝されているらしい。もっとも、これまで家電芸人とか、ある種の家電製品をいち早く、紹介してくれたり、使いやすさを説明してくれるので、消費者にとっては、何とも、力強い味方かと思いきや、今や、逆に、「ステマ」(ステルス・マーケティングの略)の疑惑が、浮上しつつあるらしい。もっとも、スポンサー側から、お金を契約して、もらっているわけでもないらしいし、何とも、お笑い芸人としては、痛し痒しといったところであろうか?ステマであるか、否かの判断基準とは、金銭契約や金品の授受の有無と言うことなのであろうか?それにしても、マーケティングとか、販売促進手法の進化(?)は、止まるところを知らないものであることに、改めて、驚ろかされる。競争の激しいお笑い芸人の中で、折角、「家電芸人」というユニークなカテゴリーを生み出したクリエイティブなスタッフ達こそ、全く、お気の毒という他ない。これが、お笑い芸人ではなくて、著名な俳優だったり、歌手だったりしたら、どうだったのであろうか?これまでも、霊感商法や、ネズミ講紛いの詐欺の歩く広告塔を、多くの著名人がやってきたが、仮に、心底、自分が使ってみて、使い勝手が宜しいから、「善意」で、無償で、より多くの人達に、使ってもらいたいと思って宣伝ボランティアをしていたとしたら、一体、こうした善意は、どう評価されてしまうのであろうか?ことほど、左様に、今日、「無償の無垢の善意」なるものは、市場経済の波濤の中では、全く、大海に漂う一筋の「葦の草」のようなものなのであろうか?何とも、お笑い芸人達には、お気の毒という他ない。又、新しいチャラクターか、新しいジャンルを開拓して下さい。大変でしょうが、、、、、、。それにしても、日本という国は、どこまで、弱い立場の人間を、何かにつけて、これでもか、これでもかと、叩くのであろうか?ステマの如何を問わず、情報を取捨選択する側の主体である消費者が、キチンと判断出来れば宜しいのではないだろうか?それとも、それが、今日、機能不全だから、問題なのであろうか?一体、どっちなのだろうか?やはり、両方なのかな?



セキューリティーという厄介な代物を考える:

2013年07月13日 | 社会戯評
セキューリティーという厄介な代物を考える:
何でも、インターネットを活用する上では、確かに、セキューリティーと言う代物は、誠に厄介なものである。直近では、グーグルのメール共有無料ソフトを利用していたために、官公庁の通信のやり取りの記録が、第三者に、公然とみられかねない事態に陥ったとか、何とも、お粗末な話であるが、必ずしも手放しでは、一笑に伏す訳にもゆかないのが、今日の問題点であろう。兎に角、ガチガチに、ガードを堅くすれば、海外出張などの時には、設定を変更したりしないと、国内のネット・ワークに、アクセスできなかったり、結構、不便なものである。そうかといって、ホテルの備え付けのPCから、公然と連絡する訳にもゆかず、誠に、不便極まりないものである。CIAの盗聴工作ではないが、今や、そんなことに、一々、驚いては居られない現状がある。顔写真、一つをとっても、それをアップした途端に、何かの拍子に、自動的な顔認識システムから、個人情報が細かく、知らぬ間に公開・照会されてしまうのが、今日のシステムである。ましてや、FBに、一度、メール・アドレスが、登録されれば、いつの間にか、知らぬ間に、海外から、何やら訳の分からぬ怪しげな高額の仕事の引き合いが、突然舞い込んできたりもするのが落ちである。一体、幾つのパス・ワードを管理していたら良いのであろうか?アルファベットの大文字・小文字・数字・記号などの複雑な組み合わせでの暗証番号も、秘密の質問も、そうそう、覚えきれるモノではない。それにしても、意味不明な見ず知らずの人からの突然の友達リクエストやメールでのオッファーやら、少なくとも、既に、どこからか、砂が、指の間からこぼれ落ちるように、間違いなく、個人情報やセキューリティー情報が、抜けているのであろう。もはや、その前提は、個人情報が何らかの形で、抜けているという事実を直視しながら、対応して行かないといけない事態になっているのであろう。既に、自分の知らぬ間に、被害者から、加害者役へと変身させられているのかも知れない。もはや、アンチ・ウィルス・ソフトだけでは、難しいのであろうか?全く、何とかしてもらいたいものである。素人が安心して、使えるようなものが、実際、欲しいものであるが、どうやら、今となっては、難しそうである。



愛犬が逝ってしまってから一ヶ月が経ちました:

2013年07月12日 | 動物・ペット
愛犬が逝ってしまってから一ヶ月が経ちました:
どうやら、主観的にも、客観的にも、所謂、「ペット・ロス」シンドロームには、ここ、一ヶ月の間では、陥ることはなかったようである。やっと、気持ちの整理もつき始めてきました。もっとも、不意に、我が老犬が、ご飯をせがむ鳴き声や、フエーンという情けない淋しい声が、空耳で、しないわけではないのですが、、、、。その都度、心なしか、寂しくなってきてしまいます。或いは、ドアーを鼻先で、ヒョイと器用に開けて、廊下から歩きながら、顔を出してくるような錯覚も起こらないではないですが。いつも、「ラッキー」と名前を呼ぶと、自分が、「ラッキー」であることを自覚していて、ちゃんと、呼び掛けているこちらへ、顔をヒョイと、向けていたものです。口笛でも、ホイッ、ホイッ、と二度呼び掛けると、遠くからでも、その口笛に反応して、全速力で、長い耳を後ろになびかせながら、急いで、走って戻って来たものでした。この三年間は、体力の衰えを考慮して、室内で、一緒に生活するようにした為か、もう、自分が、人間であるとも思っていた節がみられました。チャッカリ、知らぬ間に、二階へ、階段を登っては、お気に入りのマットの上で、昼寝を決め込んだり、自分の決められたハウスに、食後は、キチンとお座りして、昼寝をする日課でありましたが、、、、、。それも、徐々に、二階への階段や屋上への階段が自力で登れなくなり、やがて、目も耳も衰えて、最期には、あんなに大好きだった散歩ですら、やっと、四つ脚で、立っていられるのが、精一杯になり、脚がもつれたり、角に、ぶつかったり、本当に、可哀想で、自分でも、何故、こうなってしまったのかと、最期の最期まで、自分の「生」を全うしようと、頑張ったものです。先日、動物愛護協会へ、手つかずのドッグ・フードや缶詰、オムツやドッグ・シートや食器やリードなど寄附してきましたが、まるで、人間の遺品を整理するかのようでした。今、やっと、落ち着き、写真の整理をしながら、絵本の最終イラスト待ちですが、今月末には、完成する予定で、おおいに、楽しみです。どんな具合に、仕上がることでしょうか?本当は、生きているうちに、刊行したかったのですが、、、、、、。残念ですが、致し方ありません。「ラッキー、ボスは、何とか、元気だよ!」(涙)




非正規ワーカーのおさいふ、20代、30代の暮らしからみる参院選:

2013年07月11日 | 社会戯評
非正規ワーカーのおさいふ、20代、30代の暮らしからみる参院選:
信濃毎日新聞の上・下2回連載の記事である。今だって、カツカツなのに、、、、、、。共働きの女性の場合とか、目先の金を稼いでるだけ、、、、、パートの40歳目前の男性の場合とか、全く考えさせられてしまう。もう、30有余年も前の話になるが、結婚した当時は、女房殿が、公務員で働いていたので、子供が出来るまでは、そのまま、共働きを選択し、我が給料が、上廻るのには、その後、何年も掛かったものである。勿論、未だ、待機児童の問題も深刻な時代ではなかったので、二人の子供達が出来ても、問題なく、共働きを継続できたし、又、育児休暇や産休休暇なども、それなりに、公務員だったからか(?)それ程、切羽詰まったモノではなかったが、、、、、今から考えると、随分恵まれていたのかも知れない。むろん、共働きも、金銭面からではなくて、同居していた我が母が、若い時に看護婦・助産婦として働いていたから、それなりに、労働・勤労観が、世間とは異なり、女性も資格を生かして、おおいに働くべきであるという哲学と理解があった為かも知れない。それにしても、非正規雇用の社会保険の問題とか、待遇条件の問題とか、結婚とかも出来ないとか、貯蓄もままならないとか、或いは、出産・育児と仕事の両立の問題や長期の育児休暇、待機児童の課題など、様々な課題が、透けて見てとれる。何故、こんなにも、一生懸命働いても、報われることがない社会になってしまったのであろうか?参院選での争点は、憲法論議や原発、復興の問題もあるが、やはり、経済の再生、成長戦略の三本の矢やアベノミックスに伴う経済問題は、避けて通れないであろう。批判をするのであれば、具体的にデフレ脱却・克服の道筋を提示し、正々堂々と、議論し闘って貰いたいものである。さもないと、こうした声が、政治に反映されることは、未来永劫、ないであろうことは、自明の理であろう。父・母子家庭の子供達の貧困の問題だけでなく、親達も又、苦しんでいる現実とは、何なのであろうか?考えさせられてしまう。



太陽光発電パネル、只今、大活躍中です!:

2013年07月10日 | 社会戯評
太陽光発電パネル、只今、大活躍中です!:
屋根の防水シートの工事と、共通して、愛犬も亡くなり、屋上で遊ぶスペースも必要が無くなったので、太陽光パネルを設置して、少しでも節電に、協力しようと試みることにした。補助金の申請締切日に、間に合わせるべく、皆殺到したらしくて、工事日は、予定よりも遅れたものの、無事、設置も完了して、順調に、曇りの日も、どうやら、売電をきちんとしていることが、モニターで、可視化、確認出来るのは、エコ意識を高める上で、何とも賢いシステムである。おまけに、目標数値設定なるものもあって、自由に、売電と買電との差が、分かるようになっているのは、まるで、ゲーム感覚のような、或いは、貯金通帳で、お小遣いが貯まっていくような喜びに共通もしていよう。昼間は、暑い二階での生活を1階に移動させて、節電と太陽光発電による売電、夜は、電力深夜料金をうまく使用して、節電し、更に、これに加えて、近い将来、燃料蓄電池が家庭にも自動車にも、もっと安く普及するようになれば、間違いなく、電力の消費は、一段と抑制されることにもなろうが、、、、、もっとも、過渡的には、原発事故の補償分を、電気料金の値上げ分で、補填して、売電の補助金も、広い意味での税金で、補填して貰っている以上、飽くまでも普及促進の制度上の恩典・恩恵ではあるが、それにしても、想像していた以上に、太陽光による発電が十分、されるものであることに驚きを禁じ得ない。もっと、ガレージとか、壁面とか、倉庫の屋根とか、学校、休耕田とかでも、発電できるように、或いは、農業用水や自然の高低落差を利用した小水力発電とか、木材チップや家畜の糞を活用したバイオマス発電、風力発電とかも広範囲に、活用しながら、多様なエネルギー政策を選択できるように早くなって貰いたいものである。少なくとも、原発政策への賛否は、別にしても、こうした多様な再生可能自然エネルギーの活用に関しては、与野党を問わず、発送電の分離問題とは関係無く、誰も反対する理由はないと思われるが、、、、、、。こうしている間にも、一生懸命、太陽光発電パネルは、文句も言わずに、発電中、貢献してくれているのである。実に有難いことである。利用者の節電意識だけでなく、行動パターンまでも、変えてしまうことは、実に、面白い話ではないだろうか。



地方紙の存在意義を再考する:

2013年07月09日 | 社会戯評
地方紙の存在意義を再考する:
信濃毎日新聞が、7月5日で、創刊140年を迎えるという。東京では、散々、長い間、全国紙を購読していたし、貿易に携わっている間は、40年以上もの間、日本経済新聞を愛読していたものである。今から考えれば、新聞が、とりわけ、メディアの、或いは、情報の中心に位置し、毎朝、出勤前には、隅から隅まで、小さな記事も読破したものである。今日、インターネットやスマホが発達した結果、どこでも、デジタルで、ニュースや情報に接することに不自由はなくなったし、海外に出張したり、旅行に出たりするときにも、大概の情報は、インターネット経由で、知ることが可能になった。そう言えば、海外では、サテライト衛星電信印刷なるものもあったのを想い出す。ビッグ・データの時代、とりわけ、全国紙でなく、地域に密着した地方紙の存在意義は、果たして、こうしたデジタル化の時代に、何処に求められるのであろうか?少なくとも、「情報」に接した後のその見極め、判断は、どうしても、即時性のネットには劣るものの、それこそが、逆に「弱みから強み」になるものであり、「思索・判断の時間猶予と深化」というものであろうか?その意味では、ネット右翼のような、これは、中国でも日本でも同様に、共通するものの、軽薄な即発的な感情的な反発しかなく、付和雷同することなく、一歩冷静に立ち止まった哲学的な深遠な熟慮はみられない。地方紙は、全国紙とも異なり、地域密着とは良いながらも、こうした新聞というメディアの有するじっくり考える思考方式の「訓練をする場」をに日常から与えたいものである。さもなくば、本当の意味での「意見の発信」というものは、育ってこないのではないだろうか?仮に、「情報の発信」というものが、即ち、「意見表明」ということであるとするならば、単なる矮小な「情報の共有」ではなくて、「情報の取捨選択」なり、「騙されないような判断能力の構築」を、培う場として、おおいに、期待したいものである。次の百年後には、絶滅危惧種として、指定されるか、それとも、かろうじて、生き残っているのであろうか?



梢を渡る風の音を聴く:

2013年07月08日 | 自然・植物・昆虫
久しぶりのお陽様のお出ましである。そこで、デッキ・チェァーをベランダに持ち出して、木陰で、空を流れる白い雲を目で追いながら、梢を渡る風の音に、耳を傾けることにしてみた。もう、読書も老眼鏡を掛けなければ、読めないので、目が疲れて仕方が無い。小諸の家は、北側が、浅間山側を背に、赤松林の山というか、御牧ヶ原大地の北の外れで、対して、南側は、道路側で、やや、谷川となっているせいか、冬場でも、浅間おろしの北風は、うまい具合に、遮られ、夏には、谷の下の方から、谷風が、吹き上げられて、梢をざわざわ、ごうごうと大きな音を立てながら、吹き渡ってくる。今年は、どういう訳か、肌寒くて、半ズボン・半袖では、少々、寒くすら感じてならない。それにしても、存外、風の音は、大きなものである。大きくなったドングリの木を揺らしながら、更に大きな太い赤松の大木すら、その枝先をゆさゆさと揺るがす。その度に、又、大きな音で、ざわざわ、ざわざわ、ごうごうと、枝や葉っぱが摺り合わさる音がする。屋外アートで、木枝に吊した薄い貝殻細工の風鈴が、チャリン・チャリンと時折、聞こえてくる。時々、陽が出る度に、春ゼミの合唱と小鳥達のさえずりが、ピピピ、ズビズビ、ピヨピヨと赤松や広葉樹の間を通して聞こえてくる。少し昔だったら、我が愛犬も一緒に、ベランダで、のんびりと過ごしたものを、、、、、、と思うと、又、目頭が熱くなってきてしまう。温泉で、少々、湯疲れした身体には、束の間の梅雨空の下での何とも言えない至福の贅沢な一時である。



中国、「影の銀行」で考える:

2013年07月07日 | 社会戯評
中国、「影の銀行」で考える:
香港を経由しての貿易取引の空取引や貿易統計のねつ造の記事に加えて、これらに関連する資金の流れの中で、中国の「影の銀行」なるものの存在がここに来て、おおいに注目され始めてきている。何と云うことはない、考えてみれば、東南アジアでは、何処の国へ行っても、統計上は、一人当たりのGDPが低く、数字上では貧しいはずなのに、人々には、そんな気配は微塵もみられないことに、よく現地で、驚かされたものであるが、一種の「箪笥預金」、或いは、「出稼ぎ資金」とか、「海外仕送り資金」というようなものが、まるで、地下水脈のように、金融システムとして、生活に密着して、まるで、昔の「講」のようなモノが、形を変えて、言い方を悪くすれば、一種の「ヤミ金融」のような形で、非公然ながらも、堂々と、黙認されてきたのが実情であろう。それは、遠く、出稼ぎ商人の歴史にも由来するものであろうから、もはや、「血の中で継承」されているといっても過言ではないであろう。そんな人達が、今や、資本家となり、共産党員として、選出される権利を有することを許される社会では、流石の太子党出身の指導者達も、どのように、ソフト・ランディングさせるべきか、苦慮しているのは当然のことであろう。思えば、我が国でも、その昔、「ノンバンク規制」なるものが出来る前には、銀行でも、関連会社のリース会社等をファミーとして利用して、形を変えた不動産投資やジャブジャブの資金を投機マネーとして、廻していた事実を忘れてはならない。ましてや、現地での消費者金融やヤミ金融などは、違法な海外送金地下銀行ネットワークが存在する以上、何らかの形で、高度な金融商品や、投資話は、中国という巨大な闇の金融という世界では、サブ・プライム・ローン等の巧妙な金融投資商品に、負けじとも劣らぬ巧妙な罠が、仕掛けられていることは、間違いないであろう。一挙に、日本や米国のように、ハード・ランディングという形で、顕在化するのでなく、一連の事件のキー・ワードを時系列的に、解き明かすと、そこには、何か、恐るべき事柄が、浮かび出されつつあるように思えてならない。本当に、シャドー・バンキング・システムを、うまく、御する手立てが、太子党にはあるのであろうか?天安門の記憶、ウルムチ暴動の記憶、「大衆の怒り」は、一寸したことから、ほころびを見せ始めるかも知れない。いつまでも、あると思うな、親と右肩上がり成長であろうか?きっと、又、周回遅れの訳の分からぬ人民が、「巨額なババ抜きのカード」を引き抜くことになるのであろうか?そして、売り逃げた一部の太子党だけが、ほくそ笑むことになるのであろうか?中国人には、尖閣の問題よりも、こちらの方を質問・議論してみたいところである。



「馬鹿やろうカレー」なるものを喰らう!:

2013年07月06日 | インポート
「馬鹿やろうカレー」なるものを喰らう!:
何とも、キャッチ・コピーが、面白いではないか!思わず「馬鹿」野郎!と叫びたくなる「ウマ=馬」さ。食べたものに「シカ=鹿」わからない味わいをお楽しみあれ!。馬肉と鹿肉(エゾ鹿)を使用したカレーです。、、、、、、と。何でも、若い人に人気があるとかで、結構好評発売中であるそうであると。従って、ジビエのファンを自称する私めとしては、一度は、味わってみたくなり、温泉施設の売店(湯ーふる・たなか)で、このレトルト・カレーを購入することにしました。市販価格が、@600円と通常のレトルト・カレーに較べると随分と高いものの、地域興しの意味からは、土産や話題には、面白いかも知れませんね。果たして、味は、どんなものであろうか?馬肉は、当然、輸入物であろうが、エゾシカは、日本原産であろう。獣の食害駆除にも、協力できるのであれば、応援募金したようなものであろうか?何ならいっそのこと、販売されている地ビールに、つまみとして、「鹿肉ジャーキー」でも、是非、販売して貰いところである。何でも東部・湯ノ丸SAで、販売していると聞いているが、残念乍ら、未だ、食したことはないが、、、、、、。一度、味わってみたいものである。この「馬鹿やろうカレー」の方は、まぁまぁ、肉のごろつき感は、舌でも確認出来たものの、残念乍ら、どちらが馬肉で、どちらが、鹿肉なのかが、識別出来ない自分の味覚音痴が何とも情けない。馬刺しとは、味が違うし、多分、そうだろうなぁという情けない結果になってしまいました。「ビジエ料理」を理解するには、もっと、食べないと駄目なのだろうか?全く、情けないトホホである!皆さんもお試しあれ。何と検索したら、楽天にありました。モノ好きな人は、如何でしょうか?スティック・セニュールとヨーグルトを添えて、食してみました。
http://item.rakuten.co.jp/auc-ikiiki-yama/sh0455-1/
何でも、星空ツアーや満蒙開拓団記念館が開館した阿智村では、鹿肉ソーセージで、ホット・ドッグも、販売開始されたそうであるが、こちらも、いずれ、食べてみたいものである。



子供の貧困対策法成立に考える:

2013年07月05日 | 社会戯評
子供の貧困対策法成立に考える:
私が、子供の頃は、概して、みんな貧乏であったから、綿のジャンパーを着ていても、何とも思わなかったが、やがて、友達の親爺さんが多分東レの部長だった関係からか、一人だけ、ナイロンのジャンパーを着てきたときに、成る程、世の中は、こういうことなのかと、或いは、当時観音扉で有名だった自動車会社の重役の友達の家に、遊びにゆくと、決まって、おやつ時になると、お手伝いさんが、プリンなるものを悪童の人数分用意してくれたときにも、こういうものなのかとも、子供心に、何かを感じたものである。それでも、決して、それ程、卑屈に貧乏であるなどとは、感じたことはなかったし、一緒に学び、よく遊んだものであるし、今日のように、「世代間連鎖」までに、発展することなどなかったような気がするが、、、、、。父の時代などには、昔は、母子家庭であれ、父子家庭であれ、徴兵による軍隊という最終的な逃避行が、許され(?)ていたこともあり、又、親の実家や親戚家族が、何とかして、支援しようとする地域コミュニティーの暗黙の共生・救済支援システムのようなものが存在したものの、今日では、全く、そうしたものは、完全に崩壊してしまっているのが現実である。6人に1人までもが、平均的な所得の半分に満たない世帯では、とりわけ、一人親の家庭では、半数以上が貧困家庭であるとは、、、、、、改めて、その現実の数字に唖然とせざるを得ない。もっとも、具体策に繋がる「解決策の提示」や、具体的な貧困率の「改善数値目標」が示されない限り、みんなで、頑張りましょう的なそんな精神的な風潮では、この法案の行き着く先も知れていよう。まして、これが、世代を超えて、連鎖していくようでは、何らの問題の解決に寄与しないであろう。母子家庭であった父は、貧困家庭であったかも知れないが、少なくとも、私の世代には、決して、連鎖はしなかったが、何が、今と違っていたのであろうか?勤勉だったからなのだろうか、それとも、中学卒でも、学歴がなくても、勉強家だったからなのか、或いは、時代の先を読む眼が備わっていたのか?現実に困っている人を救うこと、支援することも政治の課題ではあるが、そのメカニズムを解明するのも社会学者達の使命であろう。どうも、対症療法だけの議論で、貧困対策も生活保護至急の問題もそうであるが、「根本的なメカニズムの解明」が一向に、なされていないような気がしてならないのは、私だけであろうか?現代の大塚久雄や丸山真男は、何故、出てこないのであろうか?


Shinzo AbeからのLinkedIn経由の投稿メッセージ:

2013年07月04日 | 社会戯評
Shinzo AbeからのLinkedIn経由の投稿メッセージ:
そもそも、SNSは、今や、いろんな種類のツールがあって、使い分けをせざるを得ないが、そんな中でも、LinkedInは、海外からの友人達が、無理矢理、登録してくれと依頼があり、渋々、登録しているものの、ほとんど、使うことがなく、むしろ、迷惑メール振り分けサービスのボックスに、自動的に保存されてしまうのが、せいぜいである。そん折りに、今朝、Mailboxを確認すると、Read Shinzo Abe’s first post on LinkedIn.という文字が飛び込んできた。どこかで聞き及んだ名前である。取りあえず、参院選のネット選挙解禁ではないが、我が国の総理大臣なのであるから、どんなメッセージを書き込んだのか、一寸チェックしてみることにした。主題は、Japan's New Growth Strategy: Bringing Rapid Reform To the Country という題である。なかなか、どうして、やるではないか?病気療養中にでも、三木谷にでも、説き伏せられたのであろうか?それとも、ブレインに、海外SNS関連に詳しい人物でもいたのであろうか?フェース・ブックといい、LinkedIn でもWordpressでも、何でも宜しいが、積極的に、オリンピック招致だけではなくて、日常から、直接的に、全世界のあらゆる不特定多数のメンバーに向かって、意見表明することは、中国の華僑メディアネットワークに対抗する意味からも、大切なことであろう。この一点だけでも、多少は、政治家の意識も変わりつつあるのかとも、思われるが、それは、私の少し期待しすぎであろうか?変わるところと、変わり得ないところと、色々と織り混ざりながら、一歩一歩、進んで行くのであろうか?前進して行かなければ、我が国は、沈み行くことだけは間違いなさそうである。少なくとも、このメッセージを、英文でも、読んでみようかと思わせるところが、おおいに、宜しいではないか?Krugman教授は、どう読むのであろうか?NYタイムスのコラムに寄稿して貰いたいものである。
ちょっと、長いですが、読んでみて下さい:なかなか、興味深い内容である。
Place Japan on a path to recovery. This is the task that was given to me.
Prolonged deflation has been a major challenge and one that has persistently held Japan back. If the real value of money is higher than the value of goods (the very definition of ‘deflation’) then it is inevitable that corporate investment will be discouraged as a result and household consumption will decrease.
The path ahead is challenging. In many ways, those worst affected by deflation are the younger generation. I worry that the vitality and energy of Japan’s youth may gradually disappear.
My colleagues and I did not become politicians to create such a country; one that dampens the outlook for our young people. Simply put, there can be nothing more important than raising young people who have confidence in a brighter future.
A metaphor for deflation is that your body temperature drops continuously, bit by bit.
There is only one solution; deflation must be rooted out in one fell swoop, through bold and practical new monetary and fiscal policies, implemented simultaneously.
Large-scale central bank policy changes and budgetary measures pursued in quick succession were the first and second “arrows” of Japan’s economic revival strategy. The mood in the country has changed dramatically as a result. My goal was to successfully shake Japan out of the ‘deflationary mindset’ that had become so prevalent.
Another important priority is to tackle the ongoing challenges left by the 3/11 earthquake and tsunami, especially for those living in the affected areas. The tsunami, which occurred just over two years ago, was a ‘once in a millennia’ occurrence. In my role as prime minister I have visited the regions affected by the Tsunami and nuclear accident at least once every month to ensure that positive progress continues to be made towards reconstruction.
As long as people who have lost families and homes continue to suffer and live in unfavourable conditions we will be unable to say that Japan is fully recovered and will be unable to face our friends in the international community, who kindly provided their support. Without Japan’s broader economic revival, the victims themselves will be unable to recover and the regions affected will not be able to regain their vitality.
Japan faces significant structural challenges. During the prolonged recession, we lost 500 billion U.S. dollars in gross national income, equivalent to the disappearance of an economy the size of Norway or Poland. As a result, Japan’s government debt is more than twice its GDP.
Needless to say, growth is of vital importance if we are to reverse this negative trend.
Other structural challenges we face include the declining birth rate and ageing population. Both are difficult to solve. If we do not address these now, however, we will reach a stage where we cannot turn back. Japan must act swiftly before it is too late.
So what do we need to do? Unfortunately there is no panacea, nor ‘magic bullet’, to instantly fix these long term challenges. However, one thing is certain: we can expect a greater impact if we target specific ‘catalysts’ that can create a broader knock-on effect on the economy. More can be gained from decisive and ambitious policies than a patchwork of smaller, modest ones.
These ‘catalysts’ are, in effect, the real goal of Japan’s growth strategy.
I have promoted increased participation by women in the workforce, and in management, for many years. This is a ‘social’ policy, but at the same time it is also a very important piece of the broader growth strategy.
Changing Japan’s corporate culture to be more open and receptive to women is an absolute priority. Japan’s business community has, for too long, been dominated by men with uniform ways of thinking. I am determined to encourage women to break through the glass ceiling, and I will prepare the infrastructure to make that possible.
The next challenge is to ‘open up’ Japan and its markets. Upon becoming prime minister, I was faced with the issue of whether or not to pursue entry to the Trans-Pacific Partnership (TPP) Agreement. Voices of opposition were heard even among those supporting my own party. I did all I could do to change their views and, in the end, made the decision to participate in the negotiations. While some are hesitant about such an endeavor, I have no doubt that increased trade will create a positive chain reaction for the Japanese economy.
Japan is also seeking an economic partnership agreement with the EU, free trade agreements with both China and Korea, as well as trade agreements with participants of the East Asia Summit (the 10 ASEAN countries, China, South Korea, Australia, New Zealand, and India).
I also believe it is important that we step up efforts to attract foreign investment. As part of the new growth strategy we have set an ambitious target of doubling the level of direct investment into Japan by foreign companies.
Since I became prime minister, I have often said that I want to make Japan the most business friendly environment in the world.
One effective tool to achieve this will be the creation of ‘National Strategic Special Zones’ for investment. We have learned from past experience that a ‘bottom-up’ approach may be inadequate and open to the risk of hindrance from excessive regulation, vested interests and lengthy decision making processes. The new special zones will instead take a ‘top-down’ approach. I will personally take the lead in managing these initiatives and making the necessary decisions on deregulation and implementation of reforms.
We will review planning regulations that currently restrict the development of urban areas. In addition, we will tackle regulation to allow leading foreign doctors to work in Japan and to allow international schools to be established more easily. We will also change construction regulations to bring people back to the centre of our cities. If Tokyo’s bid for the 2020 Olympics is successful, it will become a valuable catalyst to boost the recovery of Japan’s economy. To host this global celebration of sport would be a dream come true for the people of Japan.
I want Japan to welcome talented people around the world who offer new expertise and know-how and who can themselves act as positive ‘catalysts’ for change in our economy.
Some may question whether Japan is up to this challenge. My response is that we can no longer afford not to meet these challenges, as they will only become more difficult with time. We must seize the moment.
I hope to act as the ‘drill bit’ that can finally break through the bedrock of Japan’s regulatory regime. Positive changes have already been made - structural reform in the electricity market is one example of this. We, the Abe administration, decided to move forward with the division of generation and transmission of electric power. In doing so, we made a decision to put an end to a market oligopoly that had continued for more than half a century. I expect to see new opportunities to emerge as a result, and increased investment in this market.
Japan’s Upper House election will be held this July. A win by the ruling coalition (consisting of the Liberal Democratic Party and New Komeito Party) will send a clear message of support from the public and will signal that it is time to break the gridlock and build upon the positive momentum made thus far.
In conclusion, it is important to clarifying that these efforts will not only benefit the citizens of Japan.
In the first quarter of 2013, the annualized rate of growth was 4.1 percent. Should the Japanese economy extend this 4.1 percent of growth rate throughout the year, it will be the equivalent of the sudden emergence of an economy larger than Israel’s.
The Japanese economy is not small. Measured in nominal GDP, it is larger than that of Germany and the U.K. combined. If a country like ours were to experience negative growth it would likely be the ultimate recipe for “beggar thy neighbour.”
Japan is a nation that takes responsibility for cultivating a peaceful and stable world order grounded in the rule of law. Japan must be strong to be able to make a strong contribution. To continue to do so, Japan requires economic recovery.
“Abenomics” can lift the country out of deflation and onto a growth path. It represents an opportunity for positive engagement with the world and a “win-win” scenario for both the Japanese and the global economy.



マクドナルドが、高級ハンバーグ販売すると?:

2013年07月03日 | 社会戯評
マクドナルドが、高級ハンバーグ販売すると?:
それにしても、一体、いつから、マクドナルドは、変節してしまったのであろうか?デフレ脱却も分からぬではないが、、、、、、。あの世から、藤田田がさぞかし、笑っているであろう?別に、高価格である商品を販売することを非難しているのではない。むろん、デフレの長期化の中で、低価格による販売戦略も、長期の消耗戦による競合各社との熾烈な競争の中で、利益率のよい高級商品を導入しなければならなくなったのは、回転寿司や牛丼チェーンも含めて、その路線転換というか、探りを入れているというか、分からなくはないが、、、、、。それでは、マックが求めていたあの、「バリュー」という概念は、一体全体、何処へ消え去ってしまったのであろうか?誰でも高い食材を原料に使えば、うまいものが出来るし、それなりに、価格帯も高額になるものの、そこに、何か、特別なノウハウや企業努力は、果たして、あるのであろうか?だからといって、不当に安い労働工賃や物流経費も果たして、正当に、反映されているのであろうかという低価格帯の商品を良しというわけでは決してない。まさに、「真の価値」が、その商品にあればこそ、正当に評価されるべきモノではないだろうか?正当な労働対価が、労働者に支払われているのであろうか?アルバイト従業員の時給や待遇は、改善されているのであろうか?回転寿司の高級路線店の商品も、高級ハンバーグも、本当に、そんな「真の価値」が内包され、人気を博することになるのかどうか、この先が、実に愉しみである。まさか、周到に事前準備された全面値上げ戦略の「隠れ蓑」ではないでしょうね!疑い深いおじさんは、そう思ってしまいますが、、、、、。



木枝を利用した壁飾りをDIYしてみる:

2013年07月02日 | 社会戯評
木枝を利用した壁飾りをDIYしてみる:
庭の野蔓は、結構、インテリア・デコレーションやアート作品の製作に素材として、活用しているものの、なかなか、小さな木枝は、せいぜい、切ったままで、朽ちらせてしまうのが関の山である。しかしながら、ふと、ある日、偶然に、菅平高原のプチホテル、ゾンタックで、小枝を何本も麻紐で結び、これを帯地から再生した布地の上に、実に、アートの趣きで、壁掛けとして、飾られているのを見出した。そこで、先日100円ショップで購入してきた麻紐を利用して、庭に落ちている桜の樹の小枝や、松の木枝、太さも樹皮の色も、色とりどりであるが、これを、適当な長さにカットして、なるべくバランス良く、上から、結んで見ただけのものである。もっとも、枝に絡まっていた緑色の蔓草が、ついていたので、これも、飾りに、添えてみることにした。別に、アートでも何でも無い。要するに、いつもの出たとこ勝負の気まぐれDIY工作である。色目が、茶色を基本にしているので、白い壁に掛けてみることにした。ついでに、未だ、飾っていない写真も載せてみました。実に紐の結び方は、いい加減なものである。やっと、結び方の要領を得た時には、既に遅し、終了していたのは、実に皮肉であります。やはり、基本に学び、紐の結び方を勉強しておかなければ、アートにまでは、進化することはないであろう。そこは、DIYの無手勝流であるから、許されるであろうし、初回だから、まぁ、良しとしようか?自己満足以外の何ものでもない。これでは、あまり、進歩はないか?!こんな具合になりました。写真をご覧下さい。



菅平高原、プチホテル、ゾンタックでの第3回「森フェス」を覗く:

2013年07月01日 | 社会戯評
菅平高原、プチホテル、ゾンタックでの第3回「森フェス」を覗く:
もう四半世紀以上も前に、菅平高原で、脱サラして、自ら、リゾート・ホテルを築き上げ、今や、日本代表のラグビー・チームの合宿や著名な一流有力企業のラグビー部の合宿も、手掛ける傍ら、若い人達による「グリーンとリズム」を基調としたワークショップを別館のフォーレス館というログで出来上がった素晴らしい山荘の各部屋と前庭で開き、といっても、そこは、冬場には、目の前がもうゲレンデであるが、そんな広い空間ですら、各地から参集してきた大勢の若い人々で、大きな駐車場は、満杯で、会場との間を行き交うシャトルバスも忙しく、おおいに賑わっていた。それにしても、随分、様々なワークショップがあるものである。どうしても、自分の興味をそそるものが中心となってしまうものの、それ以外でも、なかなか、興味深いものが揃っていた。スノウボードの手作りDIYとか、幼児向けの木製のペンダントや鉛筆DIY、チェーン・ソーによるウッド・カービングのデモンストレーションとか、私が、お土産に購入したのは、紙製の昆虫を立体的にはさみでカットした上に、ニスで色を塗布して、まるで、生きているような感じのクワガタやカブト虫や蜻蛉とか、或いは、カンナの削り木くずを水で濡らして、まるで、リボンや天上からつり下げられるようなインテリア風の形に加工するワークショップなど、いやはや、エコと云うよりも、音楽ライブあり、映画上映あり、アートあり、俳句あり、大道芸、パフォーマンスあり、魚や森や昆虫に関するトーク・ライブ、子供を一緒に連れた若い夫婦が、オーガニック・フーズを食べたりと、野外でも、室内でも、半日は、十分愉しめる企画である。天気にも恵まれて、2日間の「森フェス!in 菅平高原」は、盛況裏に、若いスタッフ達の活躍とゾンタックのオーナー夫妻の暖かい理解と支援に支えられて、来年へと再び、このコンセプトが、繋がって行くのであろう。来年も、おおいに楽しみである。
作品は、下記HPで、ご覧戴けます:様々なアートがあるものである。
「なべさんの切り紙創造堂」HP:
http://nabesankirigami.blogspot.jp/
Re-bbon カンナの木屑で作った木のリボン 「相澤デザイン室」HP:
http://aizawadesign.com/index.html
プチホテル・ゾンタックHP:
http://sonntag.jp/