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伯母の訃報!

2014年04月15日 12時28分39秒 | インポート

 

 最近、日の出の時間が早くなりましたネ!今朝も目覚めて時計を見ると、まだ午前5時でした。(-_-)zzzつくづく歳をとったのかナ!と感じますが、そのまま横になっているといつしか寝ていました。1時間過ぎに電話がなり、妻が対応していましたが、内容を聞くと伯母の訃報でした。(×_×)

 

伯母は、今日が101歳の誕生日だったんです。あと3時間長生きしていれば・・・お祝いを兼ねて、今週末にも訪問(定期的に年1回)する予定だったので、突然の訃報に驚きました。(o)/!

 

 従兄弟に電話して聞いたところ、「突然、容態が悪化して・・・私たちだけしか間に合わなかった!」と大往生とは言え、その悲しみは抑えることが出来ない様子でした。心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

偶然ですが、昨日栄養士さんからの栄養指導(塩分制限について)を受けるために、勤医協病院を受診したとき、伯母の孫の奥さんと子供(ひ孫)が受診していて出会いました。その時、お互いに伯母の誕生日のことが話題になっていたばかりでした。

 

 昨年、100歳のお祝いのとき、岩倉市長とのツーショットがお気に入りだったようで・・・。大往生ですが、一番可愛がってくれた伯母だけに残念です。

 

 私が4歳の時(57年前の春)、父が突然の病気で亡くなった時、預かってくれたのが王子の社宅だった伯母の家でした。左利きの私の姿を見て、「左で食べるのは行儀が悪い?・・・」と矯正のために悪戦苦闘していたことを思い出します。その介があって、字や絵は両手で書くことが出来るようになりましたが、肝心の食事は61年間左利きのままです。当時は、王子争議と重なっていて、私の世話だけでも大変だったと思います。

 

 既に他界している伯父が、「私が、勤医協(札幌)に勤めていた時、遊びに行くと必ず、勤医協苫小牧病院に早く転勤して来い!」と言っていましたが、赴任した時一番喜んでくれました。数年の苫小牧暮らしと考えていましたが、まさかその先に市議会議員の話が来るとは想定外だったのです。結局、61年間の人生のなかで一番長い生活地は苫小牧となりました。これも、伯父・伯母がいたからだと思います。亡き母も伯母(姉)と一緒の地で他界できたことを喜んでくれたので、「親孝行」出来たと思います。(*^_^*)

 

 母や伯母が共通して私に言っていた「人のために役立つ人間になれ」は忘れることの出来ない言葉です。