二日酔いを意味する英語の「はんぐおーば(a hangover)」
まあ“酔っ払い”の言うこと。by.NA-094
はんぐおーば
隅田川ハイウェイ
ふっと、隅田川を見てみたくなった。
なんとなく、秋葉原へと足を向けていたこともあったけど、
ちょっとした気まぐれだった。
昭和通り沿いに、秋葉原駅から、橋(和泉橋)を渡り、
岩本町駅前を通り過ぎる。
昭和通りと靖国通りが交差する岩本町の大きな交差点で、
靖国通り沿いに渡って、浅草橋駅方向へ向かってみる。
都心とは言え、まだ通勤時間帯の前でもあり、人通りは少ない。
両国橋の前に着いた。
そこで、足をとめて、スマートフォンを出してみる。
両国橋を歩いていくと、視界を遮る建造物などもなく。
そのまま、何枚か、画像を撮っていく。
“隅田川の上に建造物など、造れないだろうし、ね”…と思ったもの。
少し考えて、気付いた。
この“両国橋”も建造物だったな。
「春のうららの隅田川~♪」という歌いだしで知られる歌を思い出したもの。
よく知らないことに気付いて、ちょっと調べてみる。
滝廉太郎(1879~1903)作曲の「花」という歌らしい。
両国橋を、ぐるりと回るように歩いてみた。
残念ながら、これで時間切れ。
いつもの生活に戻らないといけないようだった。
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妥当か不当?:寒空小人
「お客様は神様です」という言葉は好きになれない。
現在は、サービス業に限らずに“お客様目線”が望まれている。
そんな状況で「お客様は神様です」などと言えば、
「自分が神様だ!」と言っているようなもの。
それに商業的なサービスは、アシストであって、”おもてなし”ではない。
”おもてなし”は、日本的な無償のもの。
”サービス”は「無料」という意味ではなく。
”善意”の押し売りは、サービスではないと分からない人間までもいる。
的外れなサービスは、なおざりで過剰さが目に余る。
そんな悪しき体質が改善されることもない企業は少なくもなく。
同じような苦情を、いつまでも繰り返し、
対応していくことになる。
(カテゴリーを変えて「妥当か不当?:深夜考番」からの続き)
今から、10年以上前、プロクレーマーからの不当要求に
数件ほど対応することがあった。
それは対応力のある業務能力が評価されたから…という訳ではなく。
誰もが嫌がる“面倒臭く”て“手間のかかる”仕事など、
やり手がいなかったからでしかない。
それでも…。
誰かが多発するクレーム事案には対処しなければいけなかった。
かなり悩まされたのが、
通常の業務手順を逸脱した素行の悪い社員たちの後始末。
サービスとクレームは、無縁ではなく。
「この人は、何もしてくれなかった!」
「あの人なら、これをやってくれた!」などと、
同じ職場内での対応が、マチマチでは、つけ込まれることになる。
最初のうちは、謝罪すれば済んでいたことも、
何度も繰り返せば、それだけでは済まされなくなる。
まず、こちらの行動や対応を是正する必要があったが、
改善されることもなければ、処罰もなかった。
クレーム対応するものに権限がなければ、
責任のある対応や言動などは出来るハズもなく。
同じ案件が繰り返されていくことで、手詰まりになっていく。
そうやって1つの事案に対応しているうちに、
別の事案が増えていく。
こちら側の不手際や不始末であれば、
苦情を受けるのも、当たり前だけど、
そこに、不当な要求をしてくるものが加わってくるのだから、
とてつもない負担となっていった。
<2020年7月誤字脱字訂正>
追記:
近年まで、“民事不介入”として、
“不当要求行為”への対応に関わらなかった警察も、
悪質なプロクレーマーの存在が明るみになってきた10年前ほどから、
民事暴力として扱ってくれることもあり。
最近は、話題になることも減ったプロクレーマーや不当要求事案。
しかし、クレーム(苦情)が多発すれば、
“悪人につけ込まれること”にもなりかねない状況が
変わったわけでもなく。
企業側に自浄能力が求められるのは、
現在も変わらないハズなんだけど、ね。
(関連する過去の記事「言葉を変えても、”たかり”でしかない」)
(関連する過去の記事「詭業社会の崩れるモラル」)
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妥当か不当?:深夜考番
10年前の2007年、広島県に住む男が、
全国34都道府県の企業にクレームをつけ、
お詫び品や見舞金の提供金品を「詐取」した容疑で逮捕されている
(男は「企業が善意で渡した品を貰って何で罪になるんだ」と容疑を否認)
このような不当要求は、それまでにも存在し、
暴力団が組織的に企業を狙い撃ちして
商品に因縁をつけて金品を脅し取るということがあった。
しかし、近年はクレーマーが一般化し、悪質化している。
中には暴力団の名前を出して不当要求を行ったり、
たとえ業者側に落ち度や瑕疵が無くても、
お詫びの品やサービス目当てにクレームをつける不当要求者、
「プロクレーマー」と呼ばれるものまでいる。
(尚、指定暴力団の不当要求は暴対法により禁止、処罰の対象です)
「クレームなんて怖くない!?」
原則1 それ以上大きくせず、上手に丸く収めること
原則2 しっかりと話を聞くこと
原則3 言い訳や反論はしないこと
原則4 いい加減なことやあいまいなことは言わないこと
原則5 謝罪が解決への近道に
原則6 敬意を表すこと
原則7 上司や同僚への報告を必ずすること
原則8 すべて速やかに対応すること
原則9 声のトーン、頭の下げ方にも注意を払うこと
原則10 責任よりも原因を追及すること
上記の項目は、クレーム対応をまとめた書籍などで注意されていること。
但し、「プロクレーマー」に対しては、更なる準備が欲しい。
仕事上で起こりうるトラブルやクレームには、色々ある。
色々な立場にある人間からの要望や要求を踏まえて、
打開策や解決方法を考えていくのは、かなりわずらわしい。
そう考えれば、職場の問題点や不備を伝えてくるクレーマーは、
不都合な存在にも思えてしまう。
国語辞典では、どう分類されているのかは知らないけど。
苦情(クレーム)と不当要求、
クレーマーと不当要求者とは、別物!
往々にして人は不利益を被ると、感情的になりやすい。
このため企業のサービスセンターなどには、
感情的な電話が掛かる率が非常に高く。
その中には、不当な請求をしてくる者も含まれる。
もしくは、クレーム対応するまでの時間が長すぎると、
本来の欲求を忘れ、別の手段、
例えば、もっと”うまみ”のある手段が、あるかも知れないと、
もっと時間をかけて、ゆっくりごねていったほうが、
いいんではないかと思い違いをするものも、稀にいる。
これは恐喝を受けている被害者が、加害者に謝罪する構図になり。
無条件に相手の提示した案に応じると
他の顧客が不当に差別されている状態となる。
そこで関係部署にクレーマーの話に耳を傾けて公正な判断を下し、
その判断を他の部署と折衝して
適切に推し進められる人を配する必要がある。
(関連する過去の記事「言葉を変えても、”たかり”でしかない」)
(関連する過去の記事「詭業社会の崩れるモラル」)
<2020年9月一部訂正:カテゴリーを変え「妥当か不当?:寒空小人」に続く⇒ >
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袋小路
ミスやトラブルやミスがあれば、
“お前(部下)が悪い!”
“アイツ(本社)やコイツ(顧客)がオカしい!”などと、
単にミスをした人間だけを注意して、
同じような事象が頻発する原因を考えようともしない。
そんな場当たり的な対応が続いていくと…、
「こんな小さなミスで、いちいちウルさいなぁ!」
「またバレたら、ウルサイから黙っていよう」など、
隠蔽しようとする体質が染みついてしまう。
だから、組織社会において、ミスの原因を追究して、
同じようなことが発生しないように改善していくことは、重要なこと。
職場の体質改善を行えば、顧客からの満足(評価)を得られ、
現場の社員の負担も減らすことができるのに…。
「こんな仕事は、契約外じゃないかぁ!」
「本当なら、契約を受けたところが片付けるべき仕事だろう!」などと…。
毎日のように、本社や顧客側への不満を、
部下を前に大声で口にしていたのが…。
数年前まで所属して部署の上司だった。
強気な言動と態度を見せてはいたけど…。
結局は、親会社や本社の言いなりで、自己完結していた。
神経質に見えるのに、繊細さにかけるところがあり。
その結果として、現場の救世主を気取りながらも、
1番弱いものを食いものにしているようにしか見えなくなってきた。
今、考えてみれば、実力や人望のない人でもなかったけど。
この上司のもとにいた数年間は、不安感とも不信感ともつかない気持ちを
抱えさせられていただけでしかなく。
人生を無駄に消耗しただけの時間としか思えない。
親会社や本社の言いなりのまま、
本社の要望を部下に伝えるだけの“メッセンジャー”になり。
現場への指示が曖昧になったりするのは、
現場責任者の実力や知識不足が原因であるとはいえ、
近年のビジネスの現場では、多様な対応が求められる上に、
それぞれの分野の技術が総じて複雑・高度化しているため、
1人の責任者が、すべてをカバーするのは難しい。
それぞれの分野に強い人間の意見を聞きながら、
それに対応するのにどのくらいの時間と人員が必要なのか、
相談していくのが現場責任者の役割なのですが……。
面倒くさいから、考えたくもないというところだったのかな?
それとも意識が回らなかったのか?
(関連する過去の記事「結末はカッコ悪く、気分最悪。壱」)
(迷惑な新入社員の過去の記事「愚酷醜齢(前編)」)
仕事で関わったことが、全て、円満に終わるとは限らない。
当然、やり残したことや、力及ばなかったことに、
後ろめたさは残っているけど、もうどうでもいいこと。
(2019年3月一部訂正)
蛇足:
大人になると誰かに、面と向かって注意されることが少なく。
それを貴重な成長の機会だと思って素直に受け取れるような謙虚な人間こそ、
同僚や上司であって欲しいのだが、そんな人物は、ほとんどいない。
学校教育などでは…。
「話せば分かる」などと、よく言われたものだけど。
いざ、社会に出てみれば、話してもダメなことの方が多い。
それどころか、こちらの話など理解すら出来ないものや、
もしくは理解する意思すらないものまでいる。
意見や価値観の違う人間同士が、お互いに折り合いつく話など、稀でしかない。
しかし・・・。
「世の中は、不平等で、お互いに折り合いの付く話し合いなど、稀ですよ」
…とでも、教育機関などが教えれば、大変な問題になってしまう。
理想と現実は違う。
それを教育の場で、はき違えるから、
別の問題が起きているようにも思えるときがある。
さて、 組織社会では、善悪の判断もつかないで、
自分本位な思考をするものが問題となることが多いけど。
“お互い”が折り合いをつけようとせず、
一方的に状況を片付けてしまうのなら、答えは簡単。
“力”のある方が押し通してしまって、終わりである。
こんな社会構造が、“間違っている”とは言えるけど。
こっちだって“正解”を知っている訳でもない。
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雑報
※この“はんぐおーば”では…。
かなりの脚色や誇張を加えて、記事にすることがある。
所謂、“大人の事情”というもので、
事実を記せないこともあるからだけど、ね。
もう10年以上前の春先の話、
当時は、各事業所から送られてきた書類を仕分けして、
必要とあれば、コピーを取って、主要部署への配布も行う業務をしていた。
…とは言っても、これは付帯業務の1つ、
配布する部署など少なく、簡単な作業。
そんなとき、新事業部のサービス部門が発足して、
「親会社からの要請書」「関連会社からの報告書」「社内の回覧」など、
3つの書類を分けていくことになった。
その日も、問題なく仕分けを済ませ、
通常業務を続けていたところ、内線連絡が入る。
第2事業部からだった。
“関連会社からの報告書が、一部多い”とのことだった。
慌てて確認し、調べるが、コピーカウンターは動いてなく。
新たな報告書が届いたという申告もなかった。
所属の上司と同僚にも聞いてみるが、
「はあ、枚数分はあったけどなぁ」と、どうにも判然としなかった。
万が一に備えて、こちらで預かることとなった。
昼前に、判明した。
この1枚は、第2サービス部への新しい配布分。
つまり、最初に仕分けするものだった。
所属の上司に、事実報告をしたところ。
妙な反応があった。
今、考えると、
“今、言われて思い出したけど、完全に忘れていた!”というところだろう。
妙に、よそよそしいとも、白々しい口調と態度で、
「以前に説明したじゃないか、君ィ…」との一点張りになった。
そんな伝達があったのか?
これが事実だとしても(どう考えても、ウソだけど…)、
同僚や部下への連絡が行き届かなかった態度と対応でもなく。
その不誠実さには、かなりの憤りを感じた。
その場で「申し送り簿」と「報告書」を開いてみる。
もちろん書いてあるハズもなく。
上司は、目を合わせようともしない。
他の同僚にも、“おい、そんな伝達を知っていたのか?”と聞いてみる。
これも、誰も聞いている訳がない。
この雰囲気に、とても耐えられくなったのだろうか?
「総務から、連絡を受けて、すぐに、みんなに報告したよ。」
「君は聞いていないのかね?困ったものだねぇ」
“困ったものなのは、アンタだよ!”とは言わず。
しばらく、黙っていることにした。
そのまま、職場の中が、かなり気マズイ雰囲気にはなっていくけど、
素知らぬ顔をしていることにした。
上司が、堪えきれずに、立ち上がったところで…。
「ちょうどミーティングもありますしね」
「他に聞いていない人がいないか確認しときますよ」とだけ言った。
やり過ぎたとは思っていない。
むしろ言い足りないくらいだった。
その数日後、同じようなことが起こった。
単純に、連絡事項の記載手順や報告要領が出来ないのだろうけど、ね。
「この裏切り者! 信頼関係がなければ、人はついて来ない。」
「裏切れば、見限られるぞ!」というのは、
ドラマのセリフだけど、本当のこと。
愚劣であればこそ、虚勢をはらず
謙虚であるべきなのだが…
それから、1~2年ほどで、当時の上司は、定年を迎え、
もう会うこともなくなった。
<2020年7月誤字脱字訂正>
追記:
現在の職場では、定年を過ぎた中途入社の契約社員を雇用するようになった。
会社に骨を埋めるほどの覚悟もなければ、やる気もなく。
愚かで無能だが、根拠もないムダな虚栄心だけは高く。
他の会社では、部長や課長だったなどと言われても、
仕事が出来ないヤツがエラっそうにされても迷惑なだけ。
職場における“裏切り者”に振り回されてしまうのは、
職場の自浄機能がなくなってしまったのか?
それとも、元々、ないのか?
どちらにしても、余計なものに手間を取られてしまう。
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