Single「やめちまぇ!」Music Video
若いみなさん、これから日本を背負っていくみなさん、かけがえのないわが子を過労死で亡くした母親の心からの悲痛な叫びに、しばし耳をかたむけてください。そして生き抜いてください。
昨年10月に、報道記者をしていた佐戸未和の過労死の事実が公表されました。最愛の娘を失い、二度と心から笑えることはなくなり、悲しみと苦しみから抜け出せないまま、ただ未和の過労死の事実を、世の中にきちんと伝えたいとの思いで、ここに立っています。
~
夏場で遺体の損傷も激しいため、翌々日に葬儀を出し、膨れ上がった遺体の左指に婚約者によって急遽大きくした結婚指輪をはめてもらい、私はとっさに遺髪と叫び荼毘にふしました。私は放心状態のまま家にこもり娘の遺骨を抱きながら毎日毎日娘の後を追って死ぬことばかり考えていました。人生の道半ばに達することもなく、生を絶たれた未和の無念さ、悔しさを思うと哀れでなりません。自分の親たちの看取りは淡々とやれたのに、なぜ最愛の娘を守ることができなかったのかという深い後悔の念に苛まれ、自分を責め、今もなお喪失感にもがき苦しんでいます。
未和の死はあまりに突然でした。異常な猛暑日が続く炎天下で2カ月にわたる東京都議選と参議院選とたて続けに大型選挙があり、未和は記者としてこの取材・報道に駆け回っていましたが、選挙戦が終わった直後に自宅でひっそりと亡くなり、連絡がつかず心配してかけつけた婚約者によって発見されました。手には携帯電話を握ったままでした。
勤務記録表を見た時、私たちは泣きました。こんな無茶な働き方をしていたのかと。都内各地での候補者や政党の取材、演説への同行、出口調査や街頭調査、局内では夜中の票読み会議や形勢展望会議、選挙情勢についてのテレビ報道やテレビ出演、当確判定業務などに奔走し土曜も日曜も無く、連日深夜まで働いており、異常な勤務状況でした。まともに睡眠をとっていませんでした。私たちが調べた結果、亡くなる直前の1カ月間の時間外労働時間は209時間、その前の月は188時間でした。⇒続きはコチラ・・・・
昨年10月に、報道記者をしていた佐戸未和の過労死の事実が公表されました。最愛の娘を失い、二度と心から笑えることはなくなり、悲しみと苦しみから抜け出せないまま、ただ未和の過労死の事実を、世の中にきちんと伝えたいとの思いで、ここに立っています。
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夏場で遺体の損傷も激しいため、翌々日に葬儀を出し、膨れ上がった遺体の左指に婚約者によって急遽大きくした結婚指輪をはめてもらい、私はとっさに遺髪と叫び荼毘にふしました。私は放心状態のまま家にこもり娘の遺骨を抱きながら毎日毎日娘の後を追って死ぬことばかり考えていました。人生の道半ばに達することもなく、生を絶たれた未和の無念さ、悔しさを思うと哀れでなりません。自分の親たちの看取りは淡々とやれたのに、なぜ最愛の娘を守ることができなかったのかという深い後悔の念に苛まれ、自分を責め、今もなお喪失感にもがき苦しんでいます。
未和の死はあまりに突然でした。異常な猛暑日が続く炎天下で2カ月にわたる東京都議選と参議院選とたて続けに大型選挙があり、未和は記者としてこの取材・報道に駆け回っていましたが、選挙戦が終わった直後に自宅でひっそりと亡くなり、連絡がつかず心配してかけつけた婚約者によって発見されました。手には携帯電話を握ったままでした。
勤務記録表を見た時、私たちは泣きました。こんな無茶な働き方をしていたのかと。都内各地での候補者や政党の取材、演説への同行、出口調査や街頭調査、局内では夜中の票読み会議や形勢展望会議、選挙情勢についてのテレビ報道やテレビ出演、当確判定業務などに奔走し土曜も日曜も無く、連日深夜まで働いており、異常な勤務状況でした。まともに睡眠をとっていませんでした。私たちが調べた結果、亡くなる直前の1カ月間の時間外労働時間は209時間、その前の月は188時間でした。⇒続きはコチラ・・・・
かつて日本は「一億総中流」を誇る社会だったはずだが、今やその影もない。貧富の格差を肌で感じながら漠然とした不安を抱いている人たちに、詳細な調査データでその現実を示し、衝撃を与えている本がある。発売2カ月で6万部の大ヒットとなっている新書「新・日本の階級社会」(講談社現代新書)だ。
新たに登場した「アンダークラス」という下層階級。⇒続きはコチラ・・・・
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JR東日本の最大労働組合「東日本旅客鉄道労働組合(JR東労組)」が15日に計画していたとみられる初のストライキが回避された。昭和62年の国鉄分割民営化から31年。約4万6千人もの組合員を抱えていたマンモス労組のストは、なぜ“幻”に終わってしまったのか-。⇒続きはコチラ・・・・