先週仕事?でケネディスペースセンターを見学してきました。広大な敷地内にはスペースシャトル等の打ち上げに現役で使用されている設備が点在し、観光客向けに用意されているバスツアーに参加することでそれらを間近に見ることができました。これだけでも十分感動的なのですが、やはり一番胸を打たれるのはアポロ計画に関する展示でしょう。ケネディ大統領の号令の元、多くの人々の努力と少なからぬ犠牲により数人の宇宙飛行士を月面に送り出した壮大な計画です。莫大な予算が投入されたために当時は「月に人を送り込んだからといって何の役に立つの?」というような批判もあったことでしょうが、見方によっては何の意味もない「月に人を立たせる」という目的に国家の威信を懸けて取り組んだあたりに、文化的な醸成の極みを感ぜずにはいられません。
地球と月は我々の日常において身近過ぎるあまり振り返られることすら少ないと思いますが、同じ地球と月は月に立った宇宙飛行士たちの目にどのように映ったことでしょう。同じものであっても逆側から見ると違った印象を受けたり、あるいはお互いの距離とは無関係に一つの思いに収斂されていったりするものです。偶然にもケネディスペースセンター訪問前に僕が読んでいた本は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』であり、ケネディスペースセンターへの道すがら読んでいたのが『夜のピクニック』でした。
『夜のピクニック』は高校生活最後のイベントである歩行祭で、主人公の男女がこれまでお互いの胸につかえていたわだかまりを解消する話です。一言で書いてしまうと何ということもない話なのですが、地球と月のように異なる立場で同じ問題を抱える二人の十代後半独特の感性を、魅力的な登場人物を添えつつ描いています。冒頭の人物紹介風の書き出しや、(高校生の話なので当たり前なのでしょうが)青い感じの表現、登場人物が標準語を喋りつつも散見される関西風の言葉遣いがどうも馴染めず、『夜のピクニック』の世界に入り込むまで若干時間はかかったものの、読み終わった後の感覚は決して悪いものではありませんでした。
年を重ねていくにつれ無邪気だった昔はあたかも一瞬の出来事のように薄れていきます。しかし経験を積んだ今の視点で過去を見つめれば、月に立って地球や月を考えるような視座が得られるかも知れません。『夜のピクニック』を読んで経験の反対側から過去の自分と何処かの共鳴点に収斂していくのもたまには良いことだと思います。
地球と月は我々の日常において身近過ぎるあまり振り返られることすら少ないと思いますが、同じ地球と月は月に立った宇宙飛行士たちの目にどのように映ったことでしょう。同じものであっても逆側から見ると違った印象を受けたり、あるいはお互いの距離とは無関係に一つの思いに収斂されていったりするものです。偶然にもケネディスペースセンター訪問前に僕が読んでいた本は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』であり、ケネディスペースセンターへの道すがら読んでいたのが『夜のピクニック』でした。
『夜のピクニック』は高校生活最後のイベントである歩行祭で、主人公の男女がこれまでお互いの胸につかえていたわだかまりを解消する話です。一言で書いてしまうと何ということもない話なのですが、地球と月のように異なる立場で同じ問題を抱える二人の十代後半独特の感性を、魅力的な登場人物を添えつつ描いています。冒頭の人物紹介風の書き出しや、(高校生の話なので当たり前なのでしょうが)青い感じの表現、登場人物が標準語を喋りつつも散見される関西風の言葉遣いがどうも馴染めず、『夜のピクニック』の世界に入り込むまで若干時間はかかったものの、読み終わった後の感覚は決して悪いものではありませんでした。
年を重ねていくにつれ無邪気だった昔はあたかも一瞬の出来事のように薄れていきます。しかし経験を積んだ今の視点で過去を見つめれば、月に立って地球や月を考えるような視座が得られるかも知れません。『夜のピクニック』を読んで経験の反対側から過去の自分と何処かの共鳴点に収斂していくのもたまには良いことだと思います。
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