トーマス・マンの『魔の山』が昔から妙に気になって、本屋で手に入る文庫本の和訳を何度も読みました...といっても実は読んだことがあるのは上巻だけなのです。最後まで読み通す根性がないのか、全体の構成を見通すだけの知能がないのか、お恥ずかしながら僕はどうも2巻以上の分冊になっている小説を読むのが苦手で、いろいろと買い込みはするものの上下巻等に分かれている作品は結局読まずに本棚の飾りとなりがちです。
我が家の本棚の飾りの1つに『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』がつい最近まで鎮座していました。学生時代には村上春樹氏が好きで結構読んでいたつもりでしたが、上下巻に分かれているところに抵抗感があり、同氏の代表作である本作は一文字も読んだことがありませんでした。
転機は先週訪れました。体調を崩して何日も寝込んでいたのですが、ただひたすら横になっているのも結構つらいもので、どうせ身動きできないのであれば腹を据えて『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読み切ってしまおうという気になったのです。村上春樹氏の小説を読むのはかなり久し振りで、なぜかやたらと細かい具体的な数字が出てくる比喩表現や、音楽や映画に関する記述が頻出する独特の文体が今更ながらとても新鮮なものです。いざ読み始めてみると純文学でありながらストーリーテリングの巧みさによりぐいぐいと引き込まれてしまい、長年の懸念をよそに一気に読み切ってしまいました。村上春樹氏の作品の中で評価が高いのもうなずけます。
唯一残念だったのは「世界の終り」の最終章で「僕」がどうしてあのような選択をするに至ったのか心情的な変化が理解できなかったことです。「ハードボイルド・ワンダーランド」の私が迎える最後は非常に共感できるので、その文脈で読めば「世界の終り」の最終章における「僕」の選択は至極ごもっともだと思うのですが、「世界の終り」のみの流れで話を追っていったときどうも納得がいきませんでした。これは長編小説初心者だからこその悩みなのでしょうか?
ともあれ長編小説好きの方にも、そうでない方にもお薦めできる希有な1冊でした。
我が家の本棚の飾りの1つに『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』がつい最近まで鎮座していました。学生時代には村上春樹氏が好きで結構読んでいたつもりでしたが、上下巻に分かれているところに抵抗感があり、同氏の代表作である本作は一文字も読んだことがありませんでした。
転機は先週訪れました。体調を崩して何日も寝込んでいたのですが、ただひたすら横になっているのも結構つらいもので、どうせ身動きできないのであれば腹を据えて『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読み切ってしまおうという気になったのです。村上春樹氏の小説を読むのはかなり久し振りで、なぜかやたらと細かい具体的な数字が出てくる比喩表現や、音楽や映画に関する記述が頻出する独特の文体が今更ながらとても新鮮なものです。いざ読み始めてみると純文学でありながらストーリーテリングの巧みさによりぐいぐいと引き込まれてしまい、長年の懸念をよそに一気に読み切ってしまいました。村上春樹氏の作品の中で評価が高いのもうなずけます。
唯一残念だったのは「世界の終り」の最終章で「僕」がどうしてあのような選択をするに至ったのか心情的な変化が理解できなかったことです。「ハードボイルド・ワンダーランド」の私が迎える最後は非常に共感できるので、その文脈で読めば「世界の終り」の最終章における「僕」の選択は至極ごもっともだと思うのですが、「世界の終り」のみの流れで話を追っていったときどうも納得がいきませんでした。これは長編小説初心者だからこその悩みなのでしょうか?
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