虹の向こうに

4人の子どもの父親をしています。
リバ剣、段位は三段。
なぜか少年野球の監督してます。

「ゆとり」がゆとりを奪ってる

2007年01月25日 | ひとりごと
「ゆとり教育」の見直しが論議されています。

まぁ、間違いだったでしょうね。

でも、問題なのは学力低下じゃないですよ。

学級崩壊とか、心の闇とか、そっちですよ。


ここで、ボクと同世代とそれより上の人に聞きたい。

「土曜に授業があるって、きつかったですか?」


ゆとり教育の一番の失敗。

ボクは、なんと言っても学校五日制(つまりは週休二日制)だと思いますよ。


家族との時間やら、地域で過ごす時間やらを保障するために、みたいなこと言ってましたけど、そのぶん月~金曜の授業時数が増え、一日に学校に拘束される時間は増えたし、結局空いた土曜日は塾やら習い事やら部活動やらに割かれてしまっている現状。


なかでも、平日の放課後を奪ったことが特に大きい。

日々のあそびの中から学んだ協調性や独創性、仲間意識に柔軟な思考、素朴な発見、大切な冒険・・・

平日の放課後という、子どもたちが遊んで学ぶために必要な時間が奪われている。

それで得られる「ゆとり」なんてあるの?


でも、「ゆとり教育」の見直しって、これに気付いたからではないらしい。

学力低下に歯止めをかけたいからだって。

遊ぶ時間を奪っている限りは、子どもの学力と生きる力は伸びることはないでしょう。

「あそび」は、特に子どもたちにとっては「余暇」とは違います。

「あそび」も、いや、「あそび」こそ学びの場。

そこに気付いて改革しなきゃ、日本の教育はもっと悪くなる。


あと、放課後が少なくなって先生もきつい思いをしています。

授業準備の時間が減り、ただでさえ子どもと授業外でふれあう時間が奪われているのに、指導とは直接結びつかない事務仕事が増え、心にゆとりがなくなってしまっています。

免許の更新制なんてなったら、自分の仕事を守るために時間を割かなきゃいけなくなる。

子どもを一番に考えたい熱意と、そうする精神的、時間的余裕が奪われている現実とのジレンマに教師はどんどん追い込まれているような気がする。

教師を追い込むと、結果的に児童・生徒を追い込むことになり、結果はどんどん悪循環に。

これに気付けるメンバーが、教育再生何チャラにいないってことですよ。



おかしいな、どうしました、義家先生・・・


にじむこをよく見てみたら、自分で以前に同じこと書いてた。
変わっていないってこと。
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