志村けんが亡くなった。小学生の頃はカトちゃんけんちゃんが全盛期の頃で、密かに志村けんと名前が同じことが少し嬉しかった。
もうずいぶんテレビを見てないから、自分自身特にショックが強いということはないけれど、このことが与える社会的な影響が強いということは予測ができるので、少し書いてみる。
大体、志村けんが新柄コロナで亡くなったからといって、新型コロナの危険が増すわけではない。というか、とっくに危険だったから、状況は何も変わらない。志村けんが亡くなったことによって危機感を強く感じ始めた人は、言葉は悪いが頭が悪い。だって自分で情報をキャッチしに行けば、一ヶ月以上前からの日本の状況は相当にまずいものだったって分かるはずだからな。確かにここ数日でさらに状況が加速した感はあるけど。この事件がきっかけで追悼やらなんやらの番組が多くなったり、必要な情報が隠れてしまったり、それを疑問も持たずに受け入れる人が多くいるだろうなってことに危機感を覚える。予測だけど。あまりにも大雑把な情報に踊らされてないですか。まずそれが思ったことの一つ。
そして次に心配するのが、国民同士の潰し合い、監視のし合い。ライブへのバッシングから始まって、旅行者や帰国者へのバッシング、咳やくしゃみへの異常な反応、自分の感覚や自分の常識を人に適用させようとする不寛容、これをして当然でしょという無言のプレッシャー。そういったものがさらに蔓延することを予想する。
でも思い返してみよう。一体何がまずかったか。基本的に今の政権は無能無策だから保身の全てが裏目に出て今のひど過ぎる状態になったわけだけど、やはり1番にバッシングされるべきなのは、検査をしないさせないという異様な姿勢じゃないか。検査数を増やせば医療崩壊が起きる、なんていうデマまで流して。他の国を見れば検査数を増やして医療崩壊を起こさないやり方はいくらでも学べる。とにかく検査がまず先に来ないとどんな策も机上の空論でしかない。バッシングすべきなのは国民同士じゃない。
そして税金を我がモノのように思い、今の必要な時に国民に返さない現政権をこそ批判すべきじゃないか。自粛の要請なんて言葉としてもあり得ない組み合わせの不可思議で都合のいい言い回しでお金を出そうとしない無為無策。
安心するようなことばかり言って、状況が悪くなれば行動した人を責めるなんていうグロテスクな政府のやり方に、せめて見える人だけでもダメを言おうよ。感染が広まったのは老人のせいでも若者のせいでもないよ。検査をしないさせない政府、休校はしても満員電車は放置する政府が感染を広めた張本人じゃないか。いい加減みんな目を覚そうぜ。絶対に次の選挙の時まで覚えてようぜ。
とりあえず今一番良い策は、お金の補償を十分に受けつつ一ヶ月引きこもることだろうと思う。そんな本気さえ見せずにただ自己責任でなんとかしてください、なんていう奴に従うわけないじゃんか。
ちなみに僕は常識が大嫌いなので、うつらないよううつさないよう細心の注意を払いつつ、やりたいことはやめません。みんなが右を向いているなら僕は左を向きたいと思う天邪鬼です。基本的にはアナキストです。これから同調圧力が強まりそうですね。きっと戦前戦中はこんな雰囲気だったんじゃないかな。分断が敵。近しい人とつながって生きていきましょう。
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