吉田修一の書き下ろし小説『元職員』を読みました。すらすらと読み進めることができ、結局1日で読み終えてしまいました。途中からモヤモヤちくちくしたものがついてまわり、それは読み終えても残ったままでした。
自らの犯罪に苦悩しモヤモヤを抱えつつ悩み続ける主人公が、最後の数ページで矮小な犯罪者へと収束していく過程が、嫌な気持ちにさせます。そこには開き直りの気持ちよさやカタルシスやその後に向かう爆発力は感じず(少なくとも僕には)、これからも普通に矮小な一犯罪者市民であり続けるだろうことを予告するような終わり方。それはまさに、自分自身の矮小さを思い知らされ突きつけられたようで、それがモヤモヤとした読後感につながっているのかなと思います。
犯罪の種なんかそこらへんにごろごろと転がっており、誰でもその種を芽吹かせ育てる可能性を持っていると思います。僕も一人身だったら今頃犯罪者になっています。たぶん。社会的なモラルが欠如しているからです。理性を持って頭で考え、犯罪は割に合わないことを知っているからです。心から犯罪を憎んでいるわけではないのです。割に合う犯罪が目の前に転がっていた場合、自分を抑えられると言う自信はありません。ただきっと、僕の思い切りのなさや優柔不断さ、俗な矮小さがそれを防ぐことになるとは思います。
犯罪というのはあくまで人間がつくった制度、つまり法律の範囲内で悪いことをしているのであって、人道的に悪いことをしているという判断や根拠はどこにも存在しない。そうすると根源的に「悪いこと」や「悪人」なんてものは「ない」ことになるのか…なんてくだらないことを考えているとふと、新井英樹『ザ・ワールド・イズ・マイン』を思い出してしまった。
自らの犯罪に苦悩しモヤモヤを抱えつつ悩み続ける主人公が、最後の数ページで矮小な犯罪者へと収束していく過程が、嫌な気持ちにさせます。そこには開き直りの気持ちよさやカタルシスやその後に向かう爆発力は感じず(少なくとも僕には)、これからも普通に矮小な一犯罪者市民であり続けるだろうことを予告するような終わり方。それはまさに、自分自身の矮小さを思い知らされ突きつけられたようで、それがモヤモヤとした読後感につながっているのかなと思います。
犯罪の種なんかそこらへんにごろごろと転がっており、誰でもその種を芽吹かせ育てる可能性を持っていると思います。僕も一人身だったら今頃犯罪者になっています。たぶん。社会的なモラルが欠如しているからです。理性を持って頭で考え、犯罪は割に合わないことを知っているからです。心から犯罪を憎んでいるわけではないのです。割に合う犯罪が目の前に転がっていた場合、自分を抑えられると言う自信はありません。ただきっと、僕の思い切りのなさや優柔不断さ、俗な矮小さがそれを防ぐことになるとは思います。
犯罪というのはあくまで人間がつくった制度、つまり法律の範囲内で悪いことをしているのであって、人道的に悪いことをしているという判断や根拠はどこにも存在しない。そうすると根源的に「悪いこと」や「悪人」なんてものは「ない」ことになるのか…なんてくだらないことを考えているとふと、新井英樹『ザ・ワールド・イズ・マイン』を思い出してしまった。
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