休みは何と早く時間が経つものなのか。
こないだ仕事納めたと思ってたら、
もう明日から出勤。
もっとゆっくりしたかった。。。。
なりとろのこの正月の過ごし方。
元旦はなりとろの実家に帰って、
2日はさちこの実家に。
これで2日間はつぶれました。
今日は昼ごろから出かけました。
京都方面へ初詣でに。
八坂神社と清水寺。
さすがにまだまだえらい人でした。
そう言えば、
元旦の朝っぱらからとぴジョイが大喧嘩になり、
あの9月を思い出させるような険悪な雰囲気になりました。
悪い事に、なりとろの実家に連れて行ったとき、
酔っ払い2人に絡まれたとぴジョイは、
更に険悪な感じになってしまいました。。。
それでも、そう言う時にどうすればいいかのノウハウが有ったので、
何とか今ではとぴジョイも落ち着きを取り戻しかけています。
この休み中に疎かになっていた躾も改めて見直し、
ジョイが余計な感情を持たないようにしようと思います。
話は昨年に戻りますが、
12月31日にニシノライデンと言うお馬が亡くなったそうです。
このお馬は、なりとろが競馬をやめることを許さなかったお馬です。
1987年の春の天皇賞。
2着入線も失格になったニシノライデン。
前年(1986)の有馬記念以来、ちょこちょこ馬券を買いだしたなりとろが、
あまりにも予想が当たらないので、
このレースで最後にしようと思って買ったのが、この春の天皇賞でした。
当日は京都競馬場に一人で足を運び、
レースを観戦しました。
当時関東馬が嫌いだったなりとろは、
ミホシンザン、アサヒエンペラー、クシロキングなどには目もくれず、
ニシノライデン(田原成貴)からの馬券を選びました。
しかも、最後の馬券にするつもりでしたから、
額もいつもの10倍に。
(普段は500円の枠連3点BOX買い)
ライデンからミホシンザンへ1万円。
あとはクシロキングへ3千円。
マルブツファーストへ2千円。
あとは何頭かに500円を流して総額1万8千円買いました。
で、結果は1着ミホシンザン-2着ニシノライデン。
その差は『ハナ』。
ライデンが負けた悔しさよりも、
最後の馬券で的中した喜びが大きかったなりとろ。
確か、ミホシンザンとの組み合わせでも250円くらいはついてたように記憶してます。
興奮しながら払い戻し窓口に並んで待つていると、
何だかやけに周りがざわついてます。
しかも、審議が異常に長い。
次の瞬間、審議放送が・・・・。
『4番ニシノライデンを失格とします』
その後、なりとろはどうやって家に帰ったか覚えていません。
手に持っていたはずの新聞も、いつの間にか消えてました。
その失格になった馬がニシノライデンでした。
その後、宝塚記念も単勝を買いましたが負け。
そんな失意のなりとろのもとに現れたのが、
スーパースター・サッカーボーイだった訳です。
あの時、ニシノライデンがまっすぐ走ってたら、
もしかしたらサッカーボーイには会えなかったかも知れません。
あの時の悔しさと虚しさ、
今でも心に残っていますから。
でも好きだったなぁ、ニシノライデン。
サッカーボーイを好きだと言うのとはちょっと違うんですが、
なんか、気が置けない存在と言うか・・・・。
そう思えば、なりとろに影響を与えたお馬が2頭も、
昨年に亡くなってしまったんですよねぇ…。
やっぱり寂しいな。
ありがとう、ニシノライデン。
安らかに眠ってください。