
今日は、本堂と位牌堂を拝みに向かいました。
住職さんは不在で大黒さまが位牌堂を案内して下さいました。
本堂に戻り本尊南無釈迦牟尼仏を前に経を上げてきました。
法廣山正音寺 (ほうこうざんしょうおんじ)(曹洞宗)/木造毘沙門天立像(もくぞうびしゃもんてんりゅうぞう)・木造降三世明王像他(町指定文化財)
《県指定文化財(彫刻) 木像毘沙門天立像/木像明王像(もくぞうみょうおうぞう)四体/町指定文化財(工芸品) 正音寺銅鐘(しょうおんじどうしょう)》
正音寺は、文正元年(1466)大応玄徹禅師の開山。開基は斯波氏。玄徹は、北畠顕家の庶子太郎顕元の子と伝えられ、水沢市黒石の正法寺末寺として開山、斯波城主四代公の開基とも伝えられています。
元和年間(1615~1624)の火災で記録を焼失しているので明らかではありません。紫波町の河東部、北上山系支脈の小高い丘陵が続く「遠山」の地名にふさわしい静かな村落の中にあり、本尊は釈迦牟尼仏です。
昭和47年(1972)に完成した収蔵庫には、県指定文化財の木造毘沙門天立像(びしゃもんてんりゅうぞう)、木像降三世明王像(ごうざんぜみょうおうぞう)、木像軍荼利明王像(ぐんだりみょうおうぞう)、木造大威徳明王像(だいいとくみょうおうぞう)、木像金剛夜叉明王像(こんごうやしゃみょうおうぞう)が安置されています。
木造毘沙門天立像は、平安時代後期の作と見られ、桂材の寄木造りで右腕は下におろし、
四明王像も同期の作とみられ、桂材の一木造りになっています。腐朽が著しく両腕、両足共に欠損しています。本来は不動明王像を含め五体一具となるものです。東北では松島の五大堂にありますが、作例の少ない仏像です。
これらの仏像は昭和44年(1969)に県指定文化財(彫刻)になり、京都の国宝修理所で修復されました。もとは七仏薬師如来立像が安置されている薬師堂にあったとされていますが、蓮華寺に祀られていたという説もあり、現在は正音寺の管理下にあります。
山門の脇にある町指定文化財の銅鐘は、寛永20年(1643)に盛岡の法輪院の鐘として作られ、明治2年(1868)同院が廃寺になった際に譲り受けたものです。重厚な作りで龍頭(りゅうず)には龍面を、撞座(つきざ)には九曜星紋、周囲には蓮華を配しています。
本堂から離れたお堂にある
木造毘沙門天立像を大黒さまの案内で拝ませていただきました。
ここでは、般若心経を読み上げました。

