天候 快晴
気温 平年より高め
積雪 しばらくはありません
今日も快晴の中、第1リフトB線からの圧雪バーンに滑り降りました。カチカチのアイスバーンでは、ありませんでしたがかたいバーンに圧雪が甘くいわゆるジャガイモ畑のような雪質と言うかだんだんがありました。
第2リフト第3リフトリフトからのみずなら、白樺バーンは似たり寄ったりでした。
グリーンハウスのスキー試乗会がありました。
気になって見に行くとバックカントリースキーとはいえテレマークが主体なようでした。
そこにあるスキー板はともかくK2のブーツが気になりました。試乗会は1000円になります。しばらくは新しいブーツを買う予定が無いのあえて試乗はしませんでした。
今日は、東日本大震災の日
あの日もスキーをして帰りました。
2時46分震災発生時は昼寝の真っ最中でした。聞きなれない緊急地震速報によりたたき起こされました。
築100年弱の古民家のわが家の2階にある自室から1階に降りるのが困難なほどの揺れに襲われました。
家がつぶれる覚悟をしました。すると神棚に祀られ大黒さまが微動だにしませんでした。
それを見てわが家は守られていると確信しました。
2階から降り玄関前に出ると近所の人たちがやはり心配そうな顔して道路に立ちすくんでいました。
業者に作業を依頼していた現場に自転車で向かいました。作業中になり間もなく終わるようでした。
隣り合わせの部屋に様子をうかがいに行くとご婦人とお子様がテーブルの下に避難していました。
けがはなかったので安心しました。揺れるとまた、テーブルの下にあなたもどうぞお入り下さいとご婦人に言われても(笑)
バイパスの交差点には、近所の自動車会社の従業員が交通整理をして下さり助けられました。
いったん家に戻りました。家族がよりよって海外旅行中の叔母一人残されている親せきの家に向かいました。
わが家に連れて来るつもりが別な娘が迎えに来るようでした。来たタクシーと入れかわりその娘の家に叔母を連れて向かいました。
信号機は、消え不気味な街を疾走しました。叔母はさぞかし心細かったようです。
家に戻り石油ストーブで暖を取りローソクの明かりで夕食は震災を伝えるラジオを囲みながら取りました。
沿岸地域街が全滅と聞いてもピンと来ませんでした。
翌日は、開いていたスーパーマーケットに買い出しに行きました。やはりこの日も家族と居間でラジオを囲んでいました。
二日目に停電が収まった。地域の電灯がうらやましかったです。三日目の夜に停電が収まり復旧しました。
その時に見た東日本大震災の惨状には言葉がありませんでした。