最近のある奥さんからの相談。
むちゃくちゃな事をするご主人が、むちゃくちゃな事をした後、
奥さんに「それでも僕の事を愛しているか?」と聞き、
愛していると言って欲しいと言われる。
もちろん、頭にきて言わないということ。
そのご主人、きっと自尊心が低いのでしょう。
愛されていることの確認が必要なのでしょう。
多くの場合、私たちは、愛される事を求める。
でも、聖書はすでに神様に愛されている私たちを前提に、
愛されるよりも愛する者となるように求めている。
愛されている事に感謝する事も忘れずに。
ただ、おもしろいのは、聖書検索で新約聖書で「愛しなさい」を検索すると、
ヒットする聖書箇所は13箇所。
敵を愛しなさい、隣人を愛しなさい、主を愛しなさい、に並んで、
「夫は妻を愛しなさい」が3箇所も。
以前、夫はこのように聖書に載せないとわからないからだと聞いたことがある。
夫たちよ、妻を愛しましょうよ。
むちゃくちゃのご主人、
そのむちゃくちゃな行為が妻を愛している行為かよく考えて欲しいものです。
むちゃくちゃな事をするご主人が、むちゃくちゃな事をした後、
奥さんに「それでも僕の事を愛しているか?」と聞き、
愛していると言って欲しいと言われる。
もちろん、頭にきて言わないということ。
そのご主人、きっと自尊心が低いのでしょう。
愛されていることの確認が必要なのでしょう。
多くの場合、私たちは、愛される事を求める。
でも、聖書はすでに神様に愛されている私たちを前提に、
愛されるよりも愛する者となるように求めている。
愛されている事に感謝する事も忘れずに。
ただ、おもしろいのは、聖書検索で新約聖書で「愛しなさい」を検索すると、
ヒットする聖書箇所は13箇所。
敵を愛しなさい、隣人を愛しなさい、主を愛しなさい、に並んで、
「夫は妻を愛しなさい」が3箇所も。
以前、夫はこのように聖書に載せないとわからないからだと聞いたことがある。
夫たちよ、妻を愛しましょうよ。
むちゃくちゃのご主人、
そのむちゃくちゃな行為が妻を愛している行為かよく考えて欲しいものです。