ウサギは港到着時から結構います。
朝早い便で行くと必ず寄ってきます。
時計回りで回るので、一番の廃墟である発電所跡は最後です。
第二桟橋のある待合室前には休暇村行の青いバスが止まっていますが、歩いていくのでスルー。
第一桟橋前は、バスは停まりません。
山頂へ行く遊歩道はすべて通行止めで登ることはできませんでした。
わさわざ危険を冒してまで行くべきところではないのでそのまま。
船から降りて左手に歩いていきます。
キャンプ場までは何も遺構はなく、新しい護岸と道路を歩きます。
キャンプ場に遺構がありますが、説明も何もないのでスルーしがち。

キャンプ場の中に柵で囲われた赤さびた消火栓のようなものがそれ。工場があった時の水道の跡です。
そのさきに昔使われていた車両乗り入れ用フェリー桟橋がありますが、そことキャンプ場の境目にもひとつあります。
これは、医務室跡の水栓

第一桟橋はかつての表桟橋です。

秘匿される島だった故に人口が多い忠海側から船着き場も見えない様にしてたのでしょう。
第一桟橋は新しく架け替えられていますので、遺構ではないです。
桟橋前にトイレがありますがその裏に防空壕があります。
女子トイレ側にあります。入り口はコンクリート製(色が混ぜてあり迷彩模様が見えます)の物置小屋風。反対側には説明版などがあり。

通路側から見ると、石が盛られています。
ビジターセンターは、大久野島の自然環境などを紹介している建物。ビジターセンター裏(山側)にも遺構があります。
電話機の自動交換機室跡です。防空壕同様迷彩コンクリートです。

ビジターセンター前を通って、海水浴場へ行きます。行きしなに大久野神社、慰霊碑、殉職碑があります。
慰霊碑については、近年建てられたものです。(近年とはいっても1980年代)

神社です。

海水浴場前の広場は医務室跡で、キャンプ場にも見られた水栓が残っています。
説明板にある木は枯れて現存しません

その先の灯台へ続く道にも遺構が残っています。階段そばの石に陸軍省用地と境界柱が残っています。


灯台から、南部照明所跡、休暇村へは結構険しいので注意。
南部照明所跡です。

こちらは操作室(一度戻って休暇村側から行かないといけない)

照明所下の操作室へ行く階段を下りていくと近道になるのですが残念ながら立ち入り禁止のため遠回りしないといけない。
遠回りになる散策道を歩いて正面にプールが見えます。今降りてきた山の崖に不自然な石積みがありますが、防空壕を埋めた跡です。
そして、休暇村とその前の広場は、三軒屋工場群跡。

防空壕がたくさんあったことが、かつて工場だったと物語っています。
休暇村建物上には、生活用水用の海水タンク跡があります。
毒ガス資料館方面へ戻ると、レトロな白い建物が見えますが、これが毒ガス工場時代から残る唯一現役の建物で旧毒ガス研究室です。

その隣が、検査工室です。

検査工室は直前で、立ち入り禁止措置が取ってあるため近づけません。
毒ガス資料館です。

毒ガス製造時の資料が展示されています。
また、毒ガスの非人道的な悲惨さを伝える資料館としても。
資料館横には陶器製の毒ガス製造設備が展示されています。

だらだらと次回に続きます。
朝早い便で行くと必ず寄ってきます。
時計回りで回るので、一番の廃墟である発電所跡は最後です。
第二桟橋のある待合室前には休暇村行の青いバスが止まっていますが、歩いていくのでスルー。
第一桟橋前は、バスは停まりません。
山頂へ行く遊歩道はすべて通行止めで登ることはできませんでした。
わさわざ危険を冒してまで行くべきところではないのでそのまま。
船から降りて左手に歩いていきます。
キャンプ場までは何も遺構はなく、新しい護岸と道路を歩きます。
キャンプ場に遺構がありますが、説明も何もないのでスルーしがち。

キャンプ場の中に柵で囲われた赤さびた消火栓のようなものがそれ。工場があった時の水道の跡です。
そのさきに昔使われていた車両乗り入れ用フェリー桟橋がありますが、そことキャンプ場の境目にもひとつあります。
これは、医務室跡の水栓

第一桟橋はかつての表桟橋です。

秘匿される島だった故に人口が多い忠海側から船着き場も見えない様にしてたのでしょう。
第一桟橋は新しく架け替えられていますので、遺構ではないです。
桟橋前にトイレがありますがその裏に防空壕があります。
女子トイレ側にあります。入り口はコンクリート製(色が混ぜてあり迷彩模様が見えます)の物置小屋風。反対側には説明版などがあり。

通路側から見ると、石が盛られています。
ビジターセンターは、大久野島の自然環境などを紹介している建物。ビジターセンター裏(山側)にも遺構があります。
電話機の自動交換機室跡です。防空壕同様迷彩コンクリートです。

ビジターセンター前を通って、海水浴場へ行きます。行きしなに大久野神社、慰霊碑、殉職碑があります。
慰霊碑については、近年建てられたものです。(近年とはいっても1980年代)

神社です。

海水浴場前の広場は医務室跡で、キャンプ場にも見られた水栓が残っています。
説明板にある木は枯れて現存しません

その先の灯台へ続く道にも遺構が残っています。階段そばの石に陸軍省用地と境界柱が残っています。


灯台から、南部照明所跡、休暇村へは結構険しいので注意。
南部照明所跡です。

こちらは操作室(一度戻って休暇村側から行かないといけない)

照明所下の操作室へ行く階段を下りていくと近道になるのですが残念ながら立ち入り禁止のため遠回りしないといけない。
遠回りになる散策道を歩いて正面にプールが見えます。今降りてきた山の崖に不自然な石積みがありますが、防空壕を埋めた跡です。
そして、休暇村とその前の広場は、三軒屋工場群跡。

防空壕がたくさんあったことが、かつて工場だったと物語っています。
休暇村建物上には、生活用水用の海水タンク跡があります。
毒ガス資料館方面へ戻ると、レトロな白い建物が見えますが、これが毒ガス工場時代から残る唯一現役の建物で旧毒ガス研究室です。

その隣が、検査工室です。

検査工室は直前で、立ち入り禁止措置が取ってあるため近づけません。
毒ガス資料館です。

毒ガス製造時の資料が展示されています。
また、毒ガスの非人道的な悲惨さを伝える資料館としても。
資料館横には陶器製の毒ガス製造設備が展示されています。

だらだらと次回に続きます。