Festina Lente

ゆっくり急いでまいります

イヌワシ

2007年08月04日 | Blog徒然草


うちの父親の仕事の関係で某動物園に居たものを撮ってもらってきました。

父親の専門が鳥獣ということもあり、門前の小僧習わぬ経を読む、の喩えどおり、僕も鳥獣は第4専門くらいですが(ちなみに、第1専門は国際政治経済、第2専門は法律、第3専門は不思議なこと、なんちゃって^_^;)、幼い頃から、興味と知識を温めてきました(笑)

それにしても、猛禽類というのは美しいですねえ。こやつはわしですが、「鷹の立つや眠るが如く、虎の行くや病むに似たり」というのが、菜根譚にありました。うちの親父は、「威ありて、猛にあらず・・・」なんて、ぶつぶつ言ってました。

そうそう、ナチュラリストにはたまらないHPをご紹介します。私の教え子のお父さんのHPです。この方は大学の医学部の先生でいらっしゃるのですが、専門家も舌を巻くほどに昆虫類、植物にめっぽう詳しい。それに写真家も脱帽するほどに美しい写真をお撮りになるのです。世のなかすごい人がいるものです。

虫林花山の散歩道


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山月記

2007年08月04日 | BOOKS
山月記・李陵 他九篇

岩波書店

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 隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山(こざん)、略(かくりゃく)に帰臥(きが)し、人と交(まじわり)を絶って、ひたすら詩作に耽(ふけ)った。下吏となって長く膝(ひざ)を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺(のこ)そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐(お)うて苦しくなる。李徴は漸(ようや)く焦躁(しょうそう)に駆られて来た。この頃(ころ)からその容貌(ようぼう)も峭刻(しょうこく)となり、肉落ち骨秀(ひい)で、眼光のみ徒(いたず)らに炯々(けいけい)として、曾(かつ)て進士に登第(とうだい)した頃の豊頬(ほうきょう)の美少年の俤(おもかげ)は、何処(どこ)に求めようもない。数年の後、貧窮に堪(た)えず、妻子の衣食のために遂(つい)に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己(おのれ)の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥(はる)か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙(しが)にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才(しゅんさい)李徴の自尊心を如何(いか)に傷(きずつ)けたかは、想像に難(かた)くない。彼は怏々(おうおう)として楽しまず、狂悖(きょうはい)の性は愈々(いよいよ)抑え難(がた)くなった。一年の後、公用で旅に出、汝水(じょすい)のほとりに宿った時、遂に発狂した。或(ある)夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇(やみ)の中へ駈出(かけだ)した。彼は二度と戻(もど)って来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰(だれ)もなかった。

みなさんご存知の虎になった李徴の話の冒頭です。
このごろ、鬱勃としているせいか、この話が妙に思い出されます。同時に辛かった二十代後半から三十代前半のことをいろいろ思い出します。この頃の僕はまさにここに書いてある話そのままの感じでした。さすがに虎にはなれなかったのですが・・・。
僕が高校生の時の教科書に載っていましたが(思い出すだに忌まわしいあの現代国語の授業…)、まだ今の教科書にも載ってるんですよ。

さてさて、そろそろネジを巻きなおして、夏はお仕事、民法、ジム通い、ちょっとだけ昼寝。そして、どこかへふらっと旅に出たいなあ・・・。




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