久しぶりに妻とそろいの休日。
今日は、まず、上野の国立博物館に行きました。
たまたま、王義之や空海、聖徳太子などの書の展示をしていたので、観てきました。
王義之の蘭亭序や空海の風信帖などもあり、書からパワーをもらってきた感じです。
でも、僕が本当に観たかったのは、これ、馬蝗絆(ばこうはん)です。
一説によると、室町8代将軍、足利義政が、明から伝わった青磁の茶碗を割ってしまい,明に代替品をもとめたところ、これ以上のものは作れないと言って、金具で補修して送り返してきたというものです。
そして、金具の景色が馬の背中に留まった蝗(いなご)のようだ、ということで、いつしか、この名がついたというのです。
そのあと、アメ横をぶらぶらして、遅い昼飯にすし屋により、そして、ほんとに久しぶりに、月島は岸田屋に向かいました。
妻は、岸田屋初体験。
月島に着いたのは、5時少し前でした。ちょっと時間の止まったような西仲通り商店街をぶらぶら・・・
そしていよいよ、「酒」の一文字を染め抜いたのれんがかかりました!
実は、岸田屋は、数年前、お店のご主人が亡くなってしまって、メニューのうち刺身の部分をほとんど出せなくなってしまい、存亡の危機に立っていたのです。それでも、お母さんと娘さんたちでなんとかやっている、という感じです。
僕が、学生だったころは、開店と同時にあっという間に席が埋まってしまったものですが、開店直後は、僕たちと、もう一組のお客さんだけで、店の中はごらんの通り、ガラガラ・・・。
品書きも、だいぶ裏返っていて、まだご主人がなくなってからのダメージを回復していない様子です。
それでも、煮込み、牡蠣の湯豆腐、ぶり大根、たら白子、銀たら塩焼き、菜の花のからしあえ、はまつゆ、焼きおにぎり、などを頂きました。
ビールをジョッキで一杯、焼酎をお湯割で頂き、久しぶりのおいしい料理に満足。妻も気に入ったようでよく食べ、飲んでくれました。
これからは、なるべく行こう。岸田屋、なくなったら寂しいから・・・。
今日は、まず、上野の国立博物館に行きました。
たまたま、王義之や空海、聖徳太子などの書の展示をしていたので、観てきました。
王義之の蘭亭序や空海の風信帖などもあり、書からパワーをもらってきた感じです。
でも、僕が本当に観たかったのは、これ、馬蝗絆(ばこうはん)です。
一説によると、室町8代将軍、足利義政が、明から伝わった青磁の茶碗を割ってしまい,明に代替品をもとめたところ、これ以上のものは作れないと言って、金具で補修して送り返してきたというものです。
そして、金具の景色が馬の背中に留まった蝗(いなご)のようだ、ということで、いつしか、この名がついたというのです。
そのあと、アメ横をぶらぶらして、遅い昼飯にすし屋により、そして、ほんとに久しぶりに、月島は岸田屋に向かいました。
妻は、岸田屋初体験。
月島に着いたのは、5時少し前でした。ちょっと時間の止まったような西仲通り商店街をぶらぶら・・・
そしていよいよ、「酒」の一文字を染め抜いたのれんがかかりました!
実は、岸田屋は、数年前、お店のご主人が亡くなってしまって、メニューのうち刺身の部分をほとんど出せなくなってしまい、存亡の危機に立っていたのです。それでも、お母さんと娘さんたちでなんとかやっている、という感じです。
僕が、学生だったころは、開店と同時にあっという間に席が埋まってしまったものですが、開店直後は、僕たちと、もう一組のお客さんだけで、店の中はごらんの通り、ガラガラ・・・。
品書きも、だいぶ裏返っていて、まだご主人がなくなってからのダメージを回復していない様子です。
それでも、煮込み、牡蠣の湯豆腐、ぶり大根、たら白子、銀たら塩焼き、菜の花のからしあえ、はまつゆ、焼きおにぎり、などを頂きました。
ビールをジョッキで一杯、焼酎をお湯割で頂き、久しぶりのおいしい料理に満足。妻も気に入ったようでよく食べ、飲んでくれました。
これからは、なるべく行こう。岸田屋、なくなったら寂しいから・・・。
入口側のとっつきの真下で、客からは見えにくく、カウンターを通るお店の人が目に入る位置で、たぶんねこの定席でしょう。
ティッシュの箱を枕にしてお店のざわめきをBGMに爆睡。ときどき夢でも見るのか、耳や顔をぶるっと震わせてまたぐっすり。ご老体なのかもしれないけど、ほんとにうらやましいぐらい気持ちよさそうに寝ていました。
岸田屋の肴はどれもうっすらと甘い出汁で、白子も辛子和えも甘くてびっくりしましたが、優しい味でした。
ぜひぜひ、一度ご一緒しましょう!!!
うちの奥さんが言うように、岸田屋の料理はなるほど、言われてみればとがったところのない丸い味がします。お母さんはじめお店の
人たちもみんな優しく丸い人たちなのです。
そんなわけで、ここのお店は居心地がいいです。時間がゆっくり流れています・・・