羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

プリンターからチャップリンへ

2007年12月09日 09時20分03秒 | Weblog
 過日、未だに使っているプリンターのことで、サジさんからお知らせメールをいただいた。
 曖昧な記憶になってしまったが、最初にMacを使い始めたのが、1996年頃だったと思う。
 その時、おすすめに従ってCanonのプリンターを用意した。当時、この‘LASER SHOT’という機種は最先端で、レーザープリンターとして綺麗な印字が出来るものだった。もちろんモノクロ印刷である。にじみもなく印刷時間もかからず、調子がよかったのだ。
 これには本体にスイッチの切り替えはない。したがってコンセントに差し込みっぱなしにして、いつでもすぐ使える状態の製品だ。なので使うたびにコンセントに差し込み、終わると抜くようにしている。

 コンピューターは、2002年に買いなおした。Macにしようかウィンドウズに乗り換えるのか相談したところ、ウィンドウズの方が無難だということでXPに落着いてすでに5年が過ぎた。またまた新しい物が出たらしい。
 
 その時キーボードとマウスは、ワイヤレスになって、こちらはきわめて使い勝手がいい。
 私の場合、カラープリントは必要ないので、そのまま11年間使い続けているわけ。
 で、どうもその機種に不具合が出たらしい。
 電源コードの差し込み口が壁に押し付けられているとか、人が歩くときにコードを踏むとか、条件によって異臭や発火が起こる可能性があるのだという。連絡をすると無償で修理してくれるという。

 幸い私のパソコン環境では問題はなさそうだった。
 しかし、不具合がないわけではない。かなり使い込んでいるプリンターなので、輪転機部分がツルツルに消耗しているらしく、印字するときに何枚か一緒に紙を挟み込んでいってしまう。そこで印刷するたびに残りの紙を押さえて使っている。

 修理しようか、買いなおそうかと迷うところだ。どっちも面倒だ。修理に出すとすれば、その期間、使えないと困るというこもあって、結局のところそのまま使い続けている。
 まぁ、その点を除けば、今のところ何も不自由は感じていない。
 
 今度パソコンを変えるときがプリンターを変えるときかもしれない。
 でも、パソコンだって、せっかく慣れているものを新しくするのは非常に気が重い。
 それにこの中に入っている情報をどうするのか。ブログのように外に保存できるほうが楽でいいと思う。
 だって最初にワープロを使い始めたのは1985年以前だったと思うが、それから何台か機種が変わるたびに、フロッピーを残しているのだけれど、古いものを活かしたためしはない。印刷してあればスキャナすれば言い訳だから。

 これほど頻繁にパソコンの機種を変える必要があるとすれば、外付けのサーバーにお願いしてしまいたい。そうでなければ家のなかに古いパソコンを残す部屋が必要になってしまうに違いないと素人は悩んでしまうのだ。
 実は前のMacもそのままとってあって、今となっては捨てるに捨てられない状況に陥ってしまっている。
 以前、聞いた話だが、7台のパソコンをすべてとってあって、その部屋は一年中湿度と温度管理をしているのだという。そういう人だっている。今ではパソコン台数が確実に増えているだろう。そのうちにパソコン博物館が出来るかもね。

 いやはやここまでくると、‘IT化の時代は、人間が機械と情報の奴隷になる時代か?’などと憎まれ口をたたきたくなってしまう。
 そこで思い出すのは、チャップリンだ。映画の題名を失念してしまったが、オートメション化されたために機械に人間が振り回される生活を皮肉った作品。それを見て、笑っていられない時代が到来した。
 天才というのは、予見能力が優れている証拠だ。
 
 とにもかくにもライムライトの音楽に酔いながら、哀愁と悲哀のなかで人を愛する切なさに涙するような体験を失いたくない、とつくづく思う年の暮れである。
コメント (2)
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