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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「身体サミット」朝日カルチャーセンター公開講座

2009年04月05日 07時56分15秒 | Weblog
 昨日4月4日午後、朝日カルチャーセンター・新宿で、長谷川智さん、河野智聖さん、羽鳥の3人のセッションが終わった。
 野口体操を軸に‘身体’について語り合い、実技もさわりだけ体験できる贅沢な企画だった。
 参加者の皆さんも、ほとんどの方が何某かの身体講座を受けているだけでなく、それぞれに身体への関心(意識)が高い方々だった。
 朝日カルチャー・二階のぶ子さんはじめ、お二人の先生、参加くださったみなさんの‘一緒に講座を作っていこう’とする思いが教室内に満ち溢れて、3時間はあっという間に過ぎていった、と感じている。
 密度の濃い、いい時間を過ごさせていただいた。

 この講座は、野口体操を外から見てみたいという私の思いもあった。
 そこで、戦後の日本人がどのように‘身体’とかかわってきたのか、そしてその身体のへの思いがどのような時代背景から生まれてきたのか、それを知る手がかりとして、一つの年代表を作ってみた。
 その作業を行いながら気づいたことは、野口三千三(野口体操)は、昭和20年代後半から現代に至るまで、何らかの形でかかわり少なからぬ影響を社会に与えてきたことが改めて確認できたことは収穫だった。
 昨日のレジュメ2ページ分をここに貼り付けます。

朝日カルチャーセンター公開講座「身体サミット」レジュメ  羽鳥操記

■はじめに
 ◆戦後の日本人は、身体とどのようにかかわってきたのか。
  野口三千三(野口体操)は、昭和20年代から没後、現在に至るまで少なからぬ影響を与えてきた。
第一次身体ブーム 昭和24年(1949年)~30年代半ば(1955)
終戦(昭和20年、1945)から7年間、アメリカの占領下にあった日本は、猛烈な勢いでアメリカナイズされていった。その過程のなかで、大半の日本人は‘身体コンプレックス’を持ち、女性は美容体操・男性はボディビルへと向かった。都会を中心とした流行ともいえるこの現象は、姿かたちだけではなく立ち居振る舞いも含めて、いかにして西洋人の体型(体形)に近づくことができるのか、といった涙ぐましい努力がなされた時代だった。

第二次身体ブーム 昭和40年代(1965年)~昭和55年(1980年)2ページを参照
日本が右肩上がりで発展した時代。安保闘争、学生運動、臓器(心臓])移植、米ソ間宇宙開発競争、公害問題。とりわけ1974年に注目すると、健康ブームが起こった。その特徴は、西洋的医療と相対するように東洋的(日本)健康法や民間療法に関心を持つ人々が増えた。
1977年には、フランス現象学を流れとする哲学、小劇場(アングラ)演劇運動、文化人類学等々から身体へのアプローチが、一つの流行現象となって顕在化したことは特筆すべきことと言える。しかし、この時代の反西欧的な思想は、一般社会には受け容れにくい‘後ろめたさ’や‘暗さ’があったことは否めない。80年代後半から90年代にかけて、次第に表舞台から一歩下がった観がある。
この第二次身体ブームは、精神性(心身一如)を重んじて、心身を一体としてみなす新しい身体観を創出。しかしオウム真理教事件(28人の死者・6千人の負傷者、484人信者逮捕・189人起訴)によって、一気に潮が引くように後退してしまった。ヒッピー、カリフォルニア文化ともつながる‘ヨガ’は濡れ衣を着せられ、せっかく純粋に‘身体’に向けられた‘新たなまなざし’は一挙に閉じられた。

第三次身体ブーム 平成10年(1998)~現在
この頃を境に洋の東西を問わず、さまざまな身体観・身体技法が流行し、‘身体ビジネス’としても社会化現象が起こっている。癒し系、筋トレ系、武道武術系、中国系、インド系、(ヨガはアメリカ経由で、西洋化されたものが流入)、マッサージ、整体。呼吸法等々、挙げたら切がないほど活況を呈している。

■それぞれが依って立つことのなかからいちばん象徴的な事を、実技を加えて紹介
 ◆出会いから現在までの活動について等々。

■現代に生きる‘身体智’とは何か
◆資料:09年3月13日朝日新聞夕刊『「休日は山伏」都会人』「体ごとの宗教」という記述あり。
*例えば:長谷川先生「行」「瞑想深化のプロセス」について。『瞑想の妙法』コスモスライブラリー
*例えば:河野先生 一、日本人の身体感覚。「型」について。
          二、『日本人力』BABジャパン。「智慧」や「勘」について。
 *例えば:羽鳥『マッサージから始める野口体操』朝日新聞出版
      おわりにー日常と非日常・填まる身体。

 ****以下、60年代~70年代の年表****

 『近代日本総合年表 第二版』岩波書店編集部1984年版より
    注:は羽鳥が挿入

1966年(S41)*景気上昇「いざなぎ景気」[65年下期~70年下期]*中国プロレタリア文化大革命に関する論議がさかん*小劇団による小劇場活動さかん
1967年(S42)*農業就業人口19・3%全就業者の20%を割る*ミニスカート大流行*ゴーゴー喫茶・アングラ酒場隆盛*南アフリカ共和国で初の心臓移植手術(12・3 12・21患者死亡)
 注:「現代の眼」に『原初生命体としての人間』第一章「体操による人間変革」野口三千三
1968年(S43)*東大紛争の発端*国民総生産(GNP)1428億ドル、米国に次ぎ第二位*全国115大学で紛争発生*脳波と脳死委員会設置*和田寿郎教授の心臓移植手術を巡って論議*チェコ民主化‘プラハの春’。ソ連、東欧5カ国チェコに侵入占領
1969年(S44)*ベ平連(ベトナム戦争反対)*東大安田講堂乱闘、全国全共闘連合・反戦青年委*テレビ受像機生産台数1269万台世界第一位*東京にスモッグ注意報、銀座に酸素自動販売機登場(一回50円)*エコノミックアニマル*情報化社会*石牟礼道子『苦海浄土―わが水俣病』
1970年(S45)*いざなぎ景気終わる*70年度食料農産物の自給率75%に低下、穀類の自給率は48%*マイカー、4世帯に1台、交通事故死者1万6765人、負傷者98万1096人史上最高(80年には半減)*日航機‘よど号’赤軍派学生乗っ取り事件*日米安保条約、自動延長政府発表*光化学スモッグ、ヘドロ公害、カドミウム汚染、農業汚染、廃棄物不法投棄など多様な公害が全国的に拡大
1971年(S46)*対米貿易収支25億1700万ドル幅出超記録[日米貿易摩擦激化]*ボーリング人口老若男女1000万人*沖縄返還協定調印*Tシャツとジーパン爆発的流行*住宅ローン本格化
1972年(S47)*沖縄返還を決定*海外旅行者139万人*田中角栄日中国交正常化達成で調印*列島改造=土地ブーム*第二次ベビーブーム*封書が20円・葉書が10円*連合赤軍リンチ殺人事件*田中角栄通産相‘日本列島改造論’*田中角栄内閣*東京湾は死の海。環境庁光化学スモッグは自動車の排気ガスが原因と発表*アポロ17号月面着陸*ローマクラブ報告書(成長の限界)
 注:『原初生命体としての人間』三笠書房より出版された
1973年(S48)*筑波大学開講*モノ不足・物価狂乱*小松左京『日本沈没』
1974年(S49)*卸売物価指数31・3%消費者物価指数24・5%狂乱物価*日本の国連分担金分担5・4%~7・15%に増え米ソについで第三位となる*中核派・革丸派などの対立・内ゲバ深刻化*超能力ブーム*自然・健康食品ブーム*民間健康法盛況(野口整体・西式療法・浪越指圧・ヨガ道場・新体道・断食療法)漢方薬にも人気*高校進学率90%を越す*立花隆「田中角栄―その金脈と人脈」文芸春秋*田中角栄辞意
1975年(S50)*乗用車の対米輸出80万台トヨタは西ドイツフォルクスワーゲンを抜き第一位*狂乱物価沈静*大学生200万人突破*環境庁「緑の国勢調査」*遺伝子操作実験自粛を決定
1976年(S51)*戦後生まれ、総人口の半数を突破*中国天安門事件
1977年(S52)*シュタイナー著作集 高橋巌訳刊行開始*平均寿命男72・69歳でスウェーデンを抜き世界1位女77・95歳で両国1位*カラオケブーム*ディスカウンター(ヨドバシカメラ・メガネドラッグ)盛況*立川米軍基地返還*テレビゲーム、小中学生の自殺増*円高不況*タウン情報誌ミニコミ誌盛況*《身体論がさかん、鈴木忠志 中村雄二郎(劇的言語)。市川浩 シンポジウム「身体の現象学」》《叢書:身体の思想(10巻)》など
 注・『野口体操 からだに貞く』柏樹社から出版された。