羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

グラントリノから一神教とアニミズム……日本文化の可能性へ

2009年05月22日 19時37分41秒 | Weblog
 映画「グラントリノ」の話をレッスンでした翌週に、論文のコピーをいただいた。
 映画の話から思い出したのだと言葉が添えられていた。
 それは1963年「思想の科学」に載った見田宗介氏の論文で大学院生のころのものだと言う。題は、「死者との対話ー日本文化の前提とその可能性」。
 キリスト教の原罪と日本人の‘原恩’について。
 シツォイド型文化(一神教を原型とする隔絶型文化・オリエントからヘブライズム、プロテスタントに至る)とチクロイド型文化(汎神論を原型とする調和型文化・日本およびヘレニズムからルネッサンスを含む)等々。
 
 日本文化の雑種性の強みを、人類精神史の中で、‘かけがえのない寄与’にまで高め、日本人のオリジナルな歴史を開拓しようとする結びに、後の活動を予見する論文であった。

 とりわけ「ヒューマニズムと内面的主体性の確立が歴史的には、超越神への信仰を媒介として始めて可能である」ことを歴史的な必然性であって、論理的な必然性ではないという指摘をすでに二十代でしているところはさすがだ。

 この論文をいただいたことで、映画は感動のなかに歴史的精神史も内包していたことが、私のなかでより鮮明になった。
 アメリカ=イーストウッドが描いた戦争の痛みを陰画として、日本=野口の生きた敗戦後の野口体操を陽画として、いや、陰画と陽画を交互に逆転させながら、映画をとおして人間の根源を考えるきっかけをもらったのだ、と気づかされた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする