羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

細やかな心遣い……カイロス的時間とクロノス的時間のはざまで

2017年06月23日 14時22分57秒 | Weblog
 昨日、7日ぶりに母を訪ねた。
 私のことは忘れられているかもしれない、とドキドキしながら5階のエレベーターをおりた。
 母にお近づくと「いつ来たの」と自然に声をかけてくれた。
 ホッとした瞬間だった。
「少しずつ落ち着いていらっしゃいましたよ」
 その言葉でさらにホッとした。
 
 入所時から、部屋には動くと “ ピポピポピポ ” と、かなりけたたましく反応するセンサーの敷物があったが、それを取り外して、外に出たときだけ知らせるためのドアチャイムがつけられた。昼間でも結構よく聞こえるし、よい音色なのだ。
「これからの季節、風鈴みたいですね」
 担当の方が話しかけてくれた。
 つまり、部屋の中では危険はないので自由に動いていい、という判断らしい。

 ここまでが昨日のこと。
 ここからが今日のこと。

 衣類の入れ替え、長年使っていた枕を用意し、自宅から茶葉と急須を持って行くことが主な仕事だった。

 10時ごろに、デンタルクリニックの訪問診療で、歯のクリーニングをしてもらったあとの時刻に到着した。
 ちょうど皆さんにそれぞれの好みの飲み物を配る時間で、母には50年以上も日常的に呑んでいる狭山茶を入れてくれた。
 母と話していると、日本茶のよい香りが漂ってきた。
 こんなにいい香りがするとは、今日の今日まで気づかなかったことに驚いた私だった。
 こんなふうに一日に一回でも入れてもらえたら、母にとってはありがたいことだと思う。
 スタッフの方々の心遣いに感謝しかない。

 いつもは私がお茶を入れていた。にもかかわらず、香りに気づいて新鮮だった。
 これも私が得られた「レスパイト・ケア(施設入所することによって、介護者が自分の時間を持つ)」の賜物であろうか。
 これは多くのスタッフに支えられていることを、現場で身にしみた瞬間だった。

 先日行われた施設の「懇談会」でも話題になっていたことがる。
 介護は、サービスかホスピタリティーか。
 そのことを考えながら、講習等々も受けているという。
 またKさんからのメールにもあったが、『本来ケアの本質は、その人の固有の時間、歴史時間(カイロス的時間)を共有する事にあると思いますが、制度化された介護業務はどうしても定量化された時間管理(クロノス的時間)の中で業務が遂行されていきます。施設介護の限界のように思います』

 限界の中でも、50年以上呑み続けたお茶を入れてくれる、ということは身体記憶のカイロス的時間を過ごさせてもらった、と言える。
 母は、すぐにも呑みたそうだった。
 言葉には出さなかったが、香りが懐かしかったかもしれない。
 じれったそうに冷めるのを待った。
 そして、表情も変えずに、お茶をすすっていた。
 5月20日以来、久しぶりの我が家のお茶である。

 他にも、ほぼ一週間過ぎたが、床に寝具をおろして就寝するということで、少しずつ落ち着きはじめたらしい。
 ベットではなく布団を敷いて休む、という90年の習慣は、からだの芯にしっかり刻まれている固有の時間(カイロス的)、そのものなのだ。
 
 深夜の状況はわからないが、朝・昼・夜の介護現場を垣間みながら、たくさん学ばせてもらっている。
 徐々にです。
 ぼちぼちです。
 日常の些細なことは、けっして些細なことではないんですねー。

 ひたすら、ありがとうございます。
コメント
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