羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

立ち話

2017年06月25日 07時47分05秒 | Weblog
 母の施設まで、徒歩13分ほどである。
 ほぼ3週間が過ぎて、通う道も定まってきた。
 先日、大きなトート・バックに持参するものを目一杯詰めて左肩から下げ、右手にも大きな袋を下げて、いつもの道をテクテクと歩いていた。

 太陽は真夏を思わせる。気温はジリジリとあがっている。
 日傘はさせない。
 こんな時には大きな麦わら帽子をかぶるのが、私の慣わしとなって久しい。
 畑仕事にでも出かける出で立ちである。

 気づくと2メーターくらい前を、犬を連れて散歩中の女性が歩いている。
「お久しぶり」
 声をかけると振り返って
「ほんとうに」
 にっこりと笑ってくれた。

 どちらへ、と言葉には出さず、少々怪訝な表情を一瞬みせた。
「母がこの先の施設に入所して、届け物なの」
 それがキッカケで話がはじまった。

 彼女は私と同い年。
 30年以上も前に、二人のお嬢さんが我が家にピアノを習いに通っていた。
 時々、こうして会うと、なんとなく世間話をする間柄である。

「母を家に引き取って5年、施設に入ってもらって5年、ざっと10年介護したの。でも引き取ってすぐに、母におむつを当てたのよ。そしたら“こんなことなら死にたい!”っていわれてしまって……」

 しばらく間をおいて
「介護だけに専念しようと思ったんですけどねー」
 周りの人たちに画廊の仕事だけは続けるようにすすめられ、土曜と日曜の二日間だけ続けたそうだ。
「それはそれでよかったんですけど。死にたい、繰り返し言われると……」
 仕事も介護も、どちらか選択を迫られたときの、何とも言いようのない切なさはよくわかる。

 とくに親におむつを当てる判断は苦しいし、それ以上に当てられることへの抵抗感はいかばかりか。
「私もそろそろ母におむつをしなければ、と思いはじめた矢先に母の入院と施設からの入所のすすめの電話をもらったの」

 そういえば『母に襁褓をあてるとき』なんて題の本があったことを思い出す。
 著者は、最後は都知事の地位に就いたものの、晩節を汚した政治家だったなぁ〜。
 いやいやまだお元気でご存命のようだ。失礼。

 彼女は話し続けた。
「施設に入って亡くなる頃には、まったく食事をとらなくなって、自然に衰えて静かに逝ってくれて」
「そうでしたか」

 昨今、友人や知人、ある年齢の方との会話内容は、親の介護話であることが増えた。
 それほど親しい関係でなくても、道で偶然に出会って、さらりと話をかわすことが、どれほど気持ちを落ち着かせ、気持ちを楽にさせてくれるかが、わかってきた。

 この街に住んで半世紀。
 両親を知っている何人もの方と、こうして立ち話をする機会がある。
 声をかけたり、かけられたり、世間話を少し超えた会話は、萎えている心に束の間の安らぎをもたらしてくれる。そして元気をもらっている。
 
 この日も、お互いに、黙礼して、別れた。
 日差しが燦々とふりそそぐ道を、私は、ふたたび歩きはじめた。
 環状七号線はすぐそこだった。
コメント
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