お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

下地先生の教え

2010年04月24日 | 教育・学校
下地先生の教え
下地 敏雄
朝日新聞出版

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内容紹介
TBS系「さんまのスーパーからくりテレビ」で大人気の現役国語教師・下地敏雄。夢・挫折・孤独など人生の悩みに真剣に答えた感動の一冊。ただいま、制作中。




人間って、悩みを人に聞いて貰いたい。
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ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書~なぜ学び、なにを学ぶのか~

2010年04月05日 | 教育・学校
ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書~なぜ学び、なにを学ぶのか~
7人の特別講義プロジェクト
講談社

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内容紹介
<はじめに>
講談社漫画賞を受賞し、その後TVドラマ化されるなど、さまざまな社会現象を巻き起こした東大合格請負漫画『ドラゴン桜』(モーニング)が2007年7月に連載を終了します。
4年間におよぶ連載完結を記念して(2003年~KC21巻)、2冊のドラゴン桜公式本の刊行を予定しております。
1冊は『ドラゴン桜』に登場したさまざまな勉強法を紹介するドラゴン桜公式ガイドブック『東大へ行こう!完全版』(8月23日発売予定)で、もう1冊が本書、ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』です。

<コンセプト>
まだ大学受験までに余裕のある中学生~高校2年生までの生徒たちに贈るメッセージをまとめたものが本書になります。
漫画『ドラゴン桜』は、高校3年生から1年間の受験勉強で東大合格をめざすストーリーとなっていることもあり、本書では中学生~高校2年生までに考えておきたいことを紹介していきます。



■『ドラゴン桜』作者の紹介文

きみたちはなぜ、勉強しているのだろう。
青春の貴重な一ページを、どうして勉強なんかに費やさなきゃいけないのだろう。
16歳といういまこそ、真剣に考えてほしい。
自分が勉強する理由、そして自分が勉強するものの正体を。
当代きっての特別講師7人が「なぜ学び、なにを学ぶのか」に答える特別講義、
ついに開講!

三田紀房



教育は、親が責任を持たなければならないと思う様になった。
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多磨学院

2010年03月22日 | 教育・学校
多磨学院は、かつて東京都府中市にあった中学・高校受験のための学習塾である。塾訓は「頂に立つ」「不屈の魂」「友情」であった。


かつての所在地
(本部教室)東京都府中市府中町1-25-19  (旧教室):東京都府中市府中町2-10-6  (東府中教室):東京都府中市清水が丘1-3-8   本部教室は、株式会社トヨフレックス本社となっており、当時の建物は現存している。

塾の概要
強烈な個性の塾長の経営による、いわゆる個人塾である。しかしながら、1学年60名前後の塾生から毎年開成高校に5~10名程度を輩出しており、個人塾の域を超えた実績を残していた。講師の殆どは塾OBの大学生であり、講師達は大学生活のほとんど全てを投げ打ち塾生の指導にあたっていた。その指導内容は現在では考えられないような、俗に言うスパルタ式のものであり、部屋を真っ暗にして怒号とともに机を蹴り倒すということは日常茶飯事であった。また塾長は登山をこよなく愛しており、塾生達は塾所有のマイクロバスに乗せられて「山行」に半ば強制的に連行された。しかしながら、山行は塾生達の友情の絆を深め、またその後の塾生達の人生に思い出という意味も含め少なからず影響を与えているはずである。更に、奥多摩および八ヶ岳(1984年に新築)に山荘を所有しており、夏休みを中心に合宿授業が行われていた。日常的にオルグと称して気合を入れるための集会を廊下で行っていた。この場では講師が金切り声で訓示をし、気合を入れ、最後は「ファイトコール」で〆るのが通例であった。ファイトコールは全員が両膝に手を乗せた状態の前傾姿勢をとり、代表者(講師の場合もあれば塾生の場合もあり、何人もで回していくこともあった)が「多磨塾第**期~ファイッ」と口火を切ると全員が続けて「ファイッ」と代表者と交互に連呼し、最後に再び代表者の「多磨塾第**期~ファイッ」全員で「ファイッ」で終了となる。ファイトコールはオルグのほか、山行、合宿、全塾集会などあらゆる場で行われる聖なる儀式であった。

授業
小学4年生は週4日、小学5年生~中学3年生までは週5日が基本であった。木曜日と日曜日が休みである。週4日コースも設定されていたが、実質的には恐ろしくて誰もその選択はしなかった。授業はとことんスパルタであり、怒号はもちろんのこと、消灯や机の蹴り倒しなど、今では考えられない内容であった。基本的に直接的な暴力行為はなかったが、本部教室の廊下に立たされた塾生がビンタされた際に頭を壁に打ちつけ、木製の壁に穴が開いたこともあった。またテストの直しなどその日の課題が完了するまでは帰ることも許されず、塾を出るのが23時過ぎとなることもザラであった。中学部では主に最高水準問題集を使用していたが、授業では講師が黒板に板書した問題をノートに書いて解くという反復学習が主体であった。

講師
講師はその多くが塾OBの現役大学生であった。講師は週5回の深夜におよぶ授業のほかプリント作りや採点に追われる激務であり、慢性的に寝不足であった。当然大学の授業に満足に出席できるはずがなく、留年するものも多かった。また講師は数学、英語、国語、理科、社会それぞれ教科毎に分業されていた。各講師は自分の専門教科以外の学力は低いことが多く、塾生に質問されてもわからずに、「こんな問題自分でできないのか!」などと逆切れすることも少なくなかった。

塾歌
山の友よ(成蹊大学山岳部、虹芝寮寮歌)を塾歌としており、全塾集会や山行のバスの中でテープが流され全員で合唱した。

山行
山行は主に中央道須玉インター~諏訪インター周辺の山(入笠山など)へ行っていた。日曜日の日帰りが基本であったが、中学2年の文化の日(晴れの特異日と言われる)には前夜より出発し徹夜山行が決行された。交通手段は塾所有のマイクロバスを講師が運転していたが、講師たちは慢性的な寝不足と山行の疲れから居眠り運転の危険性が極めて高かった。これを打開することも目的の一つとして、往復のバスでは常に塾長の趣味の音楽を集めたテープが大音量で流され、塾生達は大声で熱唱することが義務付けられていた。明日のジョー、野球狂の歌(エンディング)、I am Sayling、岬めぐり、季節の中で、めだかの兄弟など、全く一貫性のない選曲であったが、バスの車内はいつもそれなりに盛り上がっていた。テープには所ジョージの「冬の情景」が収録されていたが、この歌詞の中で氷が溶け出し「1枚が2枚、2枚が4枚・・・」と数える件があり、この歌で2の累乗を暗記したものも少なくない。なお、山行時には保険料として2,000円~3,000円が徴収されたが、それ以外は無料であった。

合宿
合宿は日曜日を利用するほか、3年生を主体として夏休み前半を中心に連日塾所有の山荘で行われた。特に八ヶ岳山荘ができてからは、2泊3日八ヶ岳、中1日休み、1泊2日奥多摩、中1日休み、2泊3日八ヶ岳というような、鬼のような合宿が組まれることもあった。山荘には布団はなく、塾生が各自My寝袋を持参しその中で寝た。また食事は朝食・昼食は基本的にカップラーメン(固形燃料で自炊)、夕食は各自米を持ち寄り講師がまとめて炊いたうえでレトルトカレーを固形燃料であたためて食べるという、過酷な環境であった。




長女が四月から高3なので、自分で「塾」「予備校」を探している。僕もその一助になればと思い、探してみたら、過去に存在した「多磨学院」というスゴイ塾が出てきた。
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フリン先生の一周忌を終えて・・・

2010年03月22日 | 教育・学校
ロバート・M・フリン (Robert M.Flynn 1920年3月12日-2009年2月7日) は、宗教家・教育者。プログレス・イン・イングリッシュhttp://www.meikei.org/EnglishCorner/prog1.htmlなどを中心とした著作活動や教育活動を行う。

1920年、ニューヨーク市生まれ。カトリック、イエズス会の私立高等学校(4年制)を卒業後、1937年8月14日イエズス会の修道会に入る、フォーダム大学(ニューヨーク市、2年間、文学専攻)、セントルイス大学(ミズーリ州、3年間、哲学専攻)で学ぶ。卒業後、ニューヨークの高校で英語、ラテン語、ギリシャ語、宗教を3年間教え、ベルギーとドイツに留学して神学を勉強する。1950年8月24日、Eegenhoven(ベルギー)にて司祭叙階。

1952年10月29日、神父として来日。イエズス会のキリスト教主義学校(ミッション・スクール)である六甲学院中学校・高等学校(神戸)や泰星中学校・高等学校(福岡)で35年間英語を教え、その指導実践のなかから、オーラル・コグニティブ・アプローチに基づいた教科書『プログレス・イン・イングリッシュ』全6巻を著す。1988年より津和野カトリック教会にて主任司祭を努めた後、萩、山口の教会にて司牧。六甲学院高等学校のバスケットボール部のOB会は氏の名前を付け「フリン杯」と呼ばれている。晩年は東京都練馬区上石神井のイエズス会ロヨラハウスにて静養していた。2009年2月7日にロヨラハウスにて逝去。




プログレス・イン・イングリッシュ(PROGRESS IN ENGLISH)は、エデック社http://www.progress21.net/text/index.html発行の英語教科書である。略称プログレス。また本項目ではマイナーチェンジ版である「PROGRESS IN ENGLISH 21」についても解説する。


PROGRESS IN ENGLISH
主に私立や公立の中高一貫校で使われている。会話文中心であり、非常に分厚く高度な内容とも言われているが、その分文法からしっかり理解できるため、学び切ればかなりの実力が付くと言われる。この教科書を使っているかどうかを中学受験の際の学校選びの基準にする人もいる。

1年で1冊の計算でBOOK1~6までの6冊に分かれているが、内容が多く難度も高いため、中高6年間でBOOK4ないしは5までしか扱わない学校も多い。 著者は六甲学院や泰星学園で教鞭を取っていたイエズス会士の神父、ロバート・M・フリンである。表紙の色はBOOK1から順に、青・赤・緑・ベージュ・灰・紫。

上記のように内容が濃いゆえに、学校の授業だけでは消化不良になる生徒も多い。そのため、プログレス対策を銘打った英語塾も関東・近畿を中心に多く存在する。

本にはカセットテープ(現在はSD)が付属し、ヒアリングの練習が家庭でも出来るようになっている。

PROGRESS IN ENGLISH 21
上記のPROGRESS IN ENGLISHを元に、ロバート・キエサ・井坂保彦が監修し、麻布学園、栄光学園、聖心女子学院の中高等学校英語教師が執筆したものが、PROGRESS IN ENGLISH 21である。 2003年4月1日に第1版を発行。イエズス会出版に著作権がある。







亡くなった時に書いた文章を書き写します。


フリン先生との初めての出会いは、中一B組の担任に先生がなった時。それまでは、外国人と話をした事も無く、ちょっと怖いなぁと思ったのが正直な感想だ。ずっと­、補欠だったが、バスケットボール部に入ったのも、フリン先生がバスケ部の顧問をしていたから、何となくだった。35期の部員が25人もいたのもフリン先生に惹­かれて入部したのだと思う。当時、50代だった先生は華麗なランニングシュートを僕達に見せてくれた。英語(英作)の授業も面白いやり方で、教えてくれた。授業­中はすべて英語。黒板に「人が絞首刑になる絵」を少しずつ描いていく間に、生徒が一つずつ質問をし、フリン先生が教室に隠した物を「絞首刑が執行される前」に答­えられたら、生徒の勝ち、「絞首刑が行なわれたら」先生の勝ち。そんなゲーム感覚の授業だった。「PEACH BOY(桃太郎)」という、六甲の先輩が英訳した副読本も使った。補習も、朝早く来てしてくれた。SST(できる)、TNT(まあまあ)、SOS(がんばれ)と­言う三つのグループに分かれて、勉強した。

 夏休みには、六甲山で飯盒炊爨をしたり、「探偵と犯人」というフリン先生が提案したゲームを熱くなって、先生と僕達でやったりした。忘れられないのは、神戸から­姫路、小豆島、高松、洲本と巡り、神戸に帰って来るサイクリングに連れて行ってもらった事。各地のカトリックの幼稚園とかに泊まった。小豆島での宿泊は六甲の先­生の実家近くの海岸でテントを張って寝た。その小豆島の坂道で、僕は自転車ごと、道に開いていた大きな穴に突っ込み、自転車は空中へ。倒れた僕の上にその自転車­が落ちてきて、かなりのケガをした事が忘れられない。フリン先生にすぐ病院に連れて行ってもらい、包帯男になって、それでも神戸まで帰って来た。中三の頃の話だ­。


冬休みは鶴甲団地のアイススケート場にも連れて行ってもらった。


 フリン先生と言えば、バイク。中一の時、フリン先生がバイクで家庭訪問に来られた時はうちの両親もかなりビックリしていた様だ。映画『大脱走』のスティーヴ・マ­ックィーンみたいでかっこ良かった。母はいっぺんで、フリン先生のファンになってしまった。


 高校時代、教室で当時流行っていた「コックリさん」をやっていて、「宗教が違うーっ!」と先生に怒られた事くらいで、フリン先生の印象は「あの笑顔」だった。あ­る時、先生と二人で話していて、アメリカの先生の実家には「鷲」が玄関の上に飾ってあると仰っていた。お兄さんが太平洋戦争で戦死、アメリカという国の為に亡く­なった印として、「鷲」が飾られているのだと仰った。哀しそうな目をされていたのを今でも憶えている。


 フリン先生の体調がすぐれないと聞き、山口のサビエル教会に行った時、既に痴呆が進んでいて、受け答えはされるものの、僕が誰かは分からなかった様だ。東京・ロヨラハウ­スに移られてからは諸先輩の誘いもあり、何度も御見舞いに伺った。六甲高校の校歌を歌う時だけ、唇が動いていた。

僕の中で、フリン先生は不死身だった。いつまでも、僕が生きているこの世に居て下さると思って­いた。ある夜、午前1時半頃、メールチェックをしていると、前日の午後10時46分に、同期の○○神父から、「フリン先生危篤」の報が入っていた。すぐ、ロヨラハ­ウスに電話したら、館長が出て下さり、「フリン先生は30分程前に亡くなられました」と。翌早朝、ロヨラハウスに車で駆けつけた。先生はいつもの病室でいつもの­様に静かに眠っておられる様だった。頬を触ってみた。冷たかった。僕と先生の二人だけ。窓は全開、冷たい風が柔らかに白いカーテンを揺らしていた。20分位、そうして­いただろうか・・・同期の○○が来て、フリン先生のご冥福をお祈りした。悲し過ぎて、涙が出なかった。「見返りを求めない愛」「無償の愛」を生涯かけて多くの人達に与え続けたフリン先生、マザー・テレサに会いに行かれ、とっても感動されていたフリン先生、フリン先生本当にありがとうございました。


ある六甲生が先生の言葉をブログに書き記してくれていました。

Keep a green branch in your heart,

and the singing bird will come.



先生の生き方を僕は自分の心に刻み付けました。僕がフリン先生と初めてお会いした1972年4月。先生は50代半ばでした。僕もその歳に近づいて来ました。今度は、僕ら教え子が「無償の愛」を周りの人達に配る番です。見てて下さいね・・・天国から。
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変な給食

2010年02月17日 | 教育・学校
変な給食
幕内 秀夫
ブックマン社

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出版社/著者からの内容紹介
雑煮と食パン? 黒糖パンに味噌汁? 
コッペパンとみたらし団子? ジャムトーストに酢豚?
イチゴ蒸しパンときつねうどんと牛乳だけ?
せ、先生、これって本当に昼メシですか?
『粗食のすすめ』の幕内秀夫があぶない給食現場を実況中継。
全国の「変な給食」を忠実に再現して写真で紹介。
いまどきの子ども達は、こんな変な給食を食べさせられている!!

内容(「BOOK」データベースより)
衝撃!爆笑!鳥肌もの!これがいまどきの学校給食だ!雑煮と食パン?黒糖パンに味噌汁?子どたちは大丈夫か?超ミスマッチ・油と砂糖責め・貧乏給食・お菓子給食・居酒屋給食。総勢73点、全国の変な給食を写真で紹介。




面白い給食があるんやなぁ。不思議。
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今年もトラブル・・・大学入試センター試験初日終了(10/01/16)

2010年01月17日 | 教育・学校
今年もトラブル・・・大学入試センター試験初日終了(10/01/16)


毎年、トラブっているナァ。

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六甲高校・六甲中学(六甲学院)の校舎が建替え。在学生が撮った映像を観てネ!

2010年01月17日 | 教育・学校
CREDITS Part1/4


CREDITS Part2/4


CREDITS Part3/4


CREDITS Part4/4



映像で遺してくれると嬉しいな。
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反日組織・日教組の行状

2009年11月22日 | 教育・学校
反日組織・日教組の行状 (家族で読める family book series) (家族で読めるfamily book series―たちまちわかる最新時事解説)
一止 羊大
飛鳥新社

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内容紹介
学校現場で何が起きているのか?
これからどうなってしまうのか?

これまであまり語られることのなかった日教組による反日教育の学校現場。
国旗掲揚を右翼活動とみなし、
祖先の命がけの戦いを間違った侵略戦争とみなす。
そんな教師たちから教育を受けた子供たちも自分の国に嫌悪感を持ち、
その悪循環は続いていく。

使命感に燃えた元公立学校長が全てを語る。



内容(「BOOK」データベースより)
学校の常識は社会の非常識。愛国心を骨抜きにする教育がこの国を滅ぼす。



著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
一止 羊大
1943年島根県生まれ。証券会社、銀行などを経て、養護学校、公立高校、定時制高校などで教壇に立ち、教職経験は35年。引退後、教育現場の実態を明らかにした『学校の先生が国を滅ぼす』(産経新聞出版)が話題となった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



ほんま、最近学校がおかしい。次男の通っている小学校の校長(調布市緑ヶ丘小学校)は、調布市教育委員会しか見てないし、定年まで自分が無事で過ごせばいいと思っているとしか、考えられない。
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アメリカの小学1年生の授業中継

2009年11月03日 | 教育・学校
アメリカの小学1年生の授業中継
ジェームス・M・バーダマン
中経出版

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出版社 / 著者からの内容紹介
アメリカの小学校1年生が朝の始業時間から午後の下校時間までに教室でどんなことを学んでいるかを国語、算数、理科、社会、図画工作、音楽の各教科にわたって再現。解説は日本語で、児童が実践する内容については英語と日本語の対訳を掲載。



内容(「BOOK」データベースより)
アメリカの学校では、マニュアルに沿った教育ではなく、生きた教育を行なうことに重点が置かれている。初めて学校で「国語」として英語を学ぶ小学校1年生の担任教師は、子どもたちが飽きずに楽しく学び、学ぶことが好きになるように、指導内容や教材、教室のレイアウトに工夫を凝らしている。本書は、アメリカの小学校1年生が朝の始業時間から午後の下校時間までに教室でどんなことを学んでいるかを国語、算数、理科、社会、図画工作、音楽の各教科にわたって再現している。



著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
バーダマン,ジェームス・M.
1947年、アメリカ、テネシー州生まれ。ハワイ大学アジア研究専攻、修士。早稲田大学教授

長尾 実佐子
翻訳家。おもに雑誌記事の翻訳に従事するかたわら、英語学習書、ビジネス書、自己啓発書等の編集者としても活動中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



本の企画自体が面白い。
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学校の先生が国を滅ぼす

2009年11月01日 | 教育・学校
学校の先生が国を滅ぼす
一止羊大
産経新聞出版

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内容紹介
産経新聞の名物コラム「産経抄」あてに一冊の自主製作本が送られてきた。学校内での国旗、国歌指導の実態を知ってもらいたい-。そんな思いで、大阪府の元公立学校校長が綴った赤裸々な体験談だ。着任したばかりの校長にあいさつすらさせない職員会議。入学式や卒業式の国旗掲揚、国歌斉唱は「戦争賛美だ」と決めつけ、「多数決を尊重しろ」と団交を繰り返す教職員たち。校長を誹謗中傷する文書が保護者にも大量にまかれ、自宅にまで脅迫じみた電話がかかってくる…。とても教育者の集まりとは思えない学校現場の実態。「あの本を読みたい」「書店では手に入らないのか」。コラムで紹介した産経抄担当者あての電話は鳴りやまなくなった。
産経新聞出版では、この幻の書「学校の先生が国を潰す」を読みやすく再編集、タイトルも「学校の先生が国を滅ぼす」と改め、一般書籍として発売することになりました。
ジャーナリストの櫻井よしこさんは、解説の中で、次のように述べています。
「私は日本の教育が直面する問題について、年来の取材を通じて或る程度理解していたつもりだった。だが、そのような考えが如何に甘かったか、実際の教育現場は想像を絶した真っ只中にある、と突き付けたのが本書である」


日本の「教育」はおかしくなっている。確実に。
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受けてみたフィンランドの教育

2009年10月30日 | 教育・学校
受けてみたフィンランドの教育
実川 真由,実川 元子
文藝春秋

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内容(「BOOK」データベースより)
日本の中高一貫進学校に通う普通の女子高生が世界一の教育を体験した。塾もない。偏差値もない。なのに世界一。なぜ?フィンランドの公立高校に一年間留学した娘とその母親の両方の立場から書かれた本です。留学の準備から、在籍高校との調整、帰国後の進学・就職まで親子が知りたい情報が満載。



著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
実川 真由
1987年生まれ。私立立教女学院高校2年のときに、2004年8月から05年6月までの約1年間、フィンランドの首都ヘルシンキにある公立のヘルトニエミ高校へ留学。現在、立教大学観光学部交流文化学科の2年。文化や観光の成り立ちについて学んでいる

実川 元子
1954年兵庫県生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科卒。翻訳家、ライター(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)




先月下旬、フィンランドに行ったが、本当に旅人から見て、人々が幸せに暮らしている様に感じた。
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ミス東大加藤ゆりの 夢をかなえる勉強法

2009年10月24日 | 教育・学校
ミス東大加藤ゆりの 夢をかなえる勉強法
加藤 ゆり
中経出版

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出版社 / 著者からの内容紹介
著者がこれまでの経験で学んできたことを、主に受験での体験を中心に勉強法としてまとめたもの。「苦手なものほどとりあえずやってみる」「基本的なことをあなどらない」「自分の中の集中力のスイッチを見つける」「計画は優先順位を決めて常に再調整する」「オリジナルのゴロで記憶に定着させる」などなど、楽しく学ぶ33の法則を紹介。



内容(「BOOK」データベースより)
学ぶことを楽しめる人は人生も楽しめる!ミス東大・加藤ゆりの楽しく学ぶ33の法則。



出版社からのコメント
 東大に現役合格し、その後2005年のミス東大に選ばれ、現在女優・タレントとして活躍されている加藤ゆりさんの初の著書。
苦手なものほどとりあえずやってみる・基本的なことをあなどらないなど、大学入試のときの体験を中心に、女優・タレント・現役東大生として学んだことも含め、現在も常に勉強し続けている加藤ゆりさんの勉強法と勉強に対する考え方を初めて公開します。


カバーの折り返し
私は、そのときそのときの"夢"に向かって突っ走ってきました。
この本では、がむしゃらに走ってきた中で学んだことを、主に受験の体験を中心に、勉強法としてまとめています。

受験を控えた学生の皆さまはもちろん、TOEICや資格取得などの試験や、さまざまな"夢"を目指しているすべての方へ。
私自身も、今、新しい夢に向かって全力疾走している最中です。

一緒に、楽しみながら挑戦してみませんか。

この本が、前へ進むやる気のきっかけや苦手克服のヒントになるなど、少しでも皆さまのお役に立てれば幸いです。                   ~はじめにより~

著者について
加藤 ゆり(かとう・ゆり)
女優、タレント。東京大学経済学部4年生。Studio A.L.C所属。
1986年生まれ、三重県出身。2005年東京大学理科II類に現役合格。
大学1年生のときに、2005年度のミス東大に選ばれる。その後、経済学部に転学部し、大学3年生のときに、女優、タレント活動を本格的にスタートし、現在に至る。
現在は女優活動や、クイズやバラエティーなどのテレビ番組など幅広く活躍。また、イベントでのMCや雑誌などの取材も多数。
レギュラー番組に『おもいッきりDON!』(日本テレビ)、過去のレギュラー番組に『加藤ゆりの経済教室』(ラジオNIKKEI)、『クルマニヨンTV』(GyaO)など。また、出演番組に『クイズプレゼンバラエティーQさま!!』(テレビ朝日)『熱血! 平成教育学院』(フジテレビ)など、多数。(いずれも2009年9月現在)



「東大」と言う名前を利用したタレントが増えてきている。
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フリン先生の死去の記事がバッファロー新聞に載った。

2009年10月23日 | 教育・学校
Rev. Robert P. Flynn, Jesuit missionary
February 19, 2009, 7:22 AM
The Rev. Robert P. Flynn, a Jesuit missionary in Japan who taught English for much of his career in Japan, died Feb. 7 in Loyola House, Tokyo. He was 88.

Born in Manhattan, he moved to Kenmore with his family during his early primary grades. After graduating from Canisius High School in 1937, he entered Jesuit training and pursued a 15-year spiritual, academic and teaching journey that took him to St. Louis, Jersey City, N. J., Belgium, Germany, France and Switzerland.

Father Flynn’s lifelong mission- spiritually and as an educator- was in Japan. Beginning in 1953, he taught English at Rokko Jesuit High School in Kobe for 29 years, then taught for five years at Taisei Gakuen School in Fukuoka.

In the late 1960s, he developed a widely used junior high and high school English textbook known as “Progress in English.” In 2002, Father Flynn’s former students collaborated to write a biography of him as a special tribute to their English teacher. The book was published in Japan, in both English and Japanese.

Former students and friends visited him regularly during his stay in Loyola House.

Survivors include two sisters, Patricia Tyrrell and Rita Walsh, and three brothers, Maurice E. Jr., Leo A. and Thomas.

A memorial Mass will be offered at 5:15 p. m. Saturday in St. Michael Catholic Church, 651 Washington St.

A memorial Mass also will be offered March 28 in Rokko Catholic Church, Kobe.


英語の得意な方、訳して下さい。
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お母さんわが子の成長が見えますか―私の手づくり幼児教育論

2009年08月09日 | 教育・学校
お母さんわが子の成長が見えますか―私の手づくり幼児教育論
塚本 達子
河出書房新社

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Amazon.co.jp
2000年5月、17歳の少年が起こした佐賀バスジャック事件でただ1人の犠牲者となった著者は、手作りの幼児教育を求めて小学校教師を辞め、佐賀市内で幼児室を開く熱心な教育者だった。本書は、「幼児期にきちんとした自立教育を行うことで、将来出会うであろうさまざまなストレスに、立派に対処できる心をつくりだすことができる」と信じた著者の遺稿集である。
最近は、荒れる子、無気力な子が多い。しかし、「たくましい子は行動が非常に主体的。自分がやりたいと思うことがはっきりしていて、それにしっかりと向かっている。それは、その行為そのものに魅せられている姿であって、まわりの大人たちに左右されない強いものを持っている」と彼女は言う。幼児教育は人格の形成そのものである。それはそれ以後の人生に確実に影響を与える。この時期に安定した情緒を育み、遊びや作業に集中する機会を与え、挫折感でなく達成感を多く味わえるように導いてやれば、子どもを自信と自立心を備えた強い人間に育てることができる。

しかし、ここで肝心なのは、「親は一歩うしろから」ということ。試行錯誤の機会を与えられず、常に指示を与えられるか頭ごなしに怒られるだけの子どもは、自分で決断する意欲やくじけず物事に挑戦する勇気、を持てなくなるのである。そして、「母親も一個の人間として、堂々と自信にあふれていてほしい」と著者。子どもはまっすぐ育ててやりたい。(家永光恵)

内容(「BOOK」データベースより)
佐賀バスジャック事件の犠牲者となった、塚本達子さんが遺した、悩めるお母さんに贈る子育てのバイブル。心の絆をとりもどせ。



本当に今の日本の教育は難しい。肌で感じている。
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神戸海星女子学院

2009年07月10日 | 教育・学校
今回の人事異動で、後輩に「海星卒http://www.kobekaisei.ed.jp/」の女性がうちの部署に来た。僕は神戸の六甲学院卒。「海星」の可愛い制服にはメッチャ憧れた。夏服も冬服もイイ。

「海星」の校舎の上の「マリア像」が涙を流すという「都市伝説」を思い出した。英語の教科書は僕の恩師で、今年2月に「帰天(逝去)」されたフリン神父が作られた「Progress in English」を使っていたと聞き、恩師の遺した偉業に、心が締め付けられる程、感動した。英語の最高の教科書だと僕は思っている。
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