「たかじんnoばぁ〜」(読売テレビ・関西ローカル・1992〜1996年)という深夜番組があった。最高視聴率は25%を超える番組だった。
「やしきたかじんさんが実際に本物のお酒を飲みながらバーでゲストを『本音トーク』でもてなすというコンセプト」の番組。
スタジオに「本物のバー」と見間違える様な「バーのセット」が多額の費用を使って建てられた。
二本録りだったので、たかじんさんは二本目はヘベレケになっていた。
そのゲストに「ビートたけしさん」が来てくれた事があった。当然、東京のゴールデンタイムの番組と同じ様なギャラは払えない。
番組関係者の話では、「東京の1/10のギャラ」と「北新地での接待」で話がついたと聞いた事がある。真偽の程は分からない。
当時、たかじんさんは「読売テレビの社長」とよく北新地で飲んでいた。
「数々の珍しいワイン」をたかじんさんは蒐集しており、ワインを飲むのが大好きだった。ウチの社長が「ビールしか飲まない人」だったので、「自分のワインに手をつけられない事」を非常に喜んでいたと聞いた。
この番組に出演した「ビートたけしさん」。
深夜番組「新橋ミュージックホール」(読売テレビ制作・日本テレビ系全国ネット・1997〜1999年)でトータス松本さん、ユースケサンタマリアさんと共に番組にレギュラー出演した。
僕は一視聴者として、この番組を観ていただけだが、「横山ホットブラザーズ」がゲストの回、ビートたけしさんがその「芸」を見ながら、抱腹絶倒していたのである。
あの「曲がるノコギリを使って、音楽を奏でる芸」。
それは当時、関西では観る機会が多い「芸」ではあるが、東京で観る機会は圧倒的に少ない。
想像でしか無いが、「ビートたけしさん」も「横山ホットブラザーズ」の「芸」を観たのは初めてでは無いだろう。
しかし、僕は画面を通して、たけしさんの彼らへの「リスペクト」を垣間見た気がした。
この番組に「夢路いとし・喜味こいし師匠」がゲストで来た時、たけしさんは言っている。
「オイラにとって、お二人はいつまでも『雲の上の存在』だ」。
「芸」は「愛情」だと。「芸」は「礼儀」だと。「芸」は「気遣い」だと。
朝ドラを本社スタジオで録っている時、「かしまし娘」の「正司花江さん」さんにレギュラー出演してもらった。僕を含め、スタッフには気さくで腰の低い優しい花江さん。
読売テレビ2階にある喫茶コーナーで、1人上岡龍太郎さんが所在無く座っていた。
そこを花江さんが通りがかる。上岡さんは花江さんに気付くと、サッと立ち、花江さんの方に向き直って、深々と首を垂れて挨拶をした。花江さんは上岡さんにとって、「芸人の世界の大先輩」だった。
僕はそのシーンを偶然見ていて、これが「芸人」やなぁーと思った。
「なんばグランド花月」を始めとする劇場、在阪各テレビ・ラジオ局がかつての「映画の撮影所」の様に「芸人」を育てる場所となっている。それはとっても良い事だと思う。
それにしても、「横山ホットブラザーズ」のあの演奏、久しぶりに聞きたいなぁー
昨夜、「BS松竹東急」で録っておいた映画「蒲田行進曲」を久々に観た。
この映画、「松竹蒲田撮影所」を舞台にしているが、映画本編ではあっちこっちに「東映」の文字。
「角川春樹事務所」が製作、「東映京都撮影所」で撮影、「松竹映画」が配給している。
詳しいあらすじは書かないが、さすが深作欣二監督、画面の奥の奥まで「埋める」のが非常に巧い。
僕が凄いと思ったのは、「階段落ち」前夜、松坂慶子と平田満の家のシーン。松坂慶子はとことん美しいし、その松坂慶子を養って行く為に「階段落ち」をする荒れた平田満の心情が凄く観客に伝わって来る。
「階段落ち」当日、メイク室で「釘」を一本見つけ、ポケットに忍ばせていく平田満。この使い方が撮影所ならでは。
そして、ラストシーン。
「はーい、OK」
の掛け声で、思いもよらぬ展開が待っている。
深作欣二、素晴らしい監督である。松坂慶子が惚れたのも十分頷ける。
これから、深作欣二作品を続けて、観てみようかな‼️