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リオ・デ・ジャネイロ2・・・ブラジル

2020年04月13日 | 旅・外国
 どうしても乗りたかった路面電車は石造りの高い高架橋の上をコトコトと走り出し、陽光の輝くリオの丘の上へと登っていく。終点がリオでもとくに治安の悪いところ。終着駅には15分位でたどり着く。石畳の路に降り立ち、キョロキョロ。駅から近い程近いところにあるはずの美術館に行こうと思うのだが「地球の歩き方」の小さな地図では全く方向が分からない。そうこうするうちに日は次第に傾いていく。ブラジル人が通るも、ポルトガル語は「オブリガード(ありがとう)」とあいさつ程度しか話せない私。途方に暮れてしまった。

 

「ちょっと、すいませんが・・・」

「はい、何でしょうか?」

 

私は勇気を出して、赤いジャージ姿の上下でジョギング中のおじさんに話しかけていた。ラッキーなことに英語が通じた。おじさん、美術館まで連れて行ってくれるという。涙がちょちょ切れそうになりながら、好意に甘えた。無事美術館を鑑賞、出て来ると、

 

「この近くの居酒屋に一緒に行かないか?」

「はい、喜んで!」


おじさんがそう声をかけてくれた。私は即答する。海外で初めて出会った人に付いていくかどうかの判断は自分の勘に任せる事にしている。幸いにもその勘は一度もハズレた事がない。

 そう、私はお酒が大好き。海外を旅していると酔っぱらいの日々が続く。それがすこぶる心地よい。すごい人見知りなので、お酒の力を借りないとなかなか現地の人とも知り合えないし、いろんなところに潜入もできない。

 店外の石畳の路にはみ出した席に二人で座り、早速やり始める。飲む酒はピンガ。南米で人気の焼酎でこれをソーダで割ったピンガサーワーとして美味しく頂く。

 この居酒屋でおじさんからいろんな話をお聞きする。

おじさんは医者で南米全土を治療の為飛び回っているとの事、超インフレの為ブラジルの人々は毎月給料を貰うとすぐスーパーに行って買い物をしまくりお金をモノに替える事(そうしないと日々お金の値打ちが下がっていくので)、美術館に行く途中で臭った異臭は薬物を吸う臭いだとうい事(薬物でも吸わないとやり切れない社会ゆえ)、市バスが大きく左右に揺れながら走っているのは運転手が飲酒運転をしているという事(バスの運転手も給料がなかなか出ないので自棄になっている)、リオの強盗はホールドアップ(両手を挙げて)しても撃ち殺してから金を盗る事(顔を見られているし警官に賄賂を渡せば逮捕翌日には釈放される為)、等々、驚く様なブラジルの日常を次々と話してくれた。

 さらに、

 

「ブラジルには人種差別はないんですか?」

 

という私の質問に、

 

「インディアン、メスチィゾ(インディアンと白人の混血)、ポルトガル系白人、黒い肌の方がより差別されているんだ。ブラジルには差別に関してこんな寓話があるよ、残念ながら」

 

と言って教えてくれたのがこんな話。

 ある学校の先生が担任のクラスで差別があるのに悩んでいた。悩んだ末に彼女が考えたのは、クラス全員の肌を「緑色」に塗る事。そうすれば、きっと差別は無くなるだろうと思ったのだ。しかし差別は無くならなかった。何故なら「緑色がより濃い生徒」が差別される事になったからである。

 これは寓話であるが私は聞いていて人間の「業」の深さを見る思いがした。


 こうしていろんな話をしながら、私とおじさんは酒を酌み交わし続けた。おじさんも私も英語は外国語。お互いゆっくりしゃべった事で意思が通じたのかもしれない。

 

「ところで、今日は息子の誕生日なんだ。家に来て一緒に祝ってくれないか?」

 

そんなおじさんの提案を無下に断れるはずもない。居酒屋の勘定もおじさんが払ってくれたのだ。それよりも強い好奇心の方が私の中でアタマをもたげていた。

 

おじさんの自宅までは居酒屋から石畳の道を歩いて五分もかからない距離。ガッシリとした門構えで塀の上にはビッシリと鉄条網が張り巡らされている。やはり、余程治安が悪い様だ。

 

「こうしてハンドルに鍵を取り付けて、カーステレオを外して家に持って上がるんだ」


門に鎖錠をし、なおかつ門の中に駐車してある車から貴重品は家に持ち込むのだそうだ。おじさん曰く、この近所ではそうしていてもタイヤ四本盗まれたケースもあるという。かなり物騒な地区に自分が来ていると再確認させられる。不安が少し湧き起こるもここまで来ては息子さんに会うしかない。

 息子さんの誕生日を祝って、隣に住むおじさんのお姉さん(ヴァリグブラジル航空CAさん)始め、親族10人ほどが集合した。

 ポルトガル系、瞳のまんまるい六才、やんちゃ盛りの息子さんの為にハッピーバースデーを合唱する。今日初めて会ったのにこんな展開もありか・・・と内心あまりの展開の速さに付いていけていない自分を感じつつ、私も口を大きく開けて元気に歌ったのである。息子さんがケーキのローソクを勢いよく吹き消し、全員で拍手喝采。美味しくケーキを頂く。リオの二度と経験できない夜は続いたのだが・・・

しばらくして突然、

 

「おばあちゃん家に行きたいよー!」

 

息子さんがそんなことを言い出し、私も誘われて何故かおじさんの車に同乗。走る事10分、おばあちゃんの家に到着する。当然ながらおばあちゃんは大喜び、そして突然の外国人旅行者の登場も大歓迎してくれた。

気が付くと私は調子に乗り、いろんな話を初対面のおばあちゃんから聞いていた。

 

「ほらあの崖の斜面に光っている建物があるだろう。ここらの人はみんなあのことを《死の館》と呼んでいるんだ。」

 

おばあちゃんによれば、ブラジルのエイズ患者数はアメリカに次いで(当時)世界二位。それゆえ「娼婦の館」と言われていたくだんの建物が「死の館」と呼ばれる様になったという。またリオの市街地を囲む崖の斜面には地方の農村部から職を求めて出て来た人が無断で家を建てスラム化、治安がかなり悪化しているので要注意との助言も頂く。

 

「どこのホテルに泊まっているんだ。車で送ろう」

 最初の美術館からずっと私の事を気にかけてくれていたおじさんの本当に温かい言葉に感謝しきりである。ホテルへの車中では日本についての質問責め。大学卒の初任給はいくら?とかで思いつくままに答えていると、

 

「えっ!そんなに高いのかい?」

 

仰天した様子だ。

 また、明日以降のホテルについて相談すると、おじさんは自宅近くの一泊1800円のホテルを教えてくれた。有難い。深夜にコパカバーナのホテルに到着。おじさんとの別れを惜しむ。ほど良い酔いと人の心の優しさに包まれて、あっという間に眠りについたリオの夜であった。

 

 リオ三日目は、郊外に遊びに行き、丘の上の巨大なキリスト像や有名なロープウェイにも足を運ぶ。夕食を食べ、酒を飲み、くつろいでいると、結構夜もふけてくる。治安が悪い地区なので、タクシーでおじさんに教えてもらった丘の上のホテルに乗りつける。

 小さなフロントで、


「今夜一泊お願いします」

「あいにく満室なんだよ」

 

というやりとりがあり、途方に暮れる。この辺りはリオで最も治安の悪い場所。深夜。ホールドアップしても殺されると聞いている。ビビらない方がおかしい。

 

「空いているかどうか分からないが、この坂を五分位下って行ったところに姉妹ホテルがあるんだ。行ってみたらどうかな?」

 

フロントの人も私の困惑度合を察したのか、そう親切に助言してくれた。

 おそるおそる周りを見回しながら深夜の石畳の道を姉妹ホテルへと向かう。強盗に遭遇しない為に心の中では走っている感じではあったのだが、足は遅々として進まない。五分という恐ろしく長い時間が過ぎ、やっとの事で姉妹ホテルにたどり着く。ここは空室があり、ホッとして体全体が脱力感に襲われ、案内された部屋の堅いベッドに横たわる。熱いシャワーを浴びようと思い立ち、裸になるが水がお湯にならない。このホテルのシャワーは変わっていて、シャワーの出口に電熱器が仕込まれていて、水がそこを通ると熱くなる仕組みなのだ。もう一度、服を着てフロントの人の手を引っ張り部屋に連れて来る。ポルトガル語しか通じないので、手振り身振りと筆談でシャワーの件を伝える。ななんとか私の言いたい事を理解してくれ、共同シャワー室を開けてくれた。生温いシャワーを浴びながら、思いはアマゾンに馳せていた。リオでの濃密な三日間は終わり、明日はブラジルの首都ブラジリア経由でアマゾン川中流の町マナウスへ向かう。

 

(1986年)

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