元・日本テレビプロデューサーSさんと金曜日の夜、池袋の蕎麦屋で飲んだ。コロナ禍もあって、三年ぶりの再会。
Sさんと知り合ったのは、「高校生クイズ」だった。
当時、Sさんは、「高校生クイズ」のチーフ・プロデューサーで僕は「高校生クイズ 近畿大会」のAD。
どんなスタッフに対しても、分け隔てなく接して下さる温かい人柄のSさんとの長い付き合いが始まった。
Sさんは日本テレビ入社後、ドラマ「前略おふくろさま」の「美術進行」(撮影現場で「美術」に関する事を全て取り仕切り、現場をスムーズに進めるスタッフ)をやっていた。
その際、脚本の倉本聰と主演の萩原健一(ショーケン)には絶対文句を言わせないと心に誓って、ドラマの収録に臨んでいたという。
そして、ドラマの次に手がけたのが「木曜スペシャル」の「美術」。
いろんな経験をされた。
ピラミッド特番でディレクターとエジプトに行った事もあったそうだ。
ある日、Sさんは美術部の上司に呼ばれる。
「今度、アメリカ各地を廻って、クイズをやる番組がある。お前やるか?」と上司。
Sさんは少し考え、
「やります」と答えた。
これが日本テレビ開局25周年記念番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」だった。1977年。
最初は二週にわたっての放送。その年だけの特番の予定。
しかし、放送してみると番組は好評。第2回以降も続く事になる。(1977〜1998)
Sさんは「美術」だから、「早押し台」にも「ウルトラハット」の製作にも関わっていた。
アメリカ大陸横断中には、「東京直行」の看板を手書きで描いたりもしていたそうだ。
「美術」から「制作」に変わったSさんはディレクターやプロデューサーとして、毎年番組に参加していた。
海底で福留功男さん(トメさん)が問題を出し、同じく海底にいる解答者が早押しで答えるクイズのディレクターはSさん。
池袋の蕎麦屋で引き続き、Sさんの話を聞く。
「『コンボイクイズ』、凄かったですよね」と僕。
(その2へ続く)
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