「鉄砲」。撮影用語である。「許可を得ずに撮影する事」。
東京で言えば、「渋谷のスクランブル交差点」、大阪で言えば、「ミナミのひっかけ橋(戎橋)」は絶対にドラマ撮影の許可は下りない。
どちらも撮影をすれば、大混乱になるのが見えているからだ。
今日は「製作担当者」の話。
大阪で「朝の連続ドラマ」が始まった時、助監督は東京から呼んで来た。
しかし、「製作担当者」は東京から呼べないのである。
そもそも、「製作担当者」とは何者かと言う事になるが、簡単に言ってしまえば、「ロケの全てを取り仕切る総責任者」。
昔から、日本映画にも「製作担当者」というテロップが出て来る。
いちばん最初の朝ドラ「花いちばん」。スタッフ集めでいちばん苦労したのが、この「製作担当者」を見つける事だった。
ロケ場所を探して来るという仕事は、関西の地理に詳しい人で無いと出来ない。
当時、大阪でドラマをやっていたのは、NHKの「朝ドラ」、毎日放送の「昼の連ドラ」、そして朝日放送の「部長刑事」くらいだった。
考えた末、「花いちばん」の「製作担当者」には、大映京都撮影所のAさんに来て頂く事になった。
Aさんの話。大映映画の場合、プロデューサーではなく、Aさんに「ロケにかかる全ての予算」が会社から渡される。
映画の撮影現場には、何があっても大丈夫な様に、何千万という現金を持って行ったそうだ。今みたいに、銀行のATMとか無い時代の話。
自分の才覚で、この莫大なロケ費を余らせれば、「製作担当者」の取り分。時と場合によっては、家一軒建てられたと言う。
その代わり、Aさんは自分の命に関わる様な事もやった。
普通にロケ現場で、車止めをするのはもちろん、撮影に必要であれば、時には線路に寝転んで、「嵐電(京福電鉄嵐山線)」も止めた。
当然、警察が来る。モメる。モメている間に撮影を進め、撮影が無事終了になったら、警察署へ連行。ブタ箱に一夜泊まって、翌日釈放された。
「鉄砲」のロケだった。
「朝ドラ」。「中国残留孤児」が来日して、「清水寺」を訪れるシーンが台本に出て来た。
Aさんが「清水寺」とのロケ交渉にあたる。
「清水寺」は頑として、撮影を断って来る。昔、京都の撮影所が「清水の舞台」の上でチャンバラをやり、手摺や柱に刀疵を付けたので、それ以降、撮影隊に境内を貸していないとの事。
「絶対、お断りします!」
それでもAさんは毎日「清水寺」にお願いに通った。
そして、落ち着いた妥協点が
「境内にカメラを入れてもいいが、役者が芝居する『清水の舞台』での撮影はNG」。
つまり、境内から「清水の舞台」の情景だけの撮影のみOKという事。
京都からはるかに南下した所に位置する奈良の「長谷寺」。ここにも「清水寺」より小さいが、舞台がある。そこで、舞台上の芝居を撮った。
二つのお寺の映像を合成すると、ちゃんと「清水の舞台」のシーンが成り立っていた。
「製作担当者」のしんどさはこれだけじゃ無い。
台本が挙がって来て、「ソ連と満州国の国境辺り」とか、「フィリピンのジャングルの中」とか、「アメリカの街並み」とか、プロデューサーの意向に沿って、平気で出て来る。
もちろん、全て日本国内のロケで、場所を見つけなければならない。
そんな場合は監督と相談し、ロケ場所を飾り付ける美術部とも話し合い、撮影現場を探す。
さすがにプロ。こんな時でも、知恵を絞って、OAでは台本で指定された国に見える様にあっちこっち飛び回って、結局見つけて来る。
僕らが関西で「朝ドラ」をやっていた時、パラマウント映画「ブラックレイン」の撮影が大阪で行われた。
主演はマイケル・ダグラス。高倉健、松田優作も出ている。
出来上がった映画を観たら、「朝ドラ」では、「撮影許可申請書」を出しても絶対通らない場所でロケをやっていた。
大阪梅田・阪急百貨店横の通路でのマイケル・ダグラスがバイクに乗るシーン、阪神高速でのカーチェイス(もちろん「朝ドラ」でカーチェイスするシーンが出て来る事は無いのだが)。
何年も放送し、一年の内、八ヶ月間も大阪でロケしている「朝ドラ」。
全世界にパラマウント映画が配給する「ブラックレイン」。
影響力も規模も違うが、大阪府・大阪市・大阪府警など公共団体の「撮影に対する協力」の圧倒的な違いに打ちのめされた僕だった。
主要高速道路を全面立ち入り禁止にして、「ターミネーター2」を撮影出来るアメリカという国、アメリカ人の映像文化に対する思いや理解が羨ましかった。
それでも、今、この時間にも全国で厳しい条件の中、多くのドラマのロケ隊が撮影現場に向かうのである。
観て下さる人々に「夢」を与える為に。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます