お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

ナイロビ・・・ケニア

2020年04月16日 | 旅・外国
若い時に世界の遠くへ行っておこうと思った。ただ、それだけ。

インド、ブラジル、アルゼンチンと行って、アフリカに行きたくなった。いろいろ人に聞いて、アフリカの情報を集めた。団体のツアーに参加するのは止めようと思った。かと言って、完全に個人で「サバンナ」に行くのは「予約」を取っていないと怖い。

私が選んだのは、アフリカ専門の旅行代理店「道祖伸」に「航空機」「ホテル」「現地での移動」をパッケージしてもらう事だった。

 

成田からまずは香港に飛ぶ。航空会社は「パキスタン国際航空」である。「エジプト航空」と共に南回りのヨーロッパ行きの「買い出し列車」とも呼ばれる「格安航空会社」である。

日本からアフリカ・ケニアに行くには、(日本からヨーロッパに飛び、そこから南下するルートを除く)大きく二つのルートがある。「パキスタン国際航空」の香港・バンコク・カラチ。カラチで飛行機を乗り換え、アブダビ・ナイロビ。もう一つは「エア・インディア」のニューデリー乗り換えのナイロビ。

「パキスタン国際航空」の機体の凄かったのは、着陸する度に座席上、非常時に落ちてくるはずの酸素呼吸器がガラガラと落ちてきた事。そして、倒したリクライニングが元に戻らない事だった。なおかつ、香港からの乗客を乗せ過ぎ、CAさんの席にも乗客が座り、CAさんは立って離陸した。

「パキスタン国際航空」のパイロットは操縦技術が凄いと言われる。古いだろう機材を上手く操っているからだ。

 

カラチ空港では不測の事態が起こった。
大韓航空の墜落の関係で、時限爆弾に使われる可能性があると言う事で、

「爆弾に使われる危険がある。今すぐ、乾電池を出しなさい。没収します」

カメラ等に使われているバッテリーも没収された。
この乾電池・バッテリーは乗客からのクレームによりナイロビ空港で返されるのだが、一つのごじゃまぜに入れられていたので、どれが誰のだか分からなくなっていた。

カラチを発ち、アブダビに向かう。砂漠の中にあるアブダビ空港。「パキスタン国際航空」のB737は二回ジャンプし、無事アブダビ空港に降り立った。乗客はアブダビ空港の売店に向けてみんな走る。ビールなどアルコール飲料を飲む為だ。「機内」では、パキスタンが厳しいイスラム教の為、アルコールが一切でなかった。

ナイロビでは、「道祖伸」のスタッフに迎えられ、ホテルへ。添乗員やガイドは付いていないので、移動のみだが、とても助かる。このスタッフが「サザンオールスターズ」が好きで、翌日、サザンの話で盛り上がった。

ホテルはプールもついていてとても豪華。部屋も巨大なダブルベッドで居心地はすこぶるいい。日本からの長旅だったので、赤川次郎や西村京太郎の小説を読みながら、ゴロゴロする。ナイロビに来て、豪華なホテルの部屋で好きな日本の小説を読むという贅沢に浸る。

 

まだ昼なので、外に出てみる事にする。ホテルのそばには大きな公園。ガイド・ブックによると、この公園は夜、歩いていると「木の上から強盗が降ってきて、身ぐるみ剥がれる」との事。

公園を歩いていると、日本語で話しかけられた。若い男性だ。

男性曰く、「日本の近畿大学にいた事があって、故郷ウガンダに戻った。しかし、ウガンダで戦争が起き、命からがらケニアに逃げて来た。近畿大学に戻りたい。少しでいいからお金を貸してくれ」。

要は「金を貸せ」という事である。彼の話を最後まで聞いたが、金の無心なので、断って、ナイロビの中心部へ向かう。ナイロビの治安は昼でもあまり良くない。

先程の男性とそのグループらしき男たちがつけて来ていたので、慌ててホテルに避難。夕ごはんの時間に改めてタクシーを呼び、中心部の日本料理店へ。料理を頼んで飲み始める。ウィスキーの水割り、キューブ・アイスの中にハエが凍っていた。さすがに店長を呼んでもらう。

私「これなんですがねえ・・・」

店長「凍った時に入ったんだと思いますよ」

そんなことは訊いてねえよ!と心の中で毒づいた。

でも、日本からはるばるやってきて、このやりとりをできた事がオイシイ事かもしれなかった。

二軒目は日本料理店の隣のバー。すごく混んでいて、カウンターでダーク・ダックス状態。黒人の女性が片言の映画で話しかけてくる。どうも、娼婦の様だ。家に来いと言っている様だ。よくよく話を聞くと、子供を育てる為に娼婦をやっているらしい。貧しさが起こす悲劇と一言では言えぬところがある。複雑な思いを感じながら、タクシーでホテルへ戻る。私は一介の旅行者だ。

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人生、ここにあり!

2020年04月16日 | 映画・DVD・ビデオ


精神病棟から患者達が連れ出されて、自ら労働組合を結成し、自活生活が始まる。最初は周りからの偏見もあったが、患者達は自分達に合った仕事を見つける。
上手くいき始めた労働組合だったが、その中の若者が一人の女性に恋をして・・・
イタリアで1980年代にあった実話を元に映画化。とてもテンポがイイ映画で、見やすい。
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007/ワールド・イズ・ノット・イナフ

2020年04月16日 | 映画・DVD・ビデオ


ソフィー・マルソーがボンド・ガールを務めた007映画。ロンドンでのカー・チェイスが印象的だった。
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アグラ〜ウダイプール〜ムンバイ

2020年04月15日 | 旅・外国
タージマハルで有名なアグラ。この街は、観光都市でもある事から治安が非常に悪い。夜、ホテルから外出するのは厳禁だ。身ぐるみ剥がれかねない。また、この街では、観光客とリキシャの支払いのトラブルがとても多い。リキシャには、タクシーのメーターの様なものは付いていないから、まず乗る前に金額の交渉をしなければならない。金額が決まったら、その額を紙に書き、もう一度、運転手に確認。そして、リキシャに乗り込み、支払いの時、先程支払い金額をメモした紙を見せ、お金を支払う事になる。

 

黒色の看板があるお店があり、美味しそうなパンが焼き上がる匂いがした。

お店に近づいて行くと、黒い看板がかすかに動いている。これ、ハエの集合体であった。また、さとうきびをその場で絞ってジュースを作ってくれる屋台があり、このジュースはひたすら美味であった。

ここで「インドの買い物」について書いておこう。


インドでは一つの物を買うのに三十分位の時間は十分かかる。というより、それくらいの時間をかけないと「適正な価格で商品が買えない」のである。

お土産物屋に行ったとしよう。ある商品が欲しくなり、値段を聞く。200ルピーと店の主人に言われる。こちらはすかさず30ルピーと言う。主人はありえないと英語で叫ぶ。私は「他の店を見て来る」と、店を出る。後ろを見ずにしばらく歩いていると、かならず店の主人が追いかけて来る。

「150ルピー。これ以上は負けられません(Our Last Price)」と私を店に連れ戻す。

いやいや「50ルピー」と私。

「他の店を見て来ます」

また、店を離れ、他の店に行こうとする私。

またまた追いかけて来る主人。

「120ルピー」

交渉が成立した80ルピーになるまで、こんな事を繰り返すのである。もともと商品には、観光客向けに現地価格の2~3倍の価格が設定されているから、80ルピーでも儲けになる。

どんな商品を買う時も「この手続き」が必要なので、買い物にはすごく時間がかかったのを憶えている。

タージマハルは王様が亡くなった王妃の為に作ったお墓である。世界遺産。

完成後、ガンジス川を挟んだ向かいに王様自らの墓を建てようと計画していたがその夢が叶う事なく、亡くなった。

アグラに泊まっている時、添乗員のラジプットさんから朗報があった。ウダイプールで明日泊るホテルがレイク・パレス・ホテルに決まったというのだ。このホテルの予約は本当になかなか取れないらしい。本当にラッキーだ。古代マハラジャがその財力を使って、湖の中に建てたホテルなのである。ホテルは湖岸からボートに乗って行く。

ホテルの中庭には噴水、客室のフランス窓の下を見ると眼下が湖水である。

「007/オクトパシー」にこのホテルが出てくる。

ウダイプールに移動し、観光に行こうと思っていると、先輩のFさんの下痢が止まらなくなった。熱もあるようだ。フロントに頼んで医者を呼んでもらう。

医者の診察が終わり、処方箋を書いてもらい、私がボートに乗り、湖岸の街へ薬を買いに行く。インドではポピュラーな、ポカリスエットの粉末の様なもの。

それをホテルに帰って来て、お湯に溶かしてFさんに飲んでもらう。後はベッドに横たわり安静を保つ。私もこの二日後、下痢に悩まされた。原因は道端で食べたリンゴらしい。

インドには公衆トイレがほとんど無い。インドの農村では家にそもそもトイレが無く、朝、国道沿いに老若男女のお尻が並ぶ。

朝、ホテルでちゃんとトイレでしていくのだが、ツアー中でトイレに行く事がなかなかできないのである。

しかも、添乗員のラジプットさんとF先輩、そして私三人のツアーゆえ、ラジプットさんの説明を真剣に聞く必要があるのだ。これが30人位のツアーだと、他のものを見ていようが、添乗員さんの話を聞かずにいようがとがめられる事は無い。

観光スポットにはさすがにきれいなトイレがあるのだが、次の観光地やホテルへの移動中の車内では、振動で便が出ないように腰を浮かしながら車に乗っていた。

 

旅の最終目的地は、ムンバイ。イギリスの植民地の名残りを色濃く残し、ニューデリーと違って、高いビルも多い。

この街で見つけた不思議なもの。タクシーのメーターが運転手と逆サイドのボンネットの上にあったのだ。そうするとどういう事になるかというと、お客さんが乗り込んだ時、運転手が運転席を出て反対側に回り、メーターを倒す。支払いは運転手が再び運転席から反対側に回り、メーターを止める。なんとも面倒くさい。

いよいよ、インドから日本に帰る日。ラジプットさんと私たちはムンバイ空港に向かう。エア・インディアのカウンターで手続きをしてくれるラジプットさん。

私たちの所に戻って来て・・・

「塔上予定のエア・インディアの機材(飛行機)が成田空港を24時間遅れで出たので、明日の今頃、カウンターに来て欲しい」

という。

「えーっ」と驚く私たち。

「今晩のホテルはエア・インディア持ちで手配済です。ただ、私はこれからニューデリーに次のお客さんを迎えに行かないといけないので、明日のチェックインはおふたりにお願いします」

とラジプットさん。

 

ホテルの部屋からホテルの電話交換手を通して日本の職場に電話をかける。かなり待ったが繋がらない。

ホテルでの夕食。食べ終わったところで、生バンドの演奏が始まる。

私はボーイにチップを渡し、「misty」をリクエスト。お酒を飲み、いい気持ちになる。

部屋に戻り、日本へ電話。何度しても繋がらないので、電話交換手に関西弁で怒りの声をあげたら、すぐ繋がる。インドの人にも「怒っている」という感情はすぐ伝わったのである。会社に出社が1日遅れる事を伝えられた。

安心して就寝。忘れられないインド旅行になった。

 (1985年)



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派遣添乗員ヘトヘト日記

2020年04月15日 | 本・雑誌・漫画


若い頃、海外旅行の添乗員に憧れたもんだが、この本を読んでいると、添乗員の仕事も大変だと思う。
24時間、自分の体調がどうであれ、お客様の対応をしなければならない。お客様が旅程が変わって激怒したら、ひたすら謝らなくてはならない。お客様はお金を払って、楽しい旅をしたいというのが前提なのだから、それもしょうがない。
バスドライバーとの関係も大切。
修学旅行の添乗で、酒好きな先生に捕まり、朝まで飲まされる添乗員。
お金を払っている側のおごりを垣間見る事ができた。僕の好奇心を満たしてくれた。結構楽しめる一冊だった。
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愛を乞うひと

2020年04月14日 | 映画・DVD・ビデオ


「マリアの胃袋」の平山秀幸監督作品。
原田美枝子主演。
母となった主人公は娘と一緒に自分の両親を探す旅に出る。

ラストシーンは主人公と虐待していた母親が港町の喫茶店で会うシーン。映画館の中も静まりかえった珠玉の名シーンである。
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ジャイプール

2020年04月14日 | 旅・外国
どうしても、インドに行きたくて行きたくて堪らなくなった。単独で行くのはさすがに怖いまで、ツアーで行く事にした。二名から催行するツアーに申し込んだのだが、なかなかこの二名が集まらない。期限が来そうになり、一つ上の先輩Fさんにお願いし、やっとツアーが成立する。成田から二人でエアー・インディアに乗り、インドの首都・ニューデリーへ向かう。機内に入った途端、美味しそうなカレーの香りが漂う。フィリピン・マニラ、タイ・バンコクを経て、深夜の一時半、ニューデリー国際空港に着いた。ここまで、日本からの添乗員が同行せず、現地の日本語を話せる添乗員が同行する事になっているので、ツアーが最終的に何人で組まれたか分からなかったが、ここで判明する。

スーツケースを受け取り、通関を済ませ、たくさんの人が出迎えている出口へ向かう。出口の外はむっとする暑さだ。

 

ここで会ったのがラジプットさん。私たち二人の添乗員さん。英語が話せる生粋のインド人である。この時、彼は来日経験が無く、後年来日。

「日本に来たら、連絡してね。日本を案内するから」という日本人の社交辞令を信じて、ホテルも取らずに来日。ほとんどの日本人ツアー客に拒否され、ボロボロになって、先輩Fさんのところに連絡があったそうだ。Fさんはそんなラジブットさんを家に泊めて、その心を癒してあげた。

結局、私たち二人と添乗員ラジブットさん、車(ワーゲン・ビークル)の運転手四人のツアーとなる。この日は夜も遅いという事もあり、ハイアット・リージェンシーホテルまでの送りのみ。疲れたので、即刻就寝。

 

翌朝、朝食はバイキング。カレーバイキングがあったので、まずは赤いカレーを食す。これは日本のカレーの比ではない辛さ。慌てて、緑のカレーを食べる。ところがこちらの方が圧倒的に辛い。後で聞いたのだが、緑のカレーの原料は「青唐辛子」で、それゆえこちらの方が辛いのである。

 

やはり、インドは混沌としていた。人間の横では、牛が放尿しており、その横をリキシャーや車が猛スピードで通り抜けていく。太陽がすべてのものに平等に照りつける。

ニューデリーでの観光を終えて、ジャイプールに向かう。両サイド砂の大地の中を走る国道を出せる限りの速度を出して、我々の車は突っ走る。私とFさんは後部座席で手すりを持ちっぱなし。それでも、体はバウンドし続け、何度も天井に頭をぶつける事となる。

そして、ピンク・シティーと言われているジャイプール到着。

観光後、ホテルへ。

夕方、ホテルの近くを一人で歩いていると、同い年の青年に声をかけられた。自分が描いた絵を買って欲しいとの事。そんな彼に質問した。ヒンズー教徒はお酒を飲むのか?答えは外国人が泊っているホテルのバーで飲む。彼女と事におよぶのも同様のホテルだそうだ。

自宅に来ないかと誘われたので、好奇心が上回って、付いていった。典型的に思える庶民の自宅。夕ご飯を作っている母親にも紹介してもらった。ノドが乾いたので、水をもらい飲んだ。今思うとビックリする位、大胆だった。

 

添乗員のラジプットさんの結婚について、少々書いてみたい。彼は結婚式の当日まで、お互いの顔を知らない。インドで厳然として存在するカースト制度。それ故、同じ身分の人としか結婚できない。しかも結婚相手を決めるのは両家の両親だ。もちろん、ヒンズー教徒の中にも、男女の恋愛はあるし、仏教徒である日本人以上に「性」に関しては大らかである。インドの大きなお寺では「壁にいろんな体位が描かれていたり」「神体が男根であったり」する。

ラジプットさんの身分は「クシャトリア」。奥さんの身分も「クシャトリア」である。

 

(1985年)
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ブエノスアイレス・・・アルゼンチン

2020年04月14日 | 旅・外国
イグアスからアルゼンチンの首都・ブエノスアイレスへ飛行機で入る。空港でホテルを取り、タクシーで市内へと向かう。着いてみると、ホテルは好立地。荷物を置き、22時30分頃から始まるアルゼンチンタンゴのショーを予約。南米では22時30分頃と午前1時30分頃にショーが始まる。ショーなどを見て朝まで遊ぶのだそうだ。

お腹が空いたので、ホテルの並びにあるステーキハウスに入る。ビールとステーキを頼む。アルゼンチンは肉食牛の一大産地である。

 

日本より細くカラッと揚げられたポテトフライをつまみながらビールを飲んでいると、メイン・ディッシュのステーキ登場。レアの赤い断面からは美味しそうな匂いが漂ってくる。

ナイフとフォークでステーキを切ると引っかかりなく素直に切れた。

味は・・・というと日本で食べるステーキ以上の味なのだ。本当に美味しかった。アメリカやヨーロッパでもステーキを食べたが、全然日本のステーキの方がおいしいと思っていた。

ビール数杯とステーキで、2300円位のお支払い。安っと思ったのを憶えている。

 

一旦、歩いて数分のホテルに戻り、アルゼンチン・タンゴのショーに行く為、タクシーを呼んでもらう。

タクシーの運転手に「どこへ行くのか?」と問われたので、「アルゼンチン・タンゴを聴きに行く」と答え、タンゴの一節をくちづさんだら、

「ラ・カンパルシータ」とおじさんは「GOOD!」という合図をしてくれた。

 

タンゴショーは、フラメンコ・フォルクローレ(南米の民謡を歌う・・・例えば「コンドルは飛んで行く」など)・バンドネオンの連奏などから構成されている。

会場は「ツアー客」優先で、個人で予約した僕は劇場の端の方だった。2時間に及ぶタンゴショーは全く飽きさせない素晴らしい内容だった。午前二時頃、ホテルに戻る。

翌朝、午前中はティグレ川のクルーズに出かける。ホテルからの往復送り迎え付き。ブエノスアイレスはティグレ川河口にできた町だが、水の上から見るブエノスアイレスも美しい。肌寒い気温の中、五時間のクルーズを楽しんだ。

南米のパリと呼ばれているブエノスアイレス。ボカ地区にあるカミニート。このカラフルな街並みから、タンゴが生まれた。

この日の夜もタンゴショーに行く。

22時30分開演直前、いちばん舞台から遠い席に座らせられた私の真横に日本人らしきおじさんが座った。気になったが、ショーが始まり、私の関心は舞台の方に向かった。

 

終演後、「これから、お酒を飲みにいきませんか?」

と100ドル札を20枚以上手に握りしめたおじさん。

「いいですよ!」と私。

基本、この手の誘いを絶対断らない私。

土砂降りのブエノスアイレス。二人の珍道中が始まった。


おじさんは在日韓国人で大阪の淡路出身。今はニューヨークに住んでいて、ブエノスアイレスには商用で来ているとのこと。

それから二軒飲み明かし、最後にたどり着いたのはいわゆるキャバクラ。おじさんはスペイン語が流暢なので、いろんな事がスムーズである。私はかなりへべれけ状態になっていた。座席から望むキャバクラの舞台はいやにキラキラとしていた。

おじさんは三軒とも何故か奢ってくれた。彼はキャバクラ嬢と共にお店を出てタクシーに乗り、滞在しているホテルに向かう。

私は午前二時、深夜のブエノスアイレスで一人取り残された。かなり酔っている。何とかタクシーを止め、「ランカスターホテルへ」と運転手に伝える。辛うじて「ホテル名」は憶えていたのだ。

 

ホテルに着いた。ホテルの正面の大きな扉が閉まっている。必死で扉を叩いて叫んでいると、扉を開けてくれた。

部屋に戻り、翌朝の食事のルーム・サービス、「ドアの外ノブにかける用紙」に書き込む。

ベッドに入り、疲れていたのだろう。すぐに熟睡。

ドアをノックする音で目が覚めた。ルーム・サービスが来た様だ。

このルーム・サービスで帰国する飛行機に間に合った。本当綱渡り人生。

 

ブエノスアイレスからリオ・デ・ジャネイロまで六時間。リオからロサンジェルス経由成田まで二十四時間。この旅行の時は大阪に住んでいたので、成田から伊丹へ。

さすがに自宅に着いた時はヘトヘトになった。

 

(1986年)



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花神

2020年04月13日 | テレビ番組


この大河ドラマは司馬遼太郎原作なので、一日も欠かさず観た。
原作は「花神」「世に棲む日々」。
明治時代に日本陸軍を作り上げた大村益次郎を中村梅之助が演じる。舞台は幕末の長州。
このドラマで印象的な台詞があった。
中村雅俊演じる高杉晋作が亡くなるシーン。
高杉が時世の歌を詠む。
「面白き 事も無き世を 面白く」
秋吉久美子演じる高杉晋作の愛人・望東尼が続けて、
「棲みなすものは 心なりけり」

意味は「面白い事が無い世の中を、面白く生きていくのは、自分の気持ちの持ちようだよ」という事。

高杉晋作はこの歌を聞き終わって、
「面白いのう」と一言言って、あの世へと旅立って行った。
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イグアス・・・ブラジル・アルゼンチン

2020年04月13日 | 旅・外国
リオから航空機でイグアスの空港へ。そこからタクシーを飛ばして、イグアスの滝・ブラジル側へ。私はこの日、ブエノスアイレスで宿泊する為、タクシーを使ったが、時間があれば路線バスを使った方がいいかもしれない。

ブラジル側からはたくさんの細かい滝が落ちている様子と左側から大きな滝が落ちて来るのを見上げる形で見る事ができる。滝に近いので、防水機能が付いた服を持って行く事をお勧めする。

そして、タクシーを使って高速道路を通り、ブラジルとアルゼンチンの国境(確かパスポートを見せただけで簡単に通れた)を越え、アルゼンチン側へ。

アルゼンチン側からは滝に落ちる前のイグアス川の上を渡って行く。「悪魔の喉笛」といういちばん大きな滝が82メートル下に落ちていく様子を間近に見られるスポットに行けるのだ。

私は、「ナイアガラの滝」「ヴィクトリアの滝」「イグアスの滝」、世界三大瀑布に行ったが、行った季節を鑑みても、圧倒的に「イグアスの滝」がいちばん凄い。

こんな巨大な自然現象の前では、人間の存在はちっぽけなものだ。悩んでいる場合ではないと思ってしまう。

イグアスの滝、その破壊力ゆえ、100年間で30センチ後退していくそうだ。

夕方になり、飛行機の出発時間も迫ってきたので、タクシーで空港へ向かう。

(1986年)
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マナウス・・・アマゾン川沿いの町

2020年04月13日 | 旅・外国
リオデジャネイロからブラジルの首都ブラジリアを経由して飛行機で五時間、アマゾン川観光の中心マナウスに到着する。河口から二千キロ、それでも川幅は二キロ以上、アマゾン川の巨大さにワクワク。まずはマナウスの旅行社に行き、今夜のホテルと翌日の「アマゾン川八時間クルーズ」を予約し、ホテルに荷物を預けてマナウスの町に出る。

リオと違い、マナウスの治安はすこぶる良く夜中に一人歩きも可能だという情報を得ていたので安心して何処へでも行ける。ちなみに南米で治安が悪いのはリオとサンパウロ、そしてペルーの首都リマといった大都市である。もちろん、その時の政権によって、南米では治安の悪さがコロコロと変わるので、注意が必要だ。

余談だが、私が海外に行って立ち寄る場所がある。動物園、日本料理店、文房具店、書店、駅、スーパーマーケット、百貨店、市場、遊園地等である。名所旧跡にはあまり興味が無い。何故なら訪れた国の人達が普通に生活している様を見たいからである。マナウスでも最初に市の郊外にある動物園にタクシーで行き,可愛い動物たちとの出会いを堪能した。

翌日は「アマゾン川八時間クルーズ」に参加した。マナウス港から中型の遊覧船に乗り出発。さすがに日本人は私だけ。欧米人観光客と一緒にアマゾン川を下る。マナウスはアマゾン川支流に面した町で川を一時間も下ればアマゾン川本流と合流する。ここで摩訶不思議な現象が起こるのである。本流の川の色がミルクコーヒーの色、そして支流の川の色が群青色。この二色の川が合流点から混じらずに三キロ程下流まで川面に二つの色を分ける境界線ができるのである。何故なら二つの川に溶け込んでいる成分の比重が違うからなのだ。この現象は世界でもここアマゾンと中国の長江でしか見られないという。 巨大なアマゾン川には船のガソリンスタンドやタンカー、車を載せた渡り船、川魚を獲る漁船等が往来している。昼食は漁船から直接買った川魚がフライで出て来た。こちらの人は魚を生で食べる習慣は無い。フライは大味であまり美味しいとは言えなかったが昼食後しばらくして遊覧船はクルーズの折り返し点に到着。お土産物屋でピラニアのはく製などをウィンドウショッピングする。マナウスへの帰路、アマゾン川の真ん中で突然遊覧船が止まり、

 

「It’s swimming time !」


と乗務員が叫び、ラジカセで陽気なサンバの音楽を流し始めた。そうするとツアー参加者の大半が服を脱ぎ、水着になってアマゾン川へダイブ、船の周りで泳ぎ始めた。私は旅行社からこんなイベントがあるとは聞かされていなかったので、水着をインナーに着ておらず、ただただ見守るしかない。

 

「アマゾン川で泳いでいてピラニアに襲われないのですか?」

 

と乗務員に訊くと、

 

「ピラニアは浅いところにいて、川の真ん中の深いところにはいないんだよ」

 

との返事。貴重な体験ができたのに本当に残念な事をしたものだ。

船は夕方マナウス港に着き、私は港のすぐそばの魚市場に寄ってみる事にする。魚特有のニオイが強烈にする中、場内にあった漁師達が立ち寄る食堂があった。思い切って入ってみる事に。私はメニューが読めないので、分かりやすいトマトスープを注文した。このスープ、アマゾン川の魚のあらで取った出しが効いていて、今まで食べたトマトスープの中でも跳び抜けて美味しかった。

夜は日本料理店に行こうと思い、宿を後にする。マナウスの治安はリオに比べて格段に良い。日本料理店は直ぐに見つかる。お店の前に、移動式の遊園地。設置された簡易観覧車に一人で乗り、南米・アマゾンに来て、何をしてるのかと自分に問いかけつつ、お店にたどり着く。私は、世界どこに行っても「日本料理店に行く派」である。外国という非日常の中、「日本料理店という日常」に浸るのが好きなのだ。店内には、「北島三郎ほか演歌」が流れている。日本にいると滅多に演歌は聞かないのだが、異郷の地にいると演歌が心に沁みるのである。茄子の田楽がとても美味しい。お酒でほろ酔いになりながら、プハーと息をつく。お店はがらがら。客は私だけだ。マナウスの日本料理店はそれほどでもなかったが、日本料理が出て来ると言っても、日本と同じ様な料理が出て来るとは限らない。


ニュージーランド・クィーンズタウンの日本料理店に家族で入った時は、寿司職人が現地人という事もあって、にぎり寿司からオーデコロンの匂いがした。同じ店で寄せ鍋を頼むと出て来た野菜は白菜ではなく、レタスだった。

 

また、アフリカ・ケニアの首都ナイロビに行った時、ウィスキーの水割りを頼んだら、水割りのキューブアイスの真ん中に「ハエ」が凍って入っていた。現地人の店長にその事を伝えると、「それは凍る時に入ったんだよ」と言い返された。

つまり、「なんで、そんな細かい事を言ってるんだ。ハエくらい入るのは当たり前の事なんだよ」と彼の顔は語っていた。

マナウスの話に戻ろう。かなり酔っ払いながら(海外どこに行ってもそうだが)、ホテルへ千鳥足で戻った。ホテルの宿泊代が5000円と安かった事もあって、クーラーが効かず、熱い夜に苦しみながら、翌日リオ・デ・ジャネイロへ五時間かけて戻った。

一泊し、イグアスの滝で有名なイグアス経由、アルゼンチンの首都で南米のパリとも言われているブエノスアイレスに向かう。

(1986年)
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リオ・デ・ジャネイロ2・・・ブラジル

2020年04月13日 | 旅・外国
 どうしても乗りたかった路面電車は石造りの高い高架橋の上をコトコトと走り出し、陽光の輝くリオの丘の上へと登っていく。終点がリオでもとくに治安の悪いところ。終着駅には15分位でたどり着く。石畳の路に降り立ち、キョロキョロ。駅から近い程近いところにあるはずの美術館に行こうと思うのだが「地球の歩き方」の小さな地図では全く方向が分からない。そうこうするうちに日は次第に傾いていく。ブラジル人が通るも、ポルトガル語は「オブリガード(ありがとう)」とあいさつ程度しか話せない私。途方に暮れてしまった。

 

「ちょっと、すいませんが・・・」

「はい、何でしょうか?」

 

私は勇気を出して、赤いジャージ姿の上下でジョギング中のおじさんに話しかけていた。ラッキーなことに英語が通じた。おじさん、美術館まで連れて行ってくれるという。涙がちょちょ切れそうになりながら、好意に甘えた。無事美術館を鑑賞、出て来ると、

 

「この近くの居酒屋に一緒に行かないか?」

「はい、喜んで!」


おじさんがそう声をかけてくれた。私は即答する。海外で初めて出会った人に付いていくかどうかの判断は自分の勘に任せる事にしている。幸いにもその勘は一度もハズレた事がない。

 そう、私はお酒が大好き。海外を旅していると酔っぱらいの日々が続く。それがすこぶる心地よい。すごい人見知りなので、お酒の力を借りないとなかなか現地の人とも知り合えないし、いろんなところに潜入もできない。

 店外の石畳の路にはみ出した席に二人で座り、早速やり始める。飲む酒はピンガ。南米で人気の焼酎でこれをソーダで割ったピンガサーワーとして美味しく頂く。

 この居酒屋でおじさんからいろんな話をお聞きする。

おじさんは医者で南米全土を治療の為飛び回っているとの事、超インフレの為ブラジルの人々は毎月給料を貰うとすぐスーパーに行って買い物をしまくりお金をモノに替える事(そうしないと日々お金の値打ちが下がっていくので)、美術館に行く途中で臭った異臭は薬物を吸う臭いだとうい事(薬物でも吸わないとやり切れない社会ゆえ)、市バスが大きく左右に揺れながら走っているのは運転手が飲酒運転をしているという事(バスの運転手も給料がなかなか出ないので自棄になっている)、リオの強盗はホールドアップ(両手を挙げて)しても撃ち殺してから金を盗る事(顔を見られているし警官に賄賂を渡せば逮捕翌日には釈放される為)、等々、驚く様なブラジルの日常を次々と話してくれた。

 さらに、

 

「ブラジルには人種差別はないんですか?」

 

という私の質問に、

 

「インディアン、メスチィゾ(インディアンと白人の混血)、ポルトガル系白人、黒い肌の方がより差別されているんだ。ブラジルには差別に関してこんな寓話があるよ、残念ながら」

 

と言って教えてくれたのがこんな話。

 ある学校の先生が担任のクラスで差別があるのに悩んでいた。悩んだ末に彼女が考えたのは、クラス全員の肌を「緑色」に塗る事。そうすれば、きっと差別は無くなるだろうと思ったのだ。しかし差別は無くならなかった。何故なら「緑色がより濃い生徒」が差別される事になったからである。

 これは寓話であるが私は聞いていて人間の「業」の深さを見る思いがした。


 こうしていろんな話をしながら、私とおじさんは酒を酌み交わし続けた。おじさんも私も英語は外国語。お互いゆっくりしゃべった事で意思が通じたのかもしれない。

 

「ところで、今日は息子の誕生日なんだ。家に来て一緒に祝ってくれないか?」

 

そんなおじさんの提案を無下に断れるはずもない。居酒屋の勘定もおじさんが払ってくれたのだ。それよりも強い好奇心の方が私の中でアタマをもたげていた。

 

おじさんの自宅までは居酒屋から石畳の道を歩いて五分もかからない距離。ガッシリとした門構えで塀の上にはビッシリと鉄条網が張り巡らされている。やはり、余程治安が悪い様だ。

 

「こうしてハンドルに鍵を取り付けて、カーステレオを外して家に持って上がるんだ」


門に鎖錠をし、なおかつ門の中に駐車してある車から貴重品は家に持ち込むのだそうだ。おじさん曰く、この近所ではそうしていてもタイヤ四本盗まれたケースもあるという。かなり物騒な地区に自分が来ていると再確認させられる。不安が少し湧き起こるもここまで来ては息子さんに会うしかない。

 息子さんの誕生日を祝って、隣に住むおじさんのお姉さん(ヴァリグブラジル航空CAさん)始め、親族10人ほどが集合した。

 ポルトガル系、瞳のまんまるい六才、やんちゃ盛りの息子さんの為にハッピーバースデーを合唱する。今日初めて会ったのにこんな展開もありか・・・と内心あまりの展開の速さに付いていけていない自分を感じつつ、私も口を大きく開けて元気に歌ったのである。息子さんがケーキのローソクを勢いよく吹き消し、全員で拍手喝采。美味しくケーキを頂く。リオの二度と経験できない夜は続いたのだが・・・

しばらくして突然、

 

「おばあちゃん家に行きたいよー!」

 

息子さんがそんなことを言い出し、私も誘われて何故かおじさんの車に同乗。走る事10分、おばあちゃんの家に到着する。当然ながらおばあちゃんは大喜び、そして突然の外国人旅行者の登場も大歓迎してくれた。

気が付くと私は調子に乗り、いろんな話を初対面のおばあちゃんから聞いていた。

 

「ほらあの崖の斜面に光っている建物があるだろう。ここらの人はみんなあのことを《死の館》と呼んでいるんだ。」

 

おばあちゃんによれば、ブラジルのエイズ患者数はアメリカに次いで(当時)世界二位。それゆえ「娼婦の館」と言われていたくだんの建物が「死の館」と呼ばれる様になったという。またリオの市街地を囲む崖の斜面には地方の農村部から職を求めて出て来た人が無断で家を建てスラム化、治安がかなり悪化しているので要注意との助言も頂く。

 

「どこのホテルに泊まっているんだ。車で送ろう」

 最初の美術館からずっと私の事を気にかけてくれていたおじさんの本当に温かい言葉に感謝しきりである。ホテルへの車中では日本についての質問責め。大学卒の初任給はいくら?とかで思いつくままに答えていると、

 

「えっ!そんなに高いのかい?」

 

仰天した様子だ。

 また、明日以降のホテルについて相談すると、おじさんは自宅近くの一泊1800円のホテルを教えてくれた。有難い。深夜にコパカバーナのホテルに到着。おじさんとの別れを惜しむ。ほど良い酔いと人の心の優しさに包まれて、あっという間に眠りについたリオの夜であった。

 

 リオ三日目は、郊外に遊びに行き、丘の上の巨大なキリスト像や有名なロープウェイにも足を運ぶ。夕食を食べ、酒を飲み、くつろいでいると、結構夜もふけてくる。治安が悪い地区なので、タクシーでおじさんに教えてもらった丘の上のホテルに乗りつける。

 小さなフロントで、


「今夜一泊お願いします」

「あいにく満室なんだよ」

 

というやりとりがあり、途方に暮れる。この辺りはリオで最も治安の悪い場所。深夜。ホールドアップしても殺されると聞いている。ビビらない方がおかしい。

 

「空いているかどうか分からないが、この坂を五分位下って行ったところに姉妹ホテルがあるんだ。行ってみたらどうかな?」

 

フロントの人も私の困惑度合を察したのか、そう親切に助言してくれた。

 おそるおそる周りを見回しながら深夜の石畳の道を姉妹ホテルへと向かう。強盗に遭遇しない為に心の中では走っている感じではあったのだが、足は遅々として進まない。五分という恐ろしく長い時間が過ぎ、やっとの事で姉妹ホテルにたどり着く。ここは空室があり、ホッとして体全体が脱力感に襲われ、案内された部屋の堅いベッドに横たわる。熱いシャワーを浴びようと思い立ち、裸になるが水がお湯にならない。このホテルのシャワーは変わっていて、シャワーの出口に電熱器が仕込まれていて、水がそこを通ると熱くなる仕組みなのだ。もう一度、服を着てフロントの人の手を引っ張り部屋に連れて来る。ポルトガル語しか通じないので、手振り身振りと筆談でシャワーの件を伝える。ななんとか私の言いたい事を理解してくれ、共同シャワー室を開けてくれた。生温いシャワーを浴びながら、思いはアマゾンに馳せていた。リオでの濃密な三日間は終わり、明日はブラジルの首都ブラジリア経由でアマゾン川中流の町マナウスへ向かう。

 

(1986年)
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リオ・デ・ジャネイロ1・・・ブラジル

2020年04月13日 | 旅・外国

「コパカバーナ(リオの高級リゾートビーチ)に泊まりたいんですが、ホテルの予約をお願いできますか?」

 

 ブラジル・リオデジャネイロ空港のツーリスト・インフォーメーションでこう投げかけたのが、私の南米での第一声となった。日本からアメリカ西海岸ロサンゼルス空港で二時間の給油をしてヴァリグブラジル航空でほぼ二十四時間。時計は午前と午後が替わるだけで時計の針を直す必要が無いといういちばん時差のキツイ所だ。早朝五時到着。


 南米は初めてというのにホテルの予約も取らずにノコノコとやって来たのにはワケがある。世界の様々な所に仕事で行った事がある会社の上司にブラジル行を告げた時、その上司から

 

「リオの空港に着いてツーリストインフォメーションに行けば、ホテルは簡単に安く取れる」

 

と嬉しい様な不安が増す様なアドバイスを受けたのだ。

 

「いくらのホテルをご希望ですか?」

「一泊五千円位のホテルはありますか?」

 

 こうして写真やテレビでしか見た事のないコパカバーナのホテルを無事取る事が出来、私は空港からタクシーでホテルに向かった。

  当時のブラジルはデノミ(超インフレの対策として、貨幣の単位を替え、新しい貨幣を発行する事)した直後で、空港の銀行で両替したら、クルゼイロとクルザードという二つの貨幣が入り混じったものが返って来た。一クルザードが十万クルゼイロだそうである。のちに分かるのだが、当時ブラジルはなんと2000%の超インフレ!すなわち、二十万円のテレビが一年間で四百万円になるという状態。いずれにしても旅人としては買い物のたびに一体いくら払っているのか、分かりづらい事この上もない。

 

 話を元に戻すと、私の乗ったタクシーはコパカバーナのビーチを快調に走っていた。乗車の際、ホテルの名前を運転手さんに告げたら通じたので、そこそこのホテルだと安心し、ビーチで陽気に遊ぶ人々を車窓からぼんやり見ているとコパカバーナのビーチが終わりそうになってきた。どこに連れて行かれるものやとドキドキしていたら、みすぼらしい二階建ての建物の前でタクシーは停まった。<本当にビーチのいちばん端に予算5000円のホテルはあった。


 ホテルにスーツケースを置き、おそるおそるコパカバーナを散歩する。何故そんなにビビッているかというと、「地球の歩き方」にリオデジャネイロの治安はものすごく悪く、日本人観光客はコパカバーナ等の観光地でも一人では歩いてはならないと記載されていたからである。たとえそれが昼間であったとしても。また、ニュース報道ではリオ市内だけで三日間で殺人事件が50件を超えるというものもあったり物騒この上ない。

 しかし、コパカバーナを実際に歩いてみると気候は沖縄・石垣島に近く、海岸では泳いだりビーチバレーを楽しんだり実に平和な光景が見受けられた。新市街地まで足を延ばして商店街をウィンドウショッピング等を楽しむ。夕方までブラブラしていると頭痛がしてきた。極度の時差と早朝から行動し続けてきた疲れが原因と思われ、速攻ホテルに戻り体を休める事にした。

 

「カフェオレはいかが?」

「・・・いただきます!」

爆睡して起きると朝。このホテルは朝食付だ。食堂に下りていって飲んだのが熱いコーヒーとこれまた熱いミルクをカップに同時に注ぎ込むカフェオレ。今まで飲んだカフェオレで一番美味しかった。さすがコーヒー豆が有名なブラジルだけのことはある。ちなみに、ブラジルの公用語はポルトガル語だが、南米の他の国はスペイン語である。カフェオレはスペイン語でカフェ コン レーチェという。これを英語に翻訳すると、coffee with milk となる。コンはwith、レーチェはmilk、南米豆知識。

 

 今日はザ・シティと呼ばれるリオの旧市街地へ行ってみる事にする。目的はザ・シティから出ている路面電車に乗る事だ。私は鉄道ファン、それも乗り鉄なので国内外行ったところの鉄道にはできる限り乗る様にしている。

 ちなみにリオにも地下鉄があるのだが、乗ろうとしても入口がすべて閉鎖されていてストライキでもしているのかなぁーと思っていた。あとで現地の人に訊くと、リオの地下鉄は日曜日が休みで運行していないのである。これにはかなりビックリした。というか唖然となった。東京の地下鉄が日曜日すべて止まってしまったら、大パニックになってしまうだろう。日本では絶対考えられない。海外を旅すると日本が見えてくるとはこういう事かもしれない。


 




 

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人生幸朗・生恵幸子、中田ダイマル・ラケット、初代Wヤング

2020年04月13日 | 笑い


人生幸朗・生恵幸子、中田ダイマル・ラケット、初代Wヤングなど、豪華ラインナップ。垂涎の漫才を次から次へと観られるのはとてもとても贅沢な瞬間!
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太平サブロー・シロー

2020年04月13日 | 笑い


亡くなったしまったが、太平シローさんの才能には惹きつけられた。
生放送の番組「オールナイト・サブローシロー」でシローさんがブチ切れたのも懐かしい。この番組で僕はフロア・ディレクターを担当していた。
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