光秀に次いで、
信長の方も読みました。
こちらは最後は、本能寺。
そして、前作で語られなかった、光秀がなぜ信長を討つに至ったかを描きました。
でも、有名な『敵は本能寺にあり』の言葉や本能寺の討ち入りシーンで光秀の顔は出てきませんでした。
『ときはいま、あめがしたしる、さつきかな』は、別の意味で解釈されました。
1対3対1の原理、5人の原理。
この物語では、その理(ことわり)が何度もでてきました。
やっぱりこのころ、戦国時代は、いろいろな武将が居て
その歴史を大概の人が知っているから、その人ごとの解釈ができるからいいんでしょうね
来年の大河は光秀だそうです。
たいがいのひとが知っている光秀の生涯、そこにたいがいの人が知っている戦国武将たちが
光秀側の立場から描かれる。
ここはそうかも、ここは違うんじゃない
と、たいがいのひとが想いながら見ることができるので面白いんだろう。
大河ドラマは、たいがいの人が知っているドラマなんでしょう。
だから、知らない人、知名度が低い人に光が当たったときには、
たいがいのひとが、先を読めないから、苦戦しているのかもしれない。
がんばれ、いだてん!
がんばれ、クドカン!