ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ボヘミアン・ラプソディ再び2

2019-01-04 13:38:00 | 日記
さて、クイーンの曲が幅広い世代に愛される理由として
「色んなタイプの曲がある」説を挙げられる方も多いようで
確かに、R&Rだけでなく、ジャズやソウル
ゴスペル、バラード、クラシックなど様々なジャンルの楽曲のいずれかが
心にヒットすることは大いに考えられますよね?

もっとも、東儀秀樹さんは…「フレディの最大の特長は何でも歌える声
でも『何でも屋』にならない唯一無二なのです
ビートルズなどの追従バンドは出ましたけど
クイーンのマネは出来ない」…とおっしゃってます

ちなみに、フレディは【ボヘミアン・ラプソディ】が収録された
アルバム「オペラ座の夜」以降、ファルセットではなく
ライブ用の強靭な歌唱法を訓練し身につけたらしい

ともあれ、メンバー4人それぞれが、曲を書いて持ち寄り
その中から、シングル曲やアルバム収録曲を決め
全員がアイデアを出し合ってアレンジして行く
…というスタイルによってバラエティに富んだ楽曲が生まれたと思われますが

そのために、どの曲をアルバムに入れるか?
誰の曲をシングルにするか?といったメンバー同士の「話し合い」にも疲れ
ソロ活動を始めたフレディとメンバー3人は決裂…(汗)
まあ、マネージャーのリード氏を追い出したポールのせいもあり…って
メンバーもジム・(マイアミ)・ビーチ氏も
ホントにポールを毛嫌いしている感じのセリフが多々あったし…(汗)

その決裂の際に「俺たちは家族だろ」と訴えるメンバーに
フレディが「違う!君たちには家族がいる
俺には誰もいない」と答えるシーンを観て
「【観覧車】を書いた頃の甲斐さんって
こんな気分だったのかなあ?」と奥さん

イヤ、もちろん甲斐さんにもご家庭がおありだったけど
「人生には、アップとダウンの時期がある
これはダウンの時期に書いた」とおっしゃったのは
「福岡から一緒に上京して来た」ある種の運命共同体ではなくなってしまい

「夜中に突然、レコーディングのためにスタジオに集まることはもちろん
打ち合わせの日取りを決めるのも一苦労だった」そうで
それまでみたいに「甲斐バンドが一番」じゃなく
「他にも大切なものが出来る年齢になった」と実感されたんじゃないかと…?

愛ろく4ツアーのMCで、冗談っぽくではあったものの
松田聖子さんへの提供曲のデモテープを作られる際に
「その頃、松藤とは不仲で、大森さんは家庭に忙しく…(笑)
一人でギター弾いて録った」と話されていたみたいですし…(苦笑)

我が家のご贔屓コラムニスト・ミュージシャンの後藤正文さんが…
「複数の人間が集まって楽曲を制作するのは、難しいことだと改めて思う
メンバーの意見を全て反映させると
先鋭的なアイデアは平均化されて鋭さが減り
音楽的な面白味が減ってしまうと感じる

一方で、誰かのアイデアを実現するために
他のメンバーが我慢するような状況が続くと、現場の空気が悪くなって
作品にも気まずいフィーリングが幾らか混ざり込んでしまう
バンド運営のもどかしさと民主主義の面倒臭さは
似ているところがあるのかも知れない」と記されていて

そういう意味では、甲斐さんが、結成当初から
「バンドに民主主義は要らない」とか「歌唱印税は4等分」と
揉め事になりそうな部分をハッキリ提示なさったのは正解だったんでしょう
まあ、そのおかげで世間には「ワンマンでワガママ」だと思われたみたいだけど…(笑)

それはさておき…ミュージック・ライフ元編集長の東郷かおる子さんは
現地でライブ・エイドをご覧になって…
「直前の日本公演をこなしてはいたけど
初来日の時のように、4人でつるむこともなかったし
解散も間近だと噂されていたから、始まる前は期待してなかった

それが、あのステージでしょ
会場中がフレディに操られるように、集団催眠みたいになっちゃって
希代のエンターテイナーよね
彼らもバンドとしての自信を失っていたから
ライブ・エイドに救われたんじゃないかな」…と思われたそうですが

ソロ活動では、周囲の人間が全員「言いなり」で
「(クイーンのメンバーみたいな)文句もナシだ」とフレディ(笑)
「もう一度『クイーン』でやりたい
家族だったら、ケンカもするだろ?」と
ライブ・エイドが、モトサヤに戻るきっかけだったのは間違いないみたいです

その後は「もう時間がないから、どんどん曲を書いてくれ」と
病と闘いながらの活動となりつつも
ブライアンが「高音が歌えないかも知れない」と思いながら書いた
【ショー・マスト・ゴー・オン】は
正に「命が尽きるまで歌い続ける」といった感じで壮絶な素晴らしさですが

もう外出も出来なくなってからは
自宅の日本庭園で猫を抱いて、池で泳ぐ錦鯉を眺めていたという話に
映画に出て来た「ライトを点けたり消したりする」シーンや
一人でベッドに横になっている姿が重なり
ずっと孤独感に苛まれていた人だったんだなあと…

甲斐さんが「私的表現と普遍性のバランスというのは、表現の上で一番難しい
自分が物凄く私的なことを書いたとしたら
それがきちんと普遍性を帯びているかを
表現者はどこかで客観的に見ることが出来ないといけない

僕には、血反吐を吐くほどの思いで表現しようとする人たちは、私的なことを書いても
それは多分どこかで普遍性に繋がって行くはずだという直感だけがあったんです」
…と、おっしゃってましたけど
【ボヘミアン・ラプソディ】は、超私的な曲にも関わらず
今もこうして多くの人々を惹き付けている訳で

確かに、この映画は全部が全部「史実」に忠実ではないとはいえ
いかにもな「偉人伝」に仕立てたりせず
出自やセクシャリティに悩んだ「フレディ・マーキュリー」という
一個人にスポットを当てつつ「クイーン」の魅力を存分に描いた作品だと思います

ただ、ライブ・エイドで歌われた曲もそうだけど
お蔵入りしたシーンもかなりあるようで
その中には、クイーンが…特にフレディが
「日本に住んでもいいなと思ったことがある」ほど
「日本びいき」だったことを知らしめるシーン…

来日時のプライベート映像とか、フレディが通訳の方に頼んで
歌詞を日本語に訳して貰って歌ったとか…も含まれているらしく
DVDが発売されることになったら
メイキング映像と共に、それらの未公開シーンも収録して欲しいなあと…♪
コメント
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