ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

気になる言葉 AGAIN4

2022-02-19 15:23:00 | 日記
かつて「サンスト」で、甲斐さんが「昔の映画の白黒はイイ
ナンでかっていうと、実は同じ白黒で撮っても、今は昔みたいな白黒フィルムがないわけ
だから、最初はカラーで撮っといて、あとから白黒反転にしてるわけよ
今のフィルム、粒子の情報量が多く、精巧に出来てるから
やわらか過ぎて、昔のように堅い画質で撮れないのね

古いフィルムは、それほどデリケートじゃない分、堅いトコは堅く、メリハリが効いて来るんだ
明るいトコと暗いトコのね…『道』観てご覧よ
実は『ブルー・レター』の3番の歌詞、『道』の最後なんだよ(笑)」と話されてましたが

そのイタリアの名作「道」は、上映後に別バージョンの制作やアニメ化など
様々な打診が殺到したものの、フェリーニ監督は「何故、そんなに続きを欲しがる?
みんな、それほど想像力がないのだろうか」と、それらを全て拒絶
この当時の監督は「映像に出来なかった余白の中にこそ、創造の別の種が潜む
だから、自己の模倣だけはすまい」と心に誓っていたそうです

甲斐さんが、映画「照和」のラッシュをご覧になって
丁寧に時系列通りを心がけていらした深津監督に
「全て説明しようとしなくていいんだよ」とアドバイスなさったのも
描かれていないシーンの「行間を読む」とか「余韻を楽しむ」といった
受け手側の想像力に委ねる部分というか、自由に感じることが出来る余地を残した方が
より奥行きのある作品になると思われたからじゃないかと…?

想像力といえば…少し前に甲斐さんのラジオ番組で紹介された東京新聞のコラムに
「敷居が高い」というのは「啖呵を切って家を飛び出した寅さんが
帰って来るのだが、家の前でモジモジしている状態」だと説明されてましたけど

「映画を巡る物語」という新聞の読者投稿欄の
「2年前の正月に『男はつらいよ お帰り 寅さん』を観に行った」福岡在住の女性は…
「過去の名シーンが度々出て来る構成で
博がさくらにプロポーズした場面では、とめどなく涙が溢れた

そして思い出した。10年ほど前、偶然再会した高校の同級生から
『◯◯さんが寅さんで泣いたのって、博がさくらにプロポーズした場面じゃない?
俺が寅さんになるけん、◯◯さんがリリーになってよ」と言われたこと
その彼から、高校時代に『好きな映画は?』と訊かれ『寅さん』と答えたこと
『じゃあ今度2人で観に行こうよ』と約束して、結局行けなかったこと

コロナ禍となり、私は『男はつらいよ』を全作観た。そして、色んなことが繋がった
寅さんになりたいと言った彼は、決してフーテンになりたかった訳じゃないんだ
『リリーになって』は、不器用な彼からのプロポーズの言葉だったのだ
それから彼とは会えていないけど、私は彼のことを思っている
彼が元気に楽しく暮らしていることを、ただ祈っている」…と綴られていて

当時「学生だった僕に うまく愛は語れなかった」彼の気持ちに思い至っていらしたら…と
せんないこととは思いつつ、切なくなったり
今の彼の様子を思い描いておられることにグッと来たり
我が身を振り返って、ついつい遠い目をしてしまいました(苦笑)

続いて…「高校3年の時、衝撃的な映画体験をした」という方は…
「私の高校では、年に1回、映画上映会が開かれており
1,2年生の時は、生徒からのリクエストで
早世したジェームス・ディーンの作品を観たのだが、私自身には響かなかった

だが、学校側が選んだ黒澤明監督の『どですかでん』には全身が震えたのだ
戦争がもたらす過酷な貧困の中で生きる人々
思春期だった私たちの想像を凌駕する、大人の生々しい欲望
そんな中で『どですかでん』と声を上げながら
たくましく生きる少年の姿に涙を流しながら
『これが映画だ!圧倒的な力で自分の知らない世界に誘ってくれるのだ』と感じた

『どですかでん』に対し『これが黒澤監督の映画か!?』『何を言いたいのか?』との酷評もある
ただ、当時の私にとっては『毒にも勝るほど強烈な作品』だった
そして、それに触れることが出来たおかげで
人生に彩りをもたらす映画の世界に親しむようになった
だから言いたい、ありがとう『どですかでん』」…と記されているんだけど

かつて、甲斐さんが「金をかけてる邦画が、イイにしろ悪いにしろ、コケるってイヤですね
金かけたぶん、当たって貰わないと日本映画界が、どんどん悪くなるんでね
だから、黒澤明はスゴイと思うわけ。金かけたぶん、回収するでしょ」と話されていた黒澤監督も

後半生は映画の斜陽期にぶつかって、予算に頭を悩まされるようになり
ハリウッドに活路をお求めになったものの失敗
この「どですかでん」で、復活ののろしを上げられたところが
評価は低く、興行は不調、自殺未遂に至るまで追い込まれておられたんですよねぇ…(汗)

「ヒットさせなければ…との思いが人一倍強い方でした」と言われる黒澤監督が
もし、今の時代に生まれていらしたら、潤沢な資金を提供してくれるNetflixを活用されたか?
イヤ、脚本にも映像にもトコトンこだわられるゆえに
Netflix側との衝突は避けられないかも知れないなあと…?(苦笑)

そして…「1945年の敗戦で、父の復員を母と子供6人で待っていた」方の投稿
「ある日、母が8歳の姉と6歳の私、4歳の妹を映画に連れて行ってくれることになった
出かける前に母が突然、私をおんぶすると言い出した
おんぶされるのは妹の方ではないかと訊くと
母は『(妹は)帰りにするから』と私をおんぶし、ねんねこを羽織った

ケガもしてないのに変だと思いつつ、私は背負われて映画館に入った
なぜ母は、私を背負ったまま映画館に入ったのか
長い間、気になっていたが、いつの頃か、ハッと気づいてドキリとした
母が子ども料金を払ったのは、姉の分だけだったのだ

苦しい生活の中、せめて子供たちに映画を見せて楽しませたいと
母なりに考えたことだったのだろうか…おかしくもあり、かなしくもあり
初めて観た映画は、母の背中のぬくもりと共に忘れることはない」
…という内容といい、最後の一文といい、ちょっと涙腺が弛みそうになるエピソードでした

最後は、コロナの影響で今年7月、54年の歴史に幕を降ろすことが決まった
ミニシアターブームの先駆者「岩波ホール」の岩波律子支配人の言葉…
「(閉館の発表に)全国から反響があって、本当に申し訳ないと思うばかりで…
ウチのお客様は高齢の方が多く(コロナ感染を)気にして控えてらしたんだと思うんです

若い方に来て頂きたいと思って、色々試みたんですが、あまり反応がなくて…
今は、学校で映画の鑑賞会もしていないのかも…
娯楽映画はご覧になるのかも知れないけれど
ウチは心理的にハードルが高いのかなと思いました

ただ、1日の観客数が、かつての(上映)1回くらい…50人にも満たない人数になって
夜の最終上映で、お客様が1人もいらっしゃらず、開始10分で映写機を止めたりと
去年あたりは、もうこれでいいのかな、という気持ちはありました

映画は文化。儲けようと思っても儲からないし
ナンでこの映画がこんなにヒットしたのかというのも、永遠の謎なんです」…を知って
「映画『稲村ジェーン』30年ぶり脚光の、夏
桑田佳祐さん監督 DVD化・ラジオドラマも」という記事を思い出しました

「日本映画が興行的に低迷した1980年代、一種のカンフル剤として
文学や音楽、演芸などの他ジャンルの人気者が次々に映画監督として召喚された
村上龍、和田誠、伊丹十三、北野武…作家の高橋三千綱さんも『真夜中のボクサー』を監督していた

中でも、桑田さんの映画は飛び切りの話題性だった
湘南の海辺を舞台にしたサーファーたちの物語は、若者を夢中にさせ、大ヒットした
しかし、プロの世界は甘くない。映画のアマが撮ったこの作品は、悪評プンプンだった
私も、波乗り場面のないサーフィン映画に、客席でひっくり返った口だ」と記されているんだけど

当時、同じようなオファーを受けられたという甲斐さんは
「映画って、世界最大の娯楽じゃないですか
そんなコワイものに手出しちゃダメ(笑)
だから、映画を撮る気は全くないですね」とお答えになっていて

パワーステーションで、ミック・ジャガーに会われた時に、声をおかけにならなかったり
ジュリーから曲の依頼があった時に「少し悩んで結局断った」のと同様に、お好きだからこそ
映画の世界にも、楽しみ以上に踏み込むことを避けられたのかなあと…?

ともあれ…「30年ぶりに観たが、主人公が何を考えて行動しているのかが、よく判らなかった
だからと言って『つまらない』という結論にならないのが、映画というものの面白さだ
作り手が楽しんでいる空気が、画面を弾ませている」…と続いてますが

あの「時代の徒花」って感じの作品に、今スポットライトを当てるのはナゼ?(失礼!)
やはり、昨今の「昭和歌謡」ブームというか
レコードプレーヤーを持っていないのにも関わらず
アナログ盤を購入して、そのジャケットを部屋に飾るという
今の若者たちをターゲットにしているんでしょうか?(苦笑)
コメント
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