引き続き、新聞の読者投稿欄の「映画を巡る物語」から
まずは、甲斐さんも影響を受けられたという「イージー・ライダー」を
甲斐さんと同じ(笑)「『福岡』で友人の女性と見た。挿入されたステッペン・ウルフの曲
『ワイルドでいこう!』と共に衝撃を受けた」方の投稿
「ピーター・フォンダとデニス・ホッパーが
バイクでアメリカを自由に旅する姿が羨ましかった
髪を伸ばしてロックバンドを結成していた私は
就職を控え、大人の世界に入ることへの憂鬱さを抱えていただけに
一層、自由な旅への憧れは強まった」…って
当時、どこかで甲斐さんと接点がおありだった方かも…?(笑)
「映画はハッピーエンドを迎えるものだと思っていた
ところが、物語の最後、主人公2人は突然ショットガンで撃たれて命を落とす
隣の彼女は、元々ピーター・フォンダのファンだったが
本当に彼が亡くなったと混同したかのように、劇場が明るくなっても泣き続けた
個人が自由な生き方を謳歌する一方で、保守的で不寛容な気質も残るアメリカ
私は、その二面性と落差を理解できなかった
私たちは、しばらく座席から立つことができなかった」と記されていて
大分の映画館の支配人の言葉…「映画は監督のものではない
見た人の人生の中で、映画がどういうものであるかが大事
客が『口をつぐんで帰るような』映画も要る」…を思い出しました
これは、甲斐さんが「ライブを観たあと、客がひと駅ぶん、余計に歩いてしまうくらい」
魂を揺さぶるようなパフォーマンスを見せたいと話されていたことに通じるんじゃないかと…?
かつて、奥さんの友人Sさんが「サンスト」に…
甲斐バンドライブの帰り道に「友達といつもよりも言葉少なく」感想を話し合ったと投稿し
甲斐さんが、この「」の部分を繰り返しお読みになったというのも
「してやったり!」と嬉しく思われたからかなあと…?(笑)
ちなみに、この支配人の方は…「映画が終わって
作り手が『こんな意図で作った』と、そんなこと喋ってどうすんだ
監督を褒めそやすより、まずは多くの客と映画を『出会わせる』こと
そこに映画館の務めがある」…とも、おっしゃっていて
やはり、これも「『音楽は音楽で語られなければならない』と言ったのは大瀧詠一なんだけどさ
それ以上でもそれ以下でもあっちゃいけないんだよね
例えば、自分の音楽を語る時に、自分の恋愛問題を話したりしたってしょうがないじゃない
かと言って、自分の曲の説明を何ページに渡ってやったとしてもダメだけどね」
…という甲斐さんの言葉と同様に「いったん世に出したら、その作品は受け手側のもの」と
表現を提供する側のある種の覚悟を示す言葉でしょうね?
続いては…「素敵な映画音楽に魅了され、そこから映画を観ることが結構あった」という方の投稿
「『鉄道員』『ひまわり』『道』など切なくて胸が締めつけられる
特に『太陽がいっぱい』のニーノ・ロータの曲には思いが強い」
…って、確かに前述の作品たちは、タイトルを目にしただけで
その作品で流れていたメロディが、自然に浮かんで来ます♪
更に「原作小説は、主人公の名前から『リプリー』だが
映画の邦題は『太陽がいっぱい』になった。すごいセンスである」との一文にハゲ同(笑)
全てが露見したことを知らないアラン・ドロンが、あのラストシーンの直前に
デッキチェアで幸せそうにまどろみながら呟くセリフをそのままタイトルにしたというのは
甲斐さんがおっしゃっていたように「当時の日本のディレクター達がスゴかった」ってことですよね?
ともあれ…「私が初めてこの曲を聞いたのは、レコードでも映画でもなく『炭都』夕張の全山放送だ
朝からヤマに入った一番方が、午後3時、地下数百メートルの坑道から地上に出て来ると
鉱業所からこの曲が流れる。それが少年だった私の日常風景だった
危険で真っ暗な所から地上に上がって来た男たちに、もの悲しいあの旋律は相応しかったのか
周辺は邦画映画館ばかりだったから、担当者も映画の方は見ないまま
タイトルに惹かれて選曲したのかも知れぬと、苦笑しつつも思う
私の父もヤマの男だった。まぶしい太陽に生の喜びを感じたであろう父たちへ
精一杯の『ご苦労さん』が込められていたと考えると、有り難く、そして懐かしく思うのだ」
…と結ばれてますが、あの海のイメージが強い映画の曲をお聴きになって
ヤマを思い浮かべられる方がいらっしゃるということが新鮮というか
曲を聞いただけで「現実の時間を遡って、一気にその時に戻れたりする
時間を超越したタイムマシン」という甲斐さん説を思い出しました
映画評論家の秦早穂子さんは、60年代にパリで映画の買い付けをなさっていたそうで
ある夜の試写会で、トリュフォーやゴダールといった異能の監督たちと同席され
「そこに漂っていた『満ち足りた感覚』が、今も体の芯に確とある」らしく
「記憶に残るというのは、そこに何かがあるからで
決してノスタルジーではない」とおっしゃってますが
「かぐや姫の『神田川』が街に流れた頃、京都で大学生活を送った」方は…
「大半の学生が長髪だったが、サッカー部の私は短髪
住んでいた学生寮は運動部の者が多く、いずれも髪が短かった
我が寮を指定して、東映の京都撮影所から、まとまった数のエキストラの募集が来ていた
当時はヤクザ映画の全盛期。画面に少し映る程度でも、長髪だと様にならなかったのだろう
朝、寮の前までタクシーが迎えに来て、分乗して撮影所へ向かう
大部屋の隅で待機し、役割や動きの説明を受けた
撮影所やロケ現場で、鶴田浩二や松方弘樹、山城新伍らを目の当たりに出来て
日当は、平均的なバイト料の2倍はあった
ある日、滋賀のロケで、私に警官役が回って来た
直立不動の私の前を、憧れのスター・高倉健が歩いて行った
確か『山口組三代目』の撮影だったと思う
友に『映っていたぞ』と言われたが、何故か気恥ずかしく、約半世紀過ぎた今も未見である」
…と「記憶に残る」はずの作品を避けていらっしゃいます(苦笑)
まあ、我が家にも、甲斐さんのライブDVDに映り込んだ自分の姿から
目を背ける者が約1名おりますし(笑)お気持ちは判らなくもありませんけど
それこそ映画館ではなく、ご自宅でお一人の時にでも
こっそりDVDをご覧になっては如何でしょうか?(笑)
余談ですが、この「映画を巡る物語」とは別にある大学生の方が…
「1970年後半以降、映画館の入場者数はあまり増えていないらしい
確かに、DVDやBlu-rayを借りて家で観る方が、お金がかからない
好きな時に停止できて、トイレは誰にも迷惑をかけずに行くことが出来る
しかし、私は映画館で観る方が好きだ
少し高いお金を払ってでも、圧倒的な音響や大きなスクリーンで味わえる臨場感や雰囲気で
その映画に入り込むことが出来る
同じ空間で、一緒に観る人たちとの不思議な『共有感』は
その場でしか感じることが出来ないものだろう」…と記されているんだけど
確かに、映画館へ行くと、この方がおっしゃるような
「映画館ならではの良さ」を実感するものの
ついつい、自宅などでDVDや配信を観てしまうのは
ぽっかりと時間が空いた時、上映開始時刻を気にせず、映画館へ向かう手間もなしに
すぐに観ることが出来るという手軽さのせいではないかと…?(苦笑)
いつか、コロナが収まって、奥さんがハマリまくった(笑)「胸アツ応援上映」でも
作品が観られるようになったら、もっと気軽に映画館へ行きたいと思っています♪