以前に、音楽プロデューサーの酒井政利さんが、文化功労者に選ばれた際に
「映画が僕の恋人。音楽はそんなに好きじゃなかった。だから、俯瞰して見られて良かった
ほら、恋人の欠点は見えないものじゃない?
」…と話されたことが
甲斐さんの「ホントは映画関係の仕事がしたかったけど
どうすればいいのか判らなかったし、音楽の道の方が身近にあった
それに、一番好きなことは仕事にしない方がいいって言うしね」
…という言葉に重なったとご紹介しましたが
編集者で写真家の都築響一さんは…
「好きなことをして、お金になればいいと思いがちだけど
好きなことはお金にしたくない人もいるんですよ
好きなことを飯の種に出来れば幸運だろうが、金稼ぎは不安定なもので
やがてその『好き』も濁って来るかも知れない
でも、仕事をただの手段とするのもやるせない
いずれにせよ、好きなことだけして大金持ちはあり得ない」…とおっしゃっていて
「チャートに入るロック」を目指されたミュージシャンの方が
一方で「売れ線を狙ってコケたら、目も当てられないから」と
世間に迎合するような作品だけは書くまいと、自らを律していらしたことを思い出しました
ともあれ…その酒井さんがお亡くなりになった時の新聞記事にあった
「『歌の中で映画を作りたい』と、曲の映像的なイメージを作詞・作曲家に提示し
イメージに合わせて、インパクトのあるタイトルを付けることに長けていた」との一文と
甲斐さんが「ストーリーが見える歌を書こう」とお決めになり
実際に「頭の中でカメラが切り替わるような感じ」で浮かんだ情景を歌詞になさっていることが
再びオーバーラップしたのは言うまでもアリマセン(笑)
…ということで、今回は新聞の読者投稿欄に掲載されていた「映画を巡る物語」から
気になる言葉をピックアップしたいと思います♪
まずは、大学の英語のヒアリング授業で、字幕なしの「カサブランカ」をご覧になり
「アメリカ、イギリスの他、ドイツ語やフランス語風の発音など
癖のある表現が多く、聞き取りは大変だったが
ヒロインを演じたイングリッド・バーグマンにすっかり魅了された」方の言葉
「映画のようなドラマティックな恋愛は経験せず、英語を使う機会もなかったが
もし今もバーグマンがいたら、無我夢中で英語を勉強するだろう」…(笑)
これは、かつて竹内まりやさんが「ビートルズの曲の歌詞の意味を原語で知りたい」とか
藤田朋子さんが「いつかポール・マッカートニーに会う時のために…(笑)」と
英語を猛勉強なさったのと同じ心理というか
好きな人のことをもっと知りたい、深く理解したいという願いが原動力になるのは
韓流スターに憧れる方が韓国語を学習なさったり
奥さんが博多弁に耳をそばだてたりするのと変わらないんじゃないかと…?(笑)
続いては…「1960年頃、テレビもない田舎で、巡回映画は待ち遠しい娯楽であった
夏は、神社の鳥居にスクリーンが張られる
風に揺れる画面を食い入るように見つめた
寒くなると、公民館が会場になる。すし詰めの熱気が懐かしい」とおっしゃる方の投稿
「『点と線』が記憶に焼き付いている。作品が製作された10年後の68年に
福岡市箱崎の大学に就職し、後に香椎に住んだ
箱崎や香椎は『点と線』で、東京駅13番ホームと並ぶ、アリバイ崩しの重要地点だ
原作の松本清張の文庫本を手に、加藤嘉さんが演じた刑事になったつもりで、舞台を歩いた
国鉄香椎駅、西鉄香椎駅や香椎潟の佇まいは、映画で見た印象が残っていた
駅前の果物屋から、おやじ役の花沢徳衛さんが顔を出しそうだった
香椎を離れ45年。先日、久々に訪れると、JR香椎駅は近代的な駅ビルとなっており
果物屋のあった場所も判然としなかった
映画では、果物屋を通り抜けた女が『ずいぶん寂しいところね』と連れの男に言う
昭和30年代の町の空気は、巡回映画の日々のように彼方の記憶となった」と記されていて
最初は、映画の面影が残る楽しい「聖地巡り」の思い出に微笑ましさを感じたんだけど
「おもろうて、やがて哀しき…」な結びに、ちょっとグッと来ちゃいました(苦笑)
次も「1970年代に京都で大学生活を送った」方の、古き善き時代の映画館の話です(笑)
「学生下宿の多い街の一角、スーパーマーケットの2階にあった名画座
完全自由席で入れ替えなし、3本立てが学生料金で400円程度だったと記憶している
小津安二郎、黒澤明、鈴木清順、深作欣二といった巨匠作品から
東映ヤクザ映画、日活ロマンポルノまで、幅広いジャンルの映画が掛かっていた
1階のスーパーで弁当を買って館内に入れば
何時間も映画に浸れる夢のような場所だった
オールナイト上映時には、通路まで観客が溢れた
消防法上の収容人員を軽くオーバーしていたはずだ
今では考えられないくらい、おおらかだった
クライマックスで主人公の決め台詞が出ると、満員の観客が一体となって拍手喝采した」
…といった、ボクと同世代の方の思い出の映画館は
当時の日本のスタンダード(笑)と言えるもので
前述の説明の他にも…一応?「場内禁煙」ではあったものの、あちらこちらで紫煙が上がったり
上映開始時間に遅れて入場した観客が、次の上映回まで居続けて
自分の入場時の場面まで観たところで席を立ったり
立ち見の観客が、その空いた席に駆け寄ったり(笑)
…って、おおらかというより、もはや無法地帯ですね(笑)
ともあれ…「アフターコロナの時代、人いきれの中で映画と向き合った
あのような体験はもう、叶わないのかも知れない」と投稿者の方
まあ、コロナがなくても、川越スカラ座のような歴史ある「町の映画館」は減少傾向にあるし
シネコンは完全入れ替え制だし、かつてのおおらかさは望むべくもないでしょうが
あの、いかにも「大衆の娯楽」という感じの映画館の空気を知っているだけでも
幸せなことなのかも知れないなあと…(笑)